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Ep 3/8 男のすゝめ

「それよりうち今大変なんだよね……」

「あ、その話なんだけど――」


「バカな話だけど、うち学生手帳をどっかにやっちゃってね……。はぁぁ……っ、ヤバいよ、ヤバ過ぎるよ……。裏に流れたら流れたでヤバいし、かといって誰かに拾われて、もし中を見られたら……っ! ぁ、ぁぁ、ぁぁぁぁ……ヤバい、ヤバ過ぎる、もう、どうしよう……」


 ランさんは頭を抱えて机に突っ伏してしまった。

 その学生手帳を今僕が持っているとは、とてもじゃないけど言えそうにない空気だった……。

 

「手帳、落としちゃったんだ……?」

「うん……そうなの……。今頃おかしな使い方されてないか、うち不安だよぉ、怖いよぉ、エドガー……」


「わっ……!?」


 ランさんは――ランドフルくんには悪気はないのだけど、彼がいきなり僕の手にすり寄ってきたので、僕はつい素っ頓狂な声を出してしまっていた。

 でもこんなにかわいい子が実は男だなんて、やっぱり信じられない……。


「あれ、どうしたの? なんか今日のエドガー……昨日も変だったけど、今日もなんか変だよ?」

「いや、それは、あの、その……」


 普段強気なランさんの眉が下がっていた。

 不安に押しつぶされそうなその素顔は、迷宮で見せてくれた勇ましい姿とは正反対に弱々しく、つい手を差し伸べたくなる可憐さを持っている。


 早く不安から解放してあげたい。

 だけど学生手帳をここで渡せば、僕がランドルフという真実を知ったことが知れてしまう……。

 ランさんの気持ちを考えると、なかなか拾ったとは言い出せなかった……。


「はぁ……どうしよう。ねぇエドガー、うち、どうしたらいいと思う? うちもうわかんないよ……」

「それは……」


 そうしているとふいに、また爺ちゃんの言葉が頭の中でよみがえった。

 そうだ。その昔、爺ちゃんはこう言っていたんだ。


『いいかエドガー、男は度胸でも根気でもない。男に最も必要なのは、いざというときに、全てをねじ伏せる力ずくのパワーだ。将来お前の目前に、もしも乗り越えられない壁が立ちはだかったとしたら、そんな壁はお前の拳で叩き壊せ! 力いっぱいどつかなければ、始まらんこともあるっ!』


 あれ……? いや、あの、爺ちゃん……?

 それって……要するに当たって砕けろってことじゃないか!? ああもうっ、わかったよ当たって砕けてみせるよっ、爺ちゃん!


「ごめんっ、ランさんっ!」

「えっ、何っ、急に何……っ!?」


「こ、これっ……ひろ、拾っちゃい、ました……」

「あ……。あっ、ああああーーーーっっ?!」


 僕が両手で学生手帳を差し出すと、ランさんはイスから飛び上がって僕からそれをひったくった。

 包み隠すように胸に抱き込んで、それから運良く帰ってきた学生手帳に喜びの笑顔を向ける。すぐに僕にもそれが向けられた。


「ありがとうっ、エドガーッ! 神だよっ、エドガーはうちの神だよっ、はぁぁぁーっ、よかったぁぁぁっっ!」

「う、うん……拾ったのが僕でよかったよ」


「うんうんっ、マジでうちもそう思う! はぁっ、はぁぁぁっ、よかった、よかったぁ……」

「校舎裏に落ちてたんだ。ランさんもあそこ使ってたんだね」


「…………ぁ」


 ところが喜びいっぱいだったランさんの笑顔が途端にこわばり、そのまま全身もピタリと固まってしまった。

 このまま何事もなく終わってくれないかと期待したけど、やっぱりそれは無理だったみたいだ……。


 ランさんは当然の帰結に気づいてしまった。

 拾われた手帳が、一度も開かれずに持ち主へと届けられることなどないのだと。

 興奮と安堵にさっきまで顔を赤らめていたのに、今のランさんは青ざめていた。


「ごめん……」

「まさか、見た……!? 嘘っ、見たんでしょその反応っ!? う、嘘ぉ……」


「見ました……。だって、見ないと届けようがないから……ごめんなさい、ランド――」

「わーっわーっわぁーっっ!? 待ったっ、それ待った待った待ったーっ?!」


 ランさんが飛び跳ねて、物凄い勢いで僕を教室から引っ張り出した。

 しかもその行き先は男子トイレで、僕は引きずられるような形で個室へと連れ込まれた。


「ぜぇっぜぇっぜぇぇぇっ……。焦った……超焦ったよもう……っ」

「ご、ごめん……。僕も動揺してて、人前なの忘れてた……」


「勘弁してよ……ランドルフはまずいってば……。うちこれでも、クラスではそれなりに男子にも人気あるんだから……」

「ごめん……。でも、本当に本名はランドルフなの……? それに、お、おと、おとこ……」


 便器のある風情も広さもない個室で、僕たちは気づけば見つめ合っていた。

 本当に綺麗だ。ランさんが男の格好をしたら、女子生徒が夢中になるんじゃないかとも妄想した。


「うん、うち男だよ」

「ほ、本当に……?」


「うん。それよりあのさ、もう二度とランドルフとは呼ばないで。うち、その名前嫌いなの。君だって自分のこと、アルクトゥルスとかいうキラキラネームで呼ばせようとしたんだから、そこはおあいこにしてよ」


 ランさんは動揺するのを止めて、もう開き直ることにしたみたいだ。

 しかもアルクトルゥスのせいで、僕はランさんに少年の心を持った変なやつだと思われてしまっていた。


「アイツはアイツで、僕は僕なんだけど……。とにかく名前のことはわかったよ。ランさんの方が、ランさんって感じがするし……」

「えへへ……かわいいでしょ♪」


 開き直ってはにかむランさんの姿は、男とわかっても心では信じられないくらいかわいかった。


「うん……。だけどランさんって、こうして見ると、やっぱり男とはとても思えないよ……。本当に、本当に男なの……?」

「男だよ? 証拠見る?」


「い、いいよっそんなのっ、うわぁぁーっ!?」


 服に手をかけようとしたので、僕はランさんの手を握って止めた。

 最初からその気はなかったみたいで、いたずらっぽくランさんが僕の動揺を鼻で笑った。


「あ、それよかエドガーもする? せっかくだしやってみない?」

「な、何をっ!?」


「女装。バレちゃった以上は逃がさん、お前も同じ沼に引きずり込んでやるーっ! みたいな?」

「しないよそんなのっ!? それに沼だとわかっているのに、なんで人を引きずり込もうとするのさっ!?」


 僕の抗議はどうしてか人を喜ばせることがある。

 今回もそうだ。ランさんは僕の反論にニコニコと笑い返してきた。


「えーーー、エドガーってさ、元が良いし、何よりうちはその性格がかわいいと思う! だから絶対かわいくなると前から思ってたんだけどなぁ……惜しいなぁ~?」

「そんなこと言われても嬉しくないよ……。それに、沼なんでしょ……」


「うん、沼だよ、エドガー……。この世界は、一度はまったら抜け出せない底なし沼だよ……だから一緒に堕ちよ?」

「堕ちません……」


「むーー……残念。チュッ♪」

「ヒ、ヒェェッ?!」


 ランドルフくんはトイレの個室で僕の頬にキスをした。

 気持ち悪くはない。少しだけ嬉しくもある。だけど……だけどそれ以上に心の整理が付かない……。


「拾ってくれたのがエドガーでよかったよ。手帳ありがとう、これはうちからのお礼ね」

「な、なっ、なっっ……うっ……」


「うちってこんな変なやつだけど、キモくなかったら、これからもよろしくね? あっ、女の子の格好したくなったら、いつでも相談してくれていいからね、エドガー♪」

「それは絶対しません……」


 爺ちゃんの友だちにもオカマさんがいたから、そういう部分には抵抗がない。

 ランさんの場合、あまりに姿がハマり過ぎていてこっちが困ってしまうだけで……別に似合ってるし、いいと思う。


「えーー、もったいないよー、しようよぉー?」

「しないよ……僕は、爺ちゃんみたいに男らしい男になりたいんだ」


「でもでも、絶対っっ、絶対っ似合うって! うちもっとかわいくなったエドガーの姿見てみたい!」

「そもそも僕はかわいくなんかないよっ!?」


「いやいや、その気弱な性格と甘いマスクに小柄な体格。ソッチのお兄さんからしても、アッチのお姉さんからしたって、エドガーってたまらないよ?」


 不本意だ。そんな話、僕は知りたくなかった……。

 都会は怖いところだ……。


「あ、ごめん、熱くなっちゃってた。とにかくそういうことだから、えーと……明日の迷宮実習でもよろしくね」

「うん、そこはもちろん。今週もがんばろうね」


 学生手帳も返せたし、僕は一足先にトイレの個室から逃げ出した。

 信じられない。今でも信じられない。

 いっそ証拠(・・)を見せてもらった方が葛藤が消えてよかったかなと、気の迷いを覚えるくらい、やっぱり信じられない……。


 僕は知らなかった。

 男があんなにかわいい女の子になれるなんて、僕は知らなかった……。


 ラン、ランドルフ。ラン、ランドルフ。どんなに頭から消し去ろうとしても、ランドルフという勇ましい名前が消えてくれない……。

 僕はこの先ずっと、ランさんの顔を見ると、ランドルフという雄々しい名前を思い出すのだろう……。

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