Ep 3/4 ダブルフェイス
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爺ちゃんと暮らしてた辺境は平和だったのに、まさか旅立ってすぐにスリに遭いかけるなんて、外の世界は恐ろしいところだ……。
昨日はホロ馬車が駅に着くと、地元の神父さんの紹介で教会に泊めてもらった。
それから翌朝になるとお祈りをしてから教会を出て、パンを一つだけ買って馬車駅に向かった。
王都行きの列に並ぶと、そこに見覚えのある姿があった。
「あれ……。もしかして、君も王都に行くの?」
「あら、貴方もですの?」
昨日、僕をかばってくれた白いローブの人だ。
今日も綺麗な髪をローブに隠し込んで、口元だけを白日にさらしていた。
「うん……なんか爺ちゃんの遺言で、王都の学校に行くことになっちゃったんだ……」
「そう、お爺さんが亡くなられたんですの……」
「あ、気にしないで。爺ちゃんは湿っぽいの好きじゃないから、落ち込んだりしたら怒ると思う」
「ふふふ……面白い方ですのね。わたくしも一度お会いしてみたかったですの」
気品のある人だ。ローブからこぼれるその口元が微笑むと、まだドキドキしてきた……。
そういえば僕、普通に女の人と喋っている……。
「爺ちゃんはね、魔王を倒した男なんだ。なんだったかな、魔王、アルドゥクス……? だったかな……。だから爺ちゃん、僕を英雄にしたいみたい……」
だからって、自分が死ぬなり家ごと全部売り払うなんて、やり過ぎだよ爺ちゃん……。
「貴方ならきっとなれますの。だって昨日のアレ、凄かったですもの。今でもまぶたに浮かびますわ、涼しい顔でナイフを受け止めて、一片の同情もなしに投げ返す姿が」
「いや、あれはでも……」
実は、前からこういうことが結構ある……。
恐い人に声をかけられたと思ったら、急に意識が飛んで、地にはいつくばった相手の顔を踏みつけていたりもした……。
僕は英雄の卵じゃない。ただの危ない人だ……。
「謙虚ですのね。あ、そうそう、どこの学校に入るんですの?」
「う、うん……それがね……。正直に言っても、笑ったりしないでくれる……?」
「わたくし、そんなに性格が悪いように見えますの?」
「そんなことないよっ。ただ僕、王立学問所ってところに入るらしくて……」
「あら……」
彼女はその一言しか言葉を返してくれなかった。
急に黙り込んで、ローブを少し上げて僕の顔を確認し直したようだった。やっぱり綺麗な顔だ……。
「ごめんなさい、さすがに驚いてしまいましたの。もしよろしければ、お名前をお伺いしたいのですが……」
「エドガーだよ。エドガー・クリフ、英雄クリフの息子なんだ」
「わたくしは――ソフィーですの。同じく王都で暮らすことになりそうなので、もしよろしかったらわたくしと、お友達になって下さいね♪」
「本当っ!? もちろんだよっ。むしろ王都に知り合いなんていなくて、寂しく思ってたからっ、僕の方からお願いしたいくらい!」
ソフィーも王都に移住する人だと聞いて、僕は一気に気が楽になっていた。
だってそうだろう。僕みたいな田舎者が都でちゃんとやっていけるのか、友達ができるのか、心配にならない方がおかしい。
「うふふ……わたくしも同じですの。よろしくお願いしますね、エドガー様」
「さ、様とか付けられると、困る……」
ちょうどそこに馬車が来て、僕たち二人は荷台に乗り込んだ。
今日の馬車はホロがない。その分だけ見晴らしはよかったけど、雨の方が心配だった。
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そこから先の旅は楽しいものになった。
今日は春先だというのに暖かく、馬車に揺られながら見る風景は特に青と緑の色彩に富んでいた。
「ねぇ、エドガー様、アレはなんですの?」
「あれは飛脚だよ。手紙とか、軽い荷物を持って街道を走るのが仕事」
「あらそうなんですの……。だけどあんなに走ったら疲れてしまいますの。あの方たちは、馬は使わないんですの?」
何より、同行者のソフィーさんが思ったよりもずっと世間知らずで、ことあるごとに話し相手になってくれたのもあった。
それにしても飛脚を知らないなんて、この人はどこの世界から来たのだろう……。
「詳しくないけど、馬はお金が凄くかかるんじゃないかな……」
「そうなんですの、だから自分で走るんですのね。ふふ、エドガー様はなんでも知ってますの」
誰もが知っていることなのに、そうやっておだてられると、乗り合い馬車という環境もあって居心地が悪い。
いや、心半分は嬉しいけど、周りに聞き耳を立てられているような気がして落ち着かなかった。
「あっ、エドガー様、ならアレは何をしているんですの?」
「麦ワラを干してるんだよ。馬の餌にしたり、藁葺きの屋根にしたり、変わった使い方だと布の中に詰め込んでクッションにしたり」
「それは本当ですの? 緑のアレが、クッションになるんですの? ところで麦ワラって――なんですの?」
「……小麦の穂だよ」
ソフィーさんの口元が驚きに開かれていた。
麦ワラの正体すら知らないなんて、そんなのあり得るんだろうか……。
「まぁ……わたくし、パンの材料を初めて見ましたの!」
「それはさすがに、さすがに僕をからかい過ぎじゃないかな……」
「からかってなんていませんの。教えて下さり、ありがとうございます、エドガー様」
「え、えぇぇぇ……」
もしかして、いやもう疑うまでもなくこの人、お嬢様なのだろうな……。
あるいはやっぱり、僕のことをからかっているのかもしれない……。
「はぁ!? 小麦を知らないとか嘘だろ!? おいおいっ、こりゃとんだ箱入り娘と居合わせたなぁ!」
「……何を言ってるんですの。わたくしはただの田舎娘ですの」
馬車に少し気になる男が乗っていた。
冒険者風の身なりをした、だけど僕たちとそう年齢が変わらないくらいに見える変わった人だ。
彼はマントを身につけて、長剣を胸に抱いて勇ましそうにしている。
「いや無理無理、無理がある。それより俺も話に混ぜてくれよ。そこの田舎者よりはずっと詳しいぜ」
「お断りしますの。エドガー様は田舎者ではありませんの」
「えぇぇ……僕、正真正銘の田舎者そのものなんだけど……」
爺ちゃんの息子として、彼の姿が気にならないはずがなかった。
別に彼に悪気はないと思う。爺ちゃんの友達も、こういうズケズケと言うタイプが多かった。
「俺たちゃ暇なんだよ、みんなで話そうぜ、お嬢様よ」
「結構ですの、貴方みたいな失礼な方と話す口はありませんの」
「はぁ、俺のどこが失礼なんだよ?」
「態度から人柄が染み出てますの。エドガー様の方がよっぽど、紳士ですのよ」
「ソ、ソフィーさん……そういうの困るよ、僕……」
「はははっ、まあ話を横から聞いてる感じ、コイツはいいやつっぽいな。俺はリョースだ、よろしくな、田舎者にお嬢様!」
「う、うん、よろしくね、リョースさん」
ソフィーさんとの会話もワンパターンになってきた。リョースさんの誘いに乗るのも悪くないと思う。
だけどソフィーさんは彼が気に入らないみたいだ。
彼女は馬車の外へと顔を背けて、流れ行く若草色に輝く平野を眺めることにしたようだ。
「エドガー様はお人好しですの……」
「まあまあ、せっかく同じ馬車に乗り合わせたんだから、無視なんてしたら空気が悪くなっちゃうよ。あ、ねぇそれより、リョースは冒険者なの?」
「おう、7つの頃から荷物持ちをやって、13でデビューした。けどそっちはしばらく休業だ、へへへへ……」
「急に笑い出すなんて、不気味ですの……」
冒険者と言えば自慢話だ。
爺ちゃんたちが武勇伝を語るときの顔が、リョースの姿と重なった。
うちの爺ちゃん、天国で神様に迷惑かけてないといいな……。
「実はよー、最初は断るつもりだったんだけどよ? 俺、天才過ぎてよぉー? 王立学問所の、英雄科に招待されちまってなぁ、はははっ、自分の才能がこえぇーっ!」
「それは、悪い冗談にもほどがありますの……」
「へへへ、マジなんだなぁ、これが!」
この思わぬ偶然に、ソフィーさんと僕は密かに目を向け合った。
だけどここで僕まで同じ学校に行くと話せば、話がこじれることになる。いや、きっとリョースは信じてくれないだろう。
だからその話は止めてと、僕は首を左右に振って彼女に伝えた。
やさしそうにフードの下の口元が微笑んだ気がする。『謙虚なんですのね』と。
「きゃっっ……!?」
ところが事件が立て続けに起きた。
ソフィーさんに微笑みを返そうとしたはずなのに、どうしてか顔の筋肉が動かなくて、いやそれどころか僕は、あろうことかソフィーさんを馬車の床に押し倒していた……。
「えっ、えっえっ、あの、エドガー様!?」
「ふん……お前、思った通りのいい女だな。気に入ったぞ」
こんなの僕の意思じゃない。
また勝手に身体が動いて、僕の頭の中にない乱暴な言葉をソフィーさんに口走ってしまった。
それにソフィーさんのフードがはだけてしまっていた。
まるでお姫様みたいに綺麗で、やさしい顔立ちがそこに現れて、僕はさらに戸惑った。
冷静を保てなくなるくらいに可愛かったんだ。
「エドガー様……? あ、あの、わたくし……ひゃっ!?」
ひとりでに動く手が、ソフィーさんのあごから頬へと指をキザったらしく滑らせる。
すると、弓矢か何かが頭の上をかすめていた。
「何やってんだ、いきなり女口説いてる場合じゃねーだろっ、ありゃ街道の盗賊だぞ!」
その一言が僕を恐怖に染めて、身も心も凍り付かせた。
スリの次は盗賊だなんて、僕はなんてついていないんだ……。




