Ep 5/7 二人のティアとアーモンドクッキー with カステラ 3/6 - さあ冒険へ -
後は待つだけだ。ティアが宿の客引きという自分の持ち場に戻ってしまったので、僕とソフィーは店に二人っきりになってしまった。
そうなると不思議なもので、僕たちは途端に互いを意識するようになっていた。
「あのっ」
「そのっ」
この沈黙をどうにかしようと、声をかけようとすると言葉がかぶった。
気まずい……。だって僕たちは、僕はアイツに意識を奪われていたけど、昨日キスをしてしまった仲なんだ……。
むしろこうやって、どう会話したらいいのかわからなくなる状態が正常だ。
唇を盗み見ていることに気づかれて、ソフィーがまた白桃みたいに赤くなった。
なのに肝心なところの記憶がないなんて、こんなの理不尽だ……。
「エドガー様」
「な、何……? クッキーならもうちょっと待った方がいいと思うよ……」
「わたくし、最初は宿に入るのを躊躇してましたの……。そうしたら――」
「もしかしてソフィーもティアに声をかけられた? 僕も最初はそうだったよ」
「はい、そうなんですの。声をかけられて、いきなり自己紹介をされて、そしたらたまたま名前が同じで、わたくしあの子に勇気を貰いました。はぁ……あんなにかわいい子に出会えるなんて、思いませんでしたわ……」
「ティアはかわいいよね。12歳にしては、ちょっと、なんというか……。のんき過ぎるにもほどがあるような、気もするけど……」
うふふ、そうねー♪ と、声がどこからともなく聞こえたかもしれない。
どこかで聞き耳を立てているのだろうか。お、落ち着かない……。
「そこがいいんですの!」
「お、大きな声だね……」
「エドガー様は知らないでしょうけど、貴族階級の女の子って、小さい頃から家庭教師が付いて、とても厳しく育てられますの。だからああいうタイプは、わたくし初めてなんですの……」
「そうなんだ。でも僕の故郷にもあんな子はいなかったよ」
「あ、モルジアでしたっけ。わたくしも行ってみたいです」
「あまり治安が良くないんだ。家と家も離れてるし、開拓者って、元々罪人だった人も多いから……」
罪を本気で償おうとする人もいれば、更正したくてもそれが出来ない人もいる。
開拓したら土地の半分が貰えるけど、土地だけ沢山持っていても仕方がない。売ってもそこまでのお金にもならない世界だ。
僕みたいな辺境の人間からすれば、王都は栄光の世界そのものだった。
「それでもわたくし、エドガー様の故郷に行ってみたいです。英雄クリフのお墓にも、一度ご挨拶をしませんと……」
「きっと爺ちゃんなら喜ぶよ。爺ちゃん、美人が好きだから……」
言ってから、まるで口説いてるみたいなセリフになっていることに気づいた。
ところがソフィーは視線を落としている。それがもう一度顔を上げると、悲しそうな表情になっていた。
「エドガー様、先日はごめんなさい……」
「え。あっああっ、あれのことはもういいよっ……フランク先輩、ソフィーに酷すぎたし……。し、仕方ないよ……」
「でも……。もう一人のエドガー様の方が好きだと、わたくしが失礼なことを言ったのに、エドガー様はわたくしを守ろうとしてくれましたの……。わたくしあの後、自分が恥ずかしくなりましたの……」
「気にしなくていいよ。僕もリョースも、アイツが気に入らなかったんだ。友達を守るのは当然だよ」
ソフィーが僕の気持ちを案じてくれたのは素直に嬉しかったけど、反面複雑だった……。
昨日ソフィーの唇を奪ったのは僕じゃなくて、僕の中のアイツだ……。
最近、アイツが僕の中で大きくなって、僕の時間を奪い取ることが増えている。
このままじゃ僕は、アイツに身体を奪い取られて、存在ごと消えてしまうんじゃないかと不安になっていた。
「許すよ。だからもう気にしないで」
「ありがとうございます、エドガー様……」
「あ、それよりそろそろ、クッキーの方がいいんじゃないかな。見てみようよ」
厨房に入ってオーブンを確認すると、クッキーがこんがりときつね色に焼けていた。
甘い匂いとアーモンドの香りが混じり合っている。そういえば僕、今日は干し芋しか食べていない。
「この、にほいは……スンスン……。あっ、やっぱり! ついにー、やけたかーっ!」
「ティアちゃん、凄いですの。ワンワン並みの嗅覚ですの」
「でへへ……はやくたべよーっ!」
僕たちは業務用の大きなオーブンならクッキーを取り出して、クルスさんの持っている皿へと移した。
……え、クルスさん?
「いっ、居るなら居ると言って下さいよっ!? ビックリした……」
「もー。ママ、おとーたんが、いってるでしょー? ききみみたてたり、けはいをけして、しのんじゃ、だめー」
「うふふー♪ だってお腹空いちゃったんですものー」
皿一杯にクッキーを移すと、クルスさんはさっきまで僕たちが座っていたラウンドテーブルに配膳してくれた。
僕たちはその円卓を囲んで、香ばしくて甘い匂いのするアーモンドクッキーを手に取った。
ソフィーとティアの目が輝いている。
パクリと頬張ると、幸せいっぱいの笑顔が生まれて僕まで嬉しくなった。
僕にお菓子の作り方を教えてくれたあの人も、今の僕と同じ気分だったのだろうか。
お菓子は人に幸せを与えてくれる。そこが素晴らしいんだと僕は信じている。
「んまぁぁぁぁーいっっ♪ これしゅごいっ、これさくさくだっ! あもーんどがなっ、パリパリで、はぁぁぁ……ティア、いきてて、よかった……」
「うふふ……美味しすぎて、クーちゃん嫉妬しちゃいます♪」
「ママー、いいおとなが、じぶんのなまえに、ちゃんとか、つけちゃダメー」
「素晴らしいですの……。わたくし、こんなに美味しいクッキーを食べたの、初めてですの……! エドガー様は天才です!」
誰もが惜しむように一枚一枚を大切に食べてくれた。
みんな大げさだ。でも悪い気がしない。
食べ物に限っては、少しくらい大げさに言った方がいいのかもしれない。
「エドガーのゆめはなー、おかしやどやさん、なんだぞー」
「お菓子の出る宿屋さんですのっ!? それは素晴らしいお考えですのっっ!」
お菓子宿屋さん――不思議な響きだ。
クルスさんは一子の親なのに、ティアと一緒に足と肩を揺すってご機嫌を態度に現していた。
「そう言ってもらえると素直に嬉しいよ。故郷では誰も理解してくれなかったから……」
「ああ……もうなくなってしまいましたの……。もう一枚……」
「ティアも! もぐ……」
「クーちゃんもー♪」
ソフィーの笑顔を見ていたら、不意にとある疑問が浮かんだ。
あのフランクとの関係を破談にしたいということは、ソフィーは冒険者になるつもりなのだろうか。
貴族の家は、基本的に長男が財産のほぼ全てを相続すると爺ちゃんに聞いた。
だからそれにあぶれた次男や、行き遅れ、独立心が高かったり、性格に難のある女子は、冒険者たちの花形、魔法使いとなることが多いそうだ。
迷宮から貴重な財宝を持ち帰って、実家より大きな爵位と領地を得たという話も数多い。
僕らしくないけど、少しだけカマをかけてみようか……。
「ソフィーが冒険者になるなら、僕は宿屋でソフィーの帰りを待つ役をするよ」
「え、わたくしが、冒険者……?」
意外そうな顔をされた。
政略結婚の道具にされるのが嫌なのではなくて、単にあのフランクが嫌いなだけか……。
「ふふっ、そういう発想はありませんでしたの」
「エドガー、そこはなー、ぼくがソフィをまもるぅーっ! って、いわなきゃ、だめなんだぞー? ティアなら、そーいう。ティアが、ソフィーをまもるー!」
「ごめんなさいね~。うちの子、ちょっとした人たらしなの~♪」
僕もそういう発想はなかったかな……。
冒険をしながら宿を経営するなんて、そんなことしたら忙しいなんてものじゃない。
「ティアに口説かれちゃいましたの♪ ふふふ……でもエドガー様は、奥ゆかしいところがまた素敵だと思いますの」
奥ゆかしい……。果たしてそれって、男の美徳なのだろうか……。
気弱だとか、優柔不断だとか、僕のあまり良くない部分だと思っているのに。
「でも、わたくし、なんだか無性に、エドガー様と一緒に冒険したくなってきましたのっ!」
「え、ええーっ!?」
「あらあら、若いわ~♪ クーちゃん少し妬けちゃう♪」
「ママは、だまってるのー」
クルスママはティアにクッキーを口に押し込まれると、お返しにティアの口へと同じ物を運んだ。
素直に口を開くところがなんだかティアらしい。
「来週の迷宮実習。わたくし、参加するつもりはなかったのですが、気が変わりましたの。わたくしがエドガー様を指名しますので、どうかご一緒してくれませんか?」
「待って、指名って何? 指名なんて、出来るの……?」
「はい、そう言われましたの。逆は出来ないそうなのですが、魔法科からなら、組む相手の指名が出来るんだそうですよ?」
「そうなんだ……知らなかった。へぇ……」
本音を言うと、迷宮実習は僕も乗り気がしていなかった。
僕にはあまりに早すぎると、各実習で経験不足を痛感していた。
「エドガー様。エドガー様さえよろしければ――わたくしと、一緒に冒険しませんか?」
その気後れした気持ちが、ソフィーと一緒ならと思うと、期待と興奮に変わっていた。
僕はソフィーの誘いに応じた。ついつい笑顔を浮かべてしまいながら、明るい声でうなづいた。
「一緒に行こう、ソフィー!」
「そう言ってもらえて嬉しいですの、エドガー様!」
――それが新しい事件の始まりとは、僕たちはまだ知らなかった。




