Ep 5/7 二人のティアとアーモンドクッキー with カステラ 1/6 - ティアとティア -
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王立学問所では土曜日を自習日と名付けて、土日を連休としている。
せっかく王都に出てきたのだから、学舎にこもって勉強ばかりしていないで、その足で街へと出て目と身体で学べ。
特に普通科のガリ勉どもには、息抜きと社会経験が必要だ。
将来領地へと戻る貴族の子たちもまた同様で、この王都の繁栄をよく見て、そのからくりをしっかりと自分の頭で捉え直してほしい。
これは俺ではなく、あの学長の言葉だ。
庭園が黒こげになった一件をエドガーたちが自己報告に行くと、明日は自習日だからと言って、聞いてもいないのこんな話を語られた。
それだけエドガーたちに期待しているのもあるだろうが、もう半分は俺を相手にした自慢だろう。
お前の死後に、自分たちはこれだけのシステムを築いたのだと、この年寄りは語りたかったのだ。
「極論を言ってしまえば、当校の在籍者のうち9割が田舎者です。あまり己の出身を気にしないことです。貴方とクリフの故郷モルジアは、辺境ではありますが素晴らしい土地です。特にあの開拓者精神に、私は毎年気骨ある生徒を見出し――」
フランクが事実をねじ曲げる前に先手を打つはずが、年寄りの茶飲み話に長々と付き合わされたとも言う。
彼はリョースからすれば憧れの存在だった。
「マジかよっ、すげぇな、お前のオヤジッ!?」
「う、うん……病気になる前は、もうお爺ちゃんなのに、生涯現役の冒険者やってたくらいだから……」
エドガーの養父が魔王アルクトゥルスにトドメを刺した男だと知ると、リョースはさらに興奮して大声を上げていた。
「通常は30半ばほどで引退を考えるのですが、そういった発想はクリフにはなかったようですな。若手からすれば、さぞ厄介なクソジジィだったことでしょう」
「でも爺ちゃん、みんなに慕われてました。冒険者のみんなは、口を揃えて爺ちゃんをクソジジィって呼んでましたけど……」
俺を殺した男は老いて故郷へと戻り、己の生き方を貫いて墓に入った。
英雄の末路は決まって悲惨なものだが、あの老人は栄誉を捨てることでそれを覆し、ある種の理想を体現したとも言える。
……機会があれば俺からもリョースに話してやろう。
「素敵なお義父さんだったんですのね。わたくしも一度お会いしたかったですわ……」
「いいえ、クリフは挨拶代わりに女の尻を撫で回すような男です。はぁ……全く、困った男でした……」
「マジかよっ、お前の父ちゃんマジかっけーなっ!?」
恐らくクリフは死を迎えると同時に、ODの手によって刈り取られて、天井の兵舎で楽しく豪快に人迷惑にやっているだろう。
そうエドガーにもいつか、邂逅する機会があれば語ってやってもいい。英雄は死後に報われるのだと。
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長い前置きとなったが、まあそういったわけだ。今日は自習日という名の休日だった。
慣れない実習の日々に疲れが蓄積していたのか、エドガーが目を覚ました頃にはもう、世界は昼過ぎだったがな。
「あっ、遅刻……ッ! ……あ」
俺でありながら、あまりに俺らしくないやつ。それがエドガーだ。
エドガーは昼の日射しに飛び起きて、学校にいかなきゃとベッドから床に足を付けたところで、今日が休みだと思い出した。
「爺ちゃん……」
故郷やクリフの夢でも見ていたのだろうか。
エドガーは様変わりした己の環境と、新しい住処である丸白鳥亭の部屋をぼんやりと見回す。
まだ新しい生活に対する不安が抜け切れていないようだ。
ところが急に宿の階段が慌ただしく鳴り響き、エドガーは落ち込んでばかりではいられなくなった。
ガンガンガンと部屋の扉がノックされるのと同時に、興奮したティアの声が扉越しに響いた。
「たいへんだー、たいへんだぞー、エドガー! ティアが、ティアが、ふえたー!」
「なんだティアか……。驚かせないでよ……」
施錠を解くと、丸白鳥亭のあまりに若すぎる看板娘がエドガーに飛び付いた。
何かを伝えたいようだが、俺には何を言っているのかわからん……。
「あのなー、ティアがなー、ティアは、ティアだぞー! って、ピンクにいったらなーっ!」
「う、うん……?」
「あらきぐーですのねー? わたくしもー、ティアですのー♪ っていってた!」
「…………うん?」
エドガーはまだ寝ぼけていたが、俺の方はなんとか解読出来た。
どうやらソフィーお嬢様が、この宿を訪ねてきたようだな。
「だからなー、エドガーよびにきた! ティアがなー、あいたいって!」
「…………え? まさか、そのティアって……ソフィーティアッ!?」
「もー! だからそういったでしょー!」
「ややっこしいよっ!? えっ、ということは、ソフィーが下にいるの!?」
ティアはエドガーの返しが不満だったのか、口を少し膨らませて首を縦に振った。
それを目にして、エドガーが慌てふためきながら支度を始めたのは言うまでもない。
「いっ?!!」
い……痛い。痛いぞエドガー、もっと自分の身体を大事に扱え……。
極限の動揺に、エドガーは足の小指でベッドを蹴っていた。
支配権はないのに、激痛だけを味あわされる俺の身にもなれ、エドガー……。
「それ、いたいやつ……。おーい、へーきかー? よしよし、いたいのいたいの、なおれー、なおれー?」
「うっううっ……ありがとうティア……。悪いけど、今から支度して下に行くから、それまでソフィーの相手、しておいてくれる……?」
「へっ……それはー、さいしょからなー、そのつもりだぜ……。エドガー、ティアとティア、まってるからなー?」
ベッドにうずくまるエドガーに無垢な笑顔を向けて、ティアは部屋を元気に立ち去っていった。
やがて激痛が鈍り、冷静になったエドガーは肌着のまま立ち尽くす。どうやら今度は動揺し始めたようだ。
「ど、どうしよう……。昨日、あんなことがあったのに……ど、どうすれば……」
先日、学長に報告した際に、ソフィーとリョースは一部始終を偽りなく報告した。
『わたくし、人前でエドガー様と情熱的なキスをしてしまったんですの』と、ソフィーの言葉を聞いてエドガーは酷く驚いていた。
美味しいところを持って行った俺に、かなり怒ってもいたな。
だが俺はお前だ。俺がお前を好きにして何が悪い。
エドガーは田舎者丸出しの私服ではなく、制服の方に袖を通した。
とにかく失望されないようにしよう。そう心の声が聞こえてきた。
彼は小さな水瓶に直接その手を入れて、1杯飲んでからそれを寝癖に当てた。
映りの悪い鏡の前に移動して、必死の形相で髪を整えている。それはまるで、初デート前の男の子を見ているかのようだった。
だいぶ髪が湿ってベチャベチャになったようだが、ようやく満足したようだ。
まだ14歳の青年は、水瓶を抱えて宿2階の廊下へと出た。
知っての通りここは酒場宿だ。中央の酒場施設を取り囲むように、U字に客間が配置されている。
2階の踊り場に出れば目下が広い酒場で、手すりの向こう側を眺めるとソフィーとティアが同じラウンドテーブルを囲んでいた。
「ソフィ、かみのけ、ぴんく! いいなぁいいなぁ、かわいい!」
「ふふ、ティアちゃんにそう言っていただけて光栄ですの。ティアちゃんの髪も、キラキラして羨ましいですの」
「そうかなー? ピンクのほうが、うらやましいけどなー。おお、さらさらー♪」
「ふふ、ありがとうですの。でもティアちゃんの方が、もっともっともっとさらさらで、癖になってしまう触り心地ですの♪」
二人はテーブルの上で前のめりになって、互いの髪に触れてニコニコとしていた。
「でへへ……ティアも、そっくりそのまんま、おかえしするぞー。ソフィ、かわいいなー!」
「それはわたくしのセリフですの……。はぁ……なんて愛らしいんですの……」
全く壁を感じさせないやり取りだった。
初対面にしては妙に仲が良い。若干行き過ぎているほどにだ。
「あ、エドガーだ! おそいぞーっ、はやくはやくー!」
「おはようございますの、エドガー様。急に訪ねてしまってすみません……」
「いや、その、そんなことはないよっ、ソフィー!」
土曜だが時刻もあって他に客はいない。
普段足音すらひかえめなエドガーが、大きな音を立てて階段を駆け下りた。
同じテーブルにかけると、目の前に二人の笑顔と、干し芋が並んでいた。
「あのねーあのねー、ソフィな、ほしいも、はじめてなんだってー! ママのつくったほしいも、おいしいって!」
「あら嬉しい♪」
今日もクルスさんは犬並みに耳がいい。厨房からこちらに遠い声が届いた。
しかし育ちの良い貴族令嬢に干し芋か。繊維質でやや噛み切りにくいそれと、ソフィーが格闘する姿はなかなかの見物だ。
「んん……上品に食べるのが、難しい食べ物ですのね……」
「エドガーも、ほしいも、たべるかー?」
「じゃあちょっとだけ……」
久しぶりの干し芋は美味いことは美味かったが、やはりお嬢様と面と向かって食べるような物ではなかった。
ほどなくして厨房からクルスさんが現れて、麦を煎った茶を入れてくれた。
詰まりかけていた喉を茶で流すと、ようやくエドガーは根本的な疑問に気づいたようだ。
「ねぇ、なんでこの場所知ってるの……?」
「はい、実はわたくし、あの後、あることが気になってしまって……。学長先生に相談してみたら、ここを教えて下さったんですの」
「そうなんだ……。そういえば、学長さんは前からここを知ってるみたいな素振りだったな……。ティアは学長さんのこと知ってる?」
「とり……?」
ソフィーもエドガーも、もちろん俺も最初は意味がわからなかった。
「あ。もしかしてだけど、ガクという名前の、鳥のことだと思ってる……?」
「ああっ、そういうことですのっ!?」
「ちがったかー。んー、むつかしいなー……ことば」
エドガーはそれ以上聞くのを諦めたようだ。何も言おうとしなかった。
「わたくし、エドガーにお詫びしに来たんですの」
「え……。あのことならもういいよっ、悪いのはフランクだよ!」
「今回はそっちのことではありませんの。わたくしは――」
ソフィーは意を決して来訪の理由を伝えようとした。
「あ! そうだ、エドガー!」
だがティアはまだ12歳、空気を読めるほど成熟などしていなかった。
「な、何……?」
「ソフィにドシャ! ドシャつくってあげよーっっ!?」
突拍子もない思い付きだ。半分は自分が食べたいだけだろう。
だが悪くない。あの薄くて甘いお菓子をソフィーに食べさせれば、エドガーに対する評価が高まるだろうと俺は踏んでいた。




