Ep 4/7 唇と嘘と婚約者 - 婚約者 -
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管理された庭園の芝生は、座ってみるとチクチクとくすぐったかった。
僕たちはバスケットいっぱいのサンドイッチとハムとチーズを囲んで、今日の心地よい陽気を喜んだ。
「うまっうまっ、肉うまっ! しっかしなぁ、お前も色々大変だな」
「はぁ……貴方はブレませんのね、リョース……。わたくしの正体を知っておいて、まるで態度が変わらないのは貴方くらいですの……」
ソフィーの持ってきてくれたサンドイッチは具が分厚くて、一枚一枚にバターの香りがする。
リョースががっつくと、ソフィーが僕に大きなハムとチーズを押し付けてくるので、僕の方は食べるだけで精一杯だ。
「お前はお前だろ」
「ん、んぐっ、ふぅ、ありがとうソフィー……。でもリョースは、もう少し言葉に気を付けた方がいいんじゃ……」
ソフィーの水筒からお茶を貰った。あれ、これってもしかして……。
「センコーのことか? 俺アイツ嫌いだ」
「そうですわね……。あの方と比べれば、リョースの憎まれ口の方がまだかわいいですわ……。わたくしもあの方が嫌いですの……」
「はははっ、エドガーも嫌いだってよ」
「ちょっと、勝手に僕の言葉代弁しないでよっ!?」
「うふふ……だって顔に出てましたの。わたくしがあの方に二の腕を掴まれた時、エドガー様ったら、鬼みたいな顔してましたのよ?」
その一言は僕にとって大きなショックだった。
僕は穏やかで平和でいたいのに、僕の中に眠る何かがいつだってそうさせてくれない。
最近、どんどんそれが表に出てくるようになって、とても怖かった……。
「何落ち込んでんだよ? 彼女が乱暴されて、ヘラヘラしてるよりもずっといいだろが」
「か、彼女だなんてそんな……うふふっ♪ まだ気が早いですわ……♪」
「そうだけど……」
自覚がないから困ってるんだよ、リョース……。
僕がもう一人の僕をちゃんと制御出来るなら、こんな不安になんてならないのに……。
「勘違い貴族様と一緒になってよ、ぶいぶい言わせればいいのに、バカ正直だねぇ、ソフィーお嬢様は」
「お断りですの。それではエドガー様の前で、胸を張っていられませんもの」
落ち込んでないでもっと食べて大きくなろう。
そう思って新しいサンドイッチに手を伸ばすと、いきなりソフィーの両手に手のひらを握られた。
「えっ、ソ、ソフィー……?」
「エドガー様、同じ学舎に通えるなんて、わたくしは幸せ者です。ですが、もしも叶うならばわたくしは……。あの荒っぽくて、たくましくて、わたくしを馬車に押し倒したエドガー様にも、もう一度お会いしたいです……」
ソフィーのその姿は恋する乙女そのものだった。
モジモジと身を揺すって、僕ではなく僕の中に眠る別人に熱い目線を向けていた。
そんな……ずるいよ、こんなの……。
「確かにな、あっちのエドガーに一度も礼を言えていないな」
「ねぇ、もう一人の僕って、どんな人……?」
「素敵な方です! わたくしはあんな殿方、生まれて初めて見ましたの……」
「おうおう、恋は盲目だな」
「へ、変なこと言わないで下さいませ……恋だなんて、そんな……」
同じ僕のはずなのに、僕に向けるソフィーの態度と何かが違う……。
「アイツは俺様系だな。自信家で、うぬぼれるだけの力を持っている。だが、不思議と嫌な感じはしないな。アイツもアイツで、結構な馬鹿野郎だからか?」
「そうなんだ……」
だったら僕、存在する価値あるのかな……。
僕じゃなくて、もう一人の僕が僕の支配者になればいいのに……。
「落ち込むなって。俺たちはやさしい方のお前も好きだぜ、そうだろ?」
「ええ、どっちも素敵なエドガー様ですの。どっちかというと、あっちが好みなだけですわ♪」
そんな……やっぱり僕なんか、いらない人格なんだ……。
「お前それフォローになってねーよっ!? どっちも同じくらい好きって言ってやれよなっ!?」
「ごめんなさい、うっかり口が滑りましたの……」
「いやそのセリフも現在進行形で滑ってる状態だからなっ、ソフィーお嬢様よーっ!?」
「……エドガー様、失礼なことを言ってしまってごめんなさい。どうか元気を出して下さい。ええと、あーんっ♪ あーんして下さいですの♪」
新緑にあふれる庭園に、ソフィーの甘ったるい笑顔が輝いて、僕の口にサンドイッチを押し付けてくる。
かわいい……。こんなに仲良くしてくれるのに……僕なんかより、もう一人の僕が好きだなんて……。
「待って、人に見られてるよ……。こういうの恥ずかしいよ、ソフィー……」
「ふふっ……やさしいエドガー様もいじりがいがありますの♪」
「いや、結構いい性格してんな、お前……」
ちょっとショックなこともあったけど、ソフィーとリョースとの昼食は楽しいひとときだった。
あっという間に時間が過ぎ去って、あんなにいっぱいあったバスケットの中が空になっていた。
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そろそろ鐘が鳴って、ソフィーとお別れしなければならない。
でも僕たちは楽しくて、どうしてもその場を離れることが出来なかった。
貴族主義が幅を利かせる嫌な世界だけど、ソフィーの笑顔が僕たちの癒しだった。ところが――
「ソフィーティア、お前は何をしているのだ!!」
そんな僕たちの楽しいひとときに、水を注すやつが現れた。
それは褐色の髪を持つ大柄な男で、一目見るだけで名のある貴族の息子に見えた。
彼の左右には、まるで従者のように男子生徒が二人も佇んでいる。
ソフィーの顔色が硬く強ばるのを僕は見てしまった。
「おい、こっちを向け、ソフィーティア!」
「なんか呼ばれてんぜ、ソフィー?」
二人の関係は見るからに険悪だった。
ソフィーは一度もその上級生らしき男に目を向けず、強い嫌悪を隠そうともしなかった。
「こっちを向けと言っている!」
「あの、ソフィーが嫌がってるから、止め――」
「いきなり汚い口を開くな! お前のダニが俺に移ったらどうしてくれる!」
「……あぁっ? おいセンパイ、俺のダチに、何言ってくれちゃってんだよ、テメェッ!」
とっさに僕はリョースを止めた。
この人、見るからに家柄が高い。さすがにこれは相手が悪いと思った。
「止めてフランク……わたくしのお友達に、迷惑をかけないで……」
「浮気をしておいてよく言うなぁ……? このダニどもと、楽しそうにお喋りしていたのを見たぞ? お前はつくづく、俺の顔を潰すのが上手い女だ……」
浮気という言葉に、ソフィーは僕から目をそらした。
この二人、付き合っているの……?
「フランク、エドガーとリョースはダニじゃありませんの……撤回して下さい……」
「離せエドガーッ、この野郎気に入らねぇ! それに浮気だぁ? ストーカー男の定型文みてーなこと言いやがって! てめーこそソフィーに付きまとうんじゃねぇよっ!」
「ダメだってリョースッ、下手したら退学にされちゃうよっ!?」
リョースの言うとおりだ、浮気なんて嘘だ。
だったらなんで、ソフィーはこんなに苦しそうな顔をしているんだ。
嫌なやつだ。あのツァルト先輩がただのひょうきんなお兄さんに見えてくるほどの、最低の嫌なやつだ。
「俺はソフィーティアの婚約者だ」
「んなっ……?!」
「う、嘘……本当なの……?」
ソフィーは僕らに目を向けない。
現実から逃避するかのように、緑豊かな庭園の彼方へと視線をそらしていた。
いや、でもそれでも、ソフィーが嫌な気持ちになっている事実は変わらない。
僕は友達として、ソフィーを守らなければならない。
でも――どうやって、こいつを追い払えばいいのだろう……。
「はっ、だからどうしたよっ! どうせ親が決めた関係だろ? だがお生憎だな、聞いて驚け、このエドガーとソフィーはなぁ……っ!」
こんな状況なのに、リョースはそれでも戦おうとしていた。
なんて頼もしいんだろう。リョースと出会えて良かった……。
「この二人は付き合ってんだよっ! 相思相愛ってやつだ、ざまーみろっ、このヘボ貴族っ!」
……………………え? えっっ?!!!!
ちょ、リョースッ?! そういうのは困るよっ、なに勝手にそんなっ、え、ええええええーーっっ?!!




