六話 液晶の先の探り合い
とあるアパートの一室で、軽快なタイピング音が鳴り響く。
「うん、うん、いい感じ。膨大なインスピレーションが押し寄せて来る~!」
興奮した様子でパソコンを見つめながら、その女性は夢中で文章を打ち込んでいた。
彼女は弘原海 響子というペンネームで知られるミステリー作家である。
主に推理小説をメインに執筆しているが、たまにサイコホラーやオカルト系なども手掛け、そのジャンルに応じて自在に書き方を変えるフレキシブルな感性で読者を魅了する。
そんな彼女の趣味は現場取材。
それも殺人現場や心霊スポットといったスピリチュアルを感じる場所を好み、聖地巡礼という言うよりは畏怖の対象である心霊ツアーに近い取材を行う。
特に凄惨な事件が起きた場所では心が躍り、実際事件現場に足を運べば、『犯人はどのように殺害したのか』『どういった理由で犯行に及んだのか』『実際に殺害した時、犯人はどんな心境だったのか』『殺害される直前、被害者は何を思ったか』など、犯行現場で様々な思考を巡らせる事が何よりの楽しみであった。
作業を始めてから数時間後、ようやく一息ついた彼女は間延びをしながらコーヒーを淹れた。
「んん~あと二十ページくらいか……」
終わりの見えた作業に気を緩ませ、しばしデスクの前で呆けていると。
「……飽きたな」
ラストスパートの直前で、彼女の興奮ゲージは一気に萎えた。
彼女は無類の飽き性である。
これまで世に出た作品あれど、その倍近くはお蔵入り。
決してボツを喰らったものではなく、完成すれば必ずヒットするであろうダイヤの原石達。
しかし彼女の行動原理は『冷めぬ興奮』。
自分を奮い立たせる燃料が希薄であれば、その分熱も冷めやすい。
常に刺激を与え続ける何かがないと、彼女の筆は動かないのだ。
だが、さすがに今の原稿を落とすと今後の作家人生に支障が出る。
嫌でも何でも彼女は書かなければならない。
彼女は溜息を吐きながら、気晴らしに自身のSNSのコメントを覗いた。
そこにはファンのツイートがずらりと並ぶ。
『次回作まだですか~?』
『いつも楽しませてもらってます』
『弘原海先生の私生活が気になる~』
というメッセージが波のように書き込まれ、微笑を浮かべながら彼女はそれを読んでゆく。
と、その中で。
『はじめまして、弘原海先生』
オープンチャットとは別に、彼女個人のアドレスに直接メッセージが送られていた。
『あなたと個人的に話がしたいのだけれど、構いませんか?』
送り主の名は『カトブレパス』と書かれている。
その名を見た瞬間、彼女はゾクゾクと身を震わせ、絵も言えぬ高揚感を抑えながら送り主に返信した。
『カトブレパスさんはじめまして。勿論、よろしくお願いします』
続けて彼女は送信する。
『ところで、よく私のアドレスが分かりましたね?』
返事はすぐに返ってきた。
『簡単でしたよ。私にプライバシーの壁は通用しませんので』
カトブレパスの言葉に、さらに興奮は高まる。
『すごいです! もしかしてご職業はハッカーやクラッカーとかですか?』
『私にそんな高等技術はありません。ただのインチキですよ』
『なるほど~リアルチート持ちでいらっしゃるんですね笑』
『はい笑 その通りです!』
などと楽し気に会話をしていたが、
『ですが先生、あなたはとっくにご存じですよね? 私の事』
カトブレパスは急に本題に入る。
『うちの店に盗聴器仕掛けたの、あなたでしょう?』
それは憶測ではなく、彼女を隅まで調べた結果論。
「おやおや、なるほどなるほど~」
カトブレパスの推論がどこまで自分に近づいているのか気になった彼女は、さらに揺さぶりをかけてみる事にした。
『なんの事ですか? あなたのお店って……』
『いちいちとぼけなくて構いませんよ。私がいない時を見計らって定期的に店のあちこちに盗聴器を仕込んでましたよね』
当てずっぽうではないと確信した彼女は自ら自白した。
『いや~バレちゃいましたか~。結構上手くやったと思ったんですけど』
『四年くらい前からですよね。昔の監視カメラの記録を見て分かりました』
『顔隠してたのによくわかりましたね』
『帽子とサングラスで変装してたみたいですけど、逆に怪しいですよ?』
『マジですか? でも店内に監視カメラはなかったはずですけど、どうして私だと?』
『あなたの昔のメールやSNSを復元して、その日の行動やアップした写真、それに非公開の裏アカウントも全部閲覧させて頂きました』
と、そこまで読んで。
「まじかよ……」
さすがに彼女は引いた。
『プライバシーの侵害だああ!』
『言ったでしょう? 私にプライバシーの壁は通用しないって』
カトブレパスの予想外な情報網に脅威を感じる。
と共に、この送信主にますます興味が湧いた。
『なるほど~それじゃあ私の正体もとっくにバレてるって事だ』
『当然でしょ。じゃ、茶番はこのくらいにして真面目な話しよっか?』
カトブレパスの言葉に、彼女は微笑んだ。
『ん~? 一体何を聞きたいのかな?』
『たとえば、どうして私をつけ回すのか』
『人聞きの悪い事言わないでよ! 別につけ回してなんかないんだからね!』
『じゃあどうして? 私あなたに何かした?』
『とんでもない! カトブレパスさんは私にとってのハイオク満タンメガ盛りつゆだくマックスバリューハッピーセットだもの!』
『はっ?』
『つまり私の創作意欲を掻き立てる最高の燃料源だってこと』
『もう一回言うね。はっ?』
なかなか自分の愛が伝わらない事にやるせない気持ちを抱えながら、彼女は続ける。
『別にあなただけに固執しているわけじゃないけど、あなたに一番興味はあるよ』
『それは?』
『魔女さんって呼んでたお客さんいたでしょ? その人とどういう関係なのかなって』
それは彼女が店に設置した盗聴器から得た情報。
ただの常連客ではなく、何か特別な繋がりがあるのだと予想していた。
『ただのお得意様だけど?』
『それはあなたが追っている、七年前の事件に関係がある事かな?』
彼女はずっと前から知っていた。カトブレパスの行動を。
ずっと見ていた。事件の後からずっと。
『魔女さんって人と関わるようになってからずいぶんと情報収集がスムーズになったよね?』
『協力者だからね』
『あなたが情報屋を始めるきっかけになるくらい幅広い知識を持った人なのに、色々調べても彼女の情報が一切見つからないのよ。すごい謎』
『別にあの人から情報もらってるわけじゃないから。それと、あまり詮索すんな』
カトブレパスの言葉から、『魔女』という人物を探られる事は都合が悪いのだと思った。
『わかったわかった、もうしない。ねえ、ところでさ、メッセージのやり取りだけじゃなくて今度普通に会わない? あなたの店でいいから』
『どうして? メリットは?』
『普通に女子会するのにメリットとか言う?』
『私の事情知ってるんでしょ? 暇じゃないの』
『かったいな~。ならそうだね、手土産をもってくよ』
『手土産?』
『七年前の犯人、骸惰の現在地とか』
『なんであなたがそれを知ってるの?』
『私は興味の湧いた事には全力で取り組むの。当然あなたも彼の居場所は知ってるんでしょうけど、ネットだけじゃ見落とす事だってあるでしょ?』
彼女がそう書き込むが、カトブレパスの返信はなかなか来ない。
迷っているように思える。
「おっそいな~あの子。別に取って食おうなんて思ってないのに……」
などと呟いていると、ようやくカトブレパスからの返信が返ってくる。
『わかった。出来るだけ早めがいい』
それを見た彼女は口角を上げて喜んだ。
『りょーかい! それじゃ明後日の昼でどう?』
『OK、待ってるから』
『はいは~い。それじゃあまたね。立河上 八重香さん』
『ええ、またね。渦芽 響香さん』
そして二人のトークが終わった。
「んふふ~久しぶりの胸アツ展開! これはとうとうあの事件が終局しそうな勢いじゃない? そしてその当時者になれるって事は、最高のネタが書けるって事! ふふ、ふふふ」
上機嫌に部屋中をくるくる回り出すキョウカ。
七年前の被害者である二人。
彼女達が交わる事で事件はどう動くのか。
殺人鬼の住む町で、虚実を払う目は今も見つめ続ける。