四話 山荘カニバリズム 前編
ヤエカと鉤島が接触した翌日。
違う場所で、レオとコトギはとある山岳に足を踏み入れていた。
「コトギさん、大丈夫?」
「だ、大丈夫……最近、運動してなかったから……」
コトギの体が悲鳴を上げながら、二人は山奥へと進む。
本日学校は休校日であり、コトギは朝一でレオを誘い、人里離れた場所までバスとタクシーを駆使して小旅行さながらの現地取材に来ていた。
それは決して楽しいアウトドア目的ではなく、七年前、レオ達が監禁されていたとされる山荘に向かっている。
山道から外れた、獣道すらないような人気のない裏道に、以前その建物はあった。
コトギは三日前に起きた神室殺害事件の事で、七年前の事件と関係があると見て当時の資料を読み返していた。
そして得た情報により、当時の監禁殺害現場である山奥の山荘を目指している。
だいぶ前に警察が捜査に入った為、現在はもぬけの殻。
だが、目的は手がかりとなる証拠品などではない。
コトギの、『死者の声を聞く力』で未だ彷徨える死者に事情聴取をお願いする為だ。
もし七年経った今でも当時亡くなった被害者が残っているのなら、犯人の動向も探れると思い二人はひたすらに険しい急こう配な坂を上り下りしていた。
ふと、レオは思う。
「思い出してきたよ。あの山荘から逃げ出す時、八重香って呼ばれてたお姉さんに引っ張られてこの道を通った記憶がある」
「それって、生存者四名のうちの一人、立河上 八重香さん?」
「うん、多分。あまり他の人の情報知らないんだ。夏美さん以外とほとんど話した事なくて」
と、昔を思い出しながら気落ちするレオ。
そうこうしているうちに、二人は事件現場に到着した。
外見は風化したコテージのようで、扉や窓は全て取り外されていた。
何年も整備されなかったせいで室内にも草が生い茂り、もはや小屋というよりは雨よけである。
二人は山荘周辺を覆う『立ち入り禁止』と書かれたロープを潜り中へと入った。
内装は意外と広く、大広間と、隣りにはおそらく、ここで誘拐した人間を殺害していたであろう『作業部屋』の二部屋がある。
周囲を調べると、大広間の真ん中、地面に設置してある錆びた鉄製の扉を見つけた。
上下に開くタイプの扉で、レオには思い出深い場所。
地下室へと繋がる檻である。
「僕達はこの下で、ずっと監禁されていた」
見るのもおぞましい、奈落の底。
梯子を下ったその内部はさらに鉄格子が備え付けてあり、そこで誘拐された者達はわずかな食糧と粗末な毛布を与えられ、まるで囚人のような生活を余儀なくされる。
当時の記憶が蘇るレオは急に吐き気を催した。
「……ごめん、僕、この中に入るのは……」
レオは梯子の前で立ち止まる。
「いいよ。ごめんね、つき合わせて」
言いながら、コトギはレオの背中を擦り介抱する。
レオは「もう大丈夫」と一言加え、コトギに尋ねた。
「それより、その、誰かいる感じする?」
レオの言う『誰か』とは、霊的な者を指している。
コトギは首を横に振った。
「近くに気配は感じられない。七年も前だから、みんなもう成仏したか、あるいは別の場所で彷徨っているか……」
「そうか……」
と、二人が話していた時。
突然周囲から草の根をかき分けて近づいて来る者が現れた。
「おらっ! お前らこんな所で何やってんだ!」
そう怒鳴り散らしてきた者は、ボロボロのコートに伸ばし切った髭を蓄えたみすぼらしい男。
「ガキが人んち荒らしてんじゃねえぞ!」
さらに男は二人に近づき威嚇を繰り返す。
見たところ外国人のような顔立ちだが、流暢な日本語を話すあたり日本の生活が長いと思われる。
怒気に満ちたその男に、コトギは腕を組みながら反論した。
「人んちって……ここはあなたの所有地でもないでしょう?」
「うるせえ! 人が寝泊まりしてる場所に無断で入ってきやがって。訴えるぞ!」
と、自分の事を棚に上げながら理不尽に二人を責め立てる男。
コトギは呆れた様子で、なおも反論した。
「どうぞご自由に。言っときますけど私達はちゃんと許可をもらって来てるんです。これでも警察の関係者なので。あなたこそ、無断でこの場所を寝床にしているなら不法侵入の容疑で警察に通報しますよ?」
「えっ、警察……?」
コトギの『警察』という単語により、先程まで強気だった男は急に委縮してしまった。
「いや、ちょっと待ってくれ。勝手に入ったのは謝る、すまん」
形勢が逆転したところで、小さくなった男にコトギは尋ねた。
「あなたは一体何なんですか?」
「いや、俺はその……人里にあぶれたしがないホームレスだよ。住む場所がないからここを寝床にして、山で採った山菜を売りながらその日暮らしをしてるんだ。だからその、ここを追い出されると生活が、な」
「違法は違法です」
口ごもりながらコトギの正論を平謝りで返す男。
「そもそも生活に困っているのなら、町の福祉施設に相談して自立支援センターでも紹介してもらって下さい。最低限の生活保護はしてもらえるはずです」
「いや、それは手続きが面倒くさい……」
「つべこべ言わない!」
完全にその場の主導権を握ったコトギは男を立ち退くように説得した。
「わかったよ。今荷物まとめるから、だからその、警察には内緒で、な?」
ようやく折れた男は、室内にある私物を片付け出す。
二人がそんなやり取りをしている中、再び気分が悪くなってきたレオはその場に蹲る。
その様子をコトギは心配そうに見つめた。
「レオ君、大丈夫?」
「ああ……ごめん。ホント大丈夫だから」
すると、荷物をまとめていた男はレオに近づき、
「兄ちゃん、気分悪いのか? 俺、薬持ってるからやろうか?」
心配した面持ちで彼に語りかける。
「いや、ホント大丈夫なんで」
「無理すんな。今薬持ってくるから」
そう言いながら、男は地下室の扉を開ける。
「あ~この中にあるんだけどよ。ちょっとデカい荷物も一緒に置いてるから手伝ってくんねえか?」
「えっ、じゃあいいですホントマジで。この中入りたくないんで」
「いや頼むよ。俺一人じゃ運べないから」
と言いながら、男は半ば強制的に地下室へとレオをいざなう。
コトギが「私が行こうか?」と尋ねるが、レオは首を振り、仕方なしに男に続いて梯子を降りる。
だが、その時。
突然男は梯子にかけたレオの足を引っ張り、そのままレオは地面に強く打ち付けられた。
「ぐあっ……!」
軽い脳震盪と共に、受け身を取れなかった腰に激痛が走る。
「レオ君!」
心配するコトギを無視して、男は梯子を上り扉を閉めると、近くにあった岩石を置いて閉じ込めた。
「あなた、何するの!」
男の悪意ある行動にコトギは戸惑う。
「はは、だってよう、久しぶりの若い女だぜ? 食わねえわけねえよなあ!」
その表情は、先程の様子とはまるでかけ離れた、狂気に満ちた顔だった。
下卑た笑いを浮かべながら、男はコトギににじり寄る。
あまりにも豹変した男の姿にコトギは生理的恐怖を感じた。
そんな時、地下から叫ぶレオの声が耳に届く。
『コトギさんっ、逃げて!』
ここからでは助けに行けないレオは、せめて彼女を逃がそうと。
『僕は大丈夫だから、早くっ、人のいる場所まで!』
「……レオ君」
コトギは奥歯を噛み締めながら、迫る男に背を向け全力で走り出した。
(待ってて、絶対助けに行くから!)
そう思いながら、来た道をひたすら逆走する。
だがそんなコトギを、男は巨大な鉈を持って追いかけてきた。
「おいおい、鬼ごっこか? 俺はチェイス得意だぜえ?」
初めて会った時は老人のような動きをしていた男だが、コトギを追いかけるその様はまるで老いを感じさせない軽やかな足取りで彼女に迫る。
人のいない山中で突如、命がけの追いかけっこが始まった。