三話 無機質刑事と新米刑事
魔女が去ってから間もなく、入れ違いでカメラに映っていた男女が入店してきた。
「……いらっしゃいませ」
ヤエカは無愛想ながらもマニュアルに従って入店した二人に対応する。
すると後ろにいた女性がスッと前に出るや否や緊張した様子で自己紹介をしてきた。
「は、初めまして、私は菜夏 友恵と申します。失礼ですがあの……立河上 八重香さんでいらっしゃいますでしょうか?」
「違います」
と、即答で彼女に嘘をつく。
「え、そんな……あの、鉤島さん?」
予想が外れた事に慌てながら、彼女は隣りの男に助けを求める。
男は軽く溜息を漏らしながら、気怠そうに口を開いた。
「初めまして、立河上さん。県警から来た鉤島です。彼女はまだ現場入りして日が浅くてね、こういうのに慣れていないんだ。あまり意地悪しないでくれ」
男は無表情ながら淡々と話を進める。
ヤエカも、この男には冗談は通じないと思い素直に謝罪した。
「ごめんなさい」
「えっ、意地悪したんですか? ひどい!」
「あなたとの会話は要領を得なさそうだったから……」
「鉤島さん、この子失礼です! あたしのほうが年上なのに」
と、菜夏は完全に見下したようなヤエカの態度に不満を訴えるも、鉤島はそれを軽く受け流しヤエカに尋ねる。
「立河上さん、今日は君に話があって来たんだ。少し時間をもらえないか?」
予想はしていた。
この店に刑事が来るという事は十中八九自分に用があるのだと。
そしてそれは、二日前に起きた神室の水死体の件について。
おそらく警察も七年前の事件と関係があると踏んだのだろう。
そんな事を思いながら、ヤエカは軽く頷き二人分のコーヒーを淹れる。
店にクローズの看板を下げると、ヤエカはケータイをカメラモードに切り替え二人の座るテーブルに腰を掛けた。
「それで、話って?」
「二日前に起きた事件についてだ」
「ああ、あの水死体が発見された……」
あまり自分の持っている情報を警察にリークさせたくないヤエカは、適当に事件の様子を話してお引き取り願おうと思っていた。
しかし。
「勿論その件についても関係はあるが、俺が聞きたいのは別だ」
鉤島の意外な反応にヤエカは眉をひそめる。
「あまり大きく報道されなかったが、同日、とある男子高校生が同級生をナイフで刺した事件があっただろう。君がそれに関与しているんじゃないかと思ってね」
ヤエカは一瞬戸惑う。
(何故分かったの? 彼のケータイの履歴は私の電子操作で全部消した。仲介した人間も自分が不利になる事をわざわざ口外しないはず。とすると……例の、彼のネットで知り合った人間が?)
様々な思考を巡らせながら、ヤエカは鉤島に答えた。
「どうして私が?」
平静を装いながら白を切る。
すると、鉤島はある人物の名前を挙げた。
「渦芽 響香という名前は知っているね? 七年前、君と同じく監禁されていた人だ」
ヤエカはその名を聞いてピンときた。
七年前の事件において、ヤエカ、レオ、そして亡くなった神室と同じく保護された生存者の一人である。
やはり、この男は七年前の事件を調べている事が窺える。
だが、それとあの高校生の事件がどう関係があるのか謎だった。
ヤエカは何気なく返事をした。
「ええ、それが?」
「俺達は七年前の事件を今も追っていてね、もう一度当時被害に遭った人間に話を伺っていたんだ」
「だろうね。警察が私を訪ねて来るなんてあの事件の事以外ないし。で、それと高校生の事件がどう関係してるの?」
ヤエカの反応に、何かを考える素振りを見せながら、鉤島は話を続けた。
「実は君に会う前に、渦芽さんに会って来たんだ。そこで少し面白い情報を得てね。なんでも、君は密かに情報屋を営んでいるとか」
その話を聞いたヤエカにある疑念が生まれる。
(まさか彼女が私の情報を流したの? あの事件以来全く関わりはなかったのに何故、どうやって知ったというの?)
そう思いながら、しかし心当たりのある彼女は、当時の渦芽 響香の事を思い出した。
七年前、骸惰によって山小屋の地下施設に監禁されていた頃、自分を含めた他の人間は生気を失ったような、虚ろな目をしていた。
いつ自分が殺される番なのか、身を震わせながら過ごした四週間。
その中で、唯一キョウカだけは恐怖も絶望もない面持ちで、むしろこの状況を楽しんでいるようにヤエカは思えた。
まるでゲームでもしているかのような、不気味な余裕。
そんなある日、骸惰が小屋を離れた時を見計らって彼女は言った。
『あたし、そろそろ飽きたからここ出るね』
そう言って、頑丈に施錠された鉄格子の鍵を細い針金で解錠し、外にいるかも知れない骸惰を警戒もせず落ち着いた様子で抜け出した。
ヤエカはその場に残っていたレオと神室を連れ、彼女の後に続いて脱出する。
事実、彼女のおかげで監禁された部屋から脱出する事が出来たのだ。
しかし、同時にヤエカは骸惰とは別の恐怖を彼女に抱く事となる。
ヤエカがしばし黙り込んでいると、再び鉤島は彼女に問う。
「同級生を刺した高校生から話を聞いたところ、どうやらその少年は『カトブレパス』という情報屋に頼んでストーカー行為の手助けをしてもらったらしい」
手助けをしたわけではない。そう言いそうになる気持ちを堪え、彼女は寡黙を通した。
「その『カトブレパス』と名乗る情報屋は、ネットで調べても絶対に検索出来ないウェブの深層に身を潜めているとされている」
鉤島は話を続ける。
「今回、渦芽さんから聞いた内容を辿って色々調べてはみたけど、有力な情報は得られなかった。それに彼女は君を『カトブレパス』とは言及していない。だから今から言うのは俺の勝手な憶測だ。間違っていたら謝ろう」
相変わらず表情を変えない鉤島に魔女とはまたテイストの違った苦手意識が芽生えるヤエカ。
「君が『カトブレパス』なのか?」
突き刺す一言に、焦りが生まれる。
「憶測のわりにずいぶんと自信あり気に私を指すじゃない?」
だが、そんな気持ちを払拭したいヤエカは強気な口調で抵抗する。
しかし、ヤエカの言葉に、鉤島は意外な反応を示す。
「いや、これは自信じゃなくてただの願望だ。君がそうであってほしいという願いだ」
そんな鉤島をヤエカは疑問に思う。
「なんで私であってほしいの? そんなに私を逮捕したいわけ?」
「そうじゃない。どちらかと言えば協力してほしい」
その返答にますます答えが分からなくなるが、ヤエカよりも鉤島の言葉に疑問を抱いたのは隣りにいた菜夏だった。
「ちょっ……鉤島さん? 何言ってるんですか?」
思ってもみなかった上司の反応に声が裏返る菜夏。
鉤島は続ける。
「この事は上層部に報告していないし、するつもりもない。だから、もし君が『カトブレパス』だとしても逮捕状は出さないし出させない。身の上は保証しよう」
「あなた警察なのにそんな事していいの?」
「小さな秩序を守っても、大きな被害が止まらなければ意味がない。俺はどんな手を使ってでもあの凶悪犯を捕まえたいんだ」
表情は一切変わらず、しかし鉤島から発せられる言葉には力強さがあった。
ヤエカ自身、鉤島の話には乗らざるを得ない状況である。
仮に証拠はなくとも警察に疑われているというだけで動き辛くなる。
久我矢の件で直接罪に問われずとも、今まで不正に情報収集をしていた事が明るみに出ればヤエカもただでは済まない。
そして仕事柄、他人を信用してはいけないと思う反面、警察内部に協力者が出来る事にはメリットがあるとも思える。
そもそもここで正体を明かさなければ鉤島及び警察関係者は自分をマークする事だろう。
ヤエカは大きく溜息を吐き、気持ちを落ち着かせようと煙草に火をつける。
その様子を鉤島は静かに見ていた。
「……何? 年齢的に吸っちゃダメな歳じゃないけど」
「いや、吸うんだなと思って」
「鉤島……さんは吸わないの?」
鉤島を何と呼ぶか躊躇しながらヤエカは問うが、
「やめたよ。子供が出来てから」
表情からは見て取れないが、そう返した鉤島の声は、少しだけ暗いトーンだった。
その様子を見て、ヤエカは少しだけ明るく振る舞おうと気分を変えて鉤島に返す。
「へえ~、良いパパしてるじゃん。何? 子供が出来てから奥さんとの主従関係が崩れて肩身狭い思いしてるとか?」
だが、ヤエカが冗談めかして鉤島に言うと。
「やめて下さい!」
急に隣りにいた菜夏が叫んだ。
「軽はずみにご家族の事言うのはやめて下さい! 鉤島さんは――」
「菜夏」
鉤島は興奮した様子で怒鳴る菜夏を静かに止める。
その様子から、何か事情があるのだと思い、ヤエカはその話をやめた。
「ごめんなさい、話が逸れたわね。それで? 鉤島さんは私にどう協力してほしいの?」
「つまり、それは君が『カトブレパス』本人だと公言していると見ていいのかな?」
「ぐっ……」
失言だったと反省するヤエカだが、今更隠しても意味はないと悟り、結局自ら自白した。
「……どうせあなたに違うと言っても、地の果てまで追いかけて来そうだし、早いうちにゲロったほうがいいでしょ」
「切り替えが早くて助かる」
やはりこの男も苦手だと、ヤエカは密かに思う。
根負けしたヤエカはその後、鉤島に今まで自分が集めた情報を提供した。
とは言え、骸惰に並々ならぬ執着を見せる彼女は、みすみす警察に身柄を確保させるわけにはいかないと思い、出す情報は最低限に留める。
「つまり、この骸惰は今日本のどこかにいると思う。これが空港に映っていた映像」
と、ヤエカはパソコンのディスプレイを二人に見せ、骸惰と思われる人物が映った映像をアップさせる。
「あっ、この顔、被害者の情報を元に描いた似顔絵と何となく似てます!」
「当たり前でしょ。私は監禁中、毎日こいつと顔を合わせていたんだから」
ヤエカが少し気分を害している様子を見た菜夏は「あ、すみません」とバツが悪そうにした。
鉤島はヤエカに問う。
「だけどこれは、だいぶ整形しているね」
「まあね。さすがに同じ顔で日本に帰れないでしょう。でも、面影は十分ある。私は忘れない」
断言するヤエカに、鉤島は静かに頷いた。
「私に分かるのは今はこれくらい。後はもう少し時間をちょうだい」
早々に話をまとめるヤエカ。
実際はもっと核心に迫った情報があるのだが、これ以上のネタは心に閉まった。
「ありがとう、十分だ。俺達はそろそろ行くよ」
そう言って、鉤島は席を立った。
そして帰り際、彼女に一言。
「そうそう、明日あたり、風源 レオ君のところにも行こうと思うんだ。もしだったら君も他の、共に保護された子達と連絡を取ってみたらどうだい? 進展があるかも知れないよ」
ヤエカは複雑な気持ちになりながら、
「ええ、気が向いたらね」
そう言って、二人を見送った。
そして一人呟く。
「……今更どんな顔して会えっていうんだよ」
あの事件以来、他の被害者には会っていない。
会おうとも思ってはいなかった。
自分と顔を合わせた時に過去の、掘り返したくない記憶を蘇らせてしまうと思い今まで躊躇していた。
「けど、まあ……」
あの儚げで、綺麗な瞳をした少年の安否くらいは確認しようとヤエカは思う。
あの少年にはせめてこれ以上の不幸が訪れない事を願い。
と同時に、もう一人の女性も頭に浮かんだ。
渦芽 響香。彼女に限ってはこのまま黙認は出来ない。
自分の情報を彼女は知っていた。放置したら、もしかすると自分の障害になり得る。
そう予感したヤエカは、早急に彼女の素性を調べ上げる事にした。