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土曜日

 香苗は久しぶりに、朝九時までベッドの中にいた。毎週土曜はいつも社に詰めていなければならなかったので、六時には起きていた。何せ競馬マスコミだ。彼女の場合、休みは月曜。それ以外はトレセン取材などで、三時には起きなくてはならない。

 とにかく彼女と真先は描写できない夜のおかげで、朝からうざったいほどラブラブだった。

 十時頃真先を送り出し、ろくに化粧もせずコンビニへ繰り出した。若いってのは良いものだ。

 お目当ては競馬新聞。当然自分の勤め先の新聞だ。ついでに清涼飲料水と、栗羊羹、チョコレート、それにストックの尽きたビール等々、買うも買ったり四千円強。

 十九、二十歳の店員兄ちゃん二人が袋詰めに苦労しながら、それでもなんとかまとめられた。

 帰途に着く香苗を眺めながら、二人の兄ちゃんはささやき合った。

「こんな朝っぱらからビールか。それもチョコとか羊羹とかと一緒に。太りそう……てか、気持ち悪いだろ」

「しかし勿体無い。あんな美人なのに」

「競馬新聞も買ってったぜ。いくら美人でも、ちょっとな」

「競馬新聞片手にビールか」

「オヤジっぽいのはなあ……」

 一緒に買ったからといって、一緒に食べるとは限らない。だが、どっかの探偵も言っていたように、人の好みは千差万別である。

 果たして、香苗は羊羹を口に入れては、ビールを飲み、チョコを運ぶ――作業を新聞片手に行っていた。

「人間の問題は解決したけど、お馬さんはどうなるかしらね」

 呟きながら、羊羹をぽんっ、ビールをぐびり。チョコをぽいっ。

 真先と香苗は昨日一日でお互いの誤解もとけて、雨降って地固まるの状態だ。……真先の着替えは輝明の服を借りていたそうだ。

 さて馬の方だが、彼女の呟きは無理もない。鉄板模様。やはり無敗馬二頭、ティアーアップとシンソウレイジョウの存在が大きいが、この時期、牝馬は年齢にかかわらず扱いが難しいとされる。本番でどう転ぶかわからない。

 とりあえず現時点での一番人気、ティアーアップは牡馬相手に四戦四勝の実績と、未出走ながら遡れば“華麗なる一族”へ辿り着く母に、サンデーサイレンス系の父と、血統も申し分なし。さらに、鞍上は三年連続リーディングの期待もかかる堂本猛男。それにデビュー以来、牝馬限定競争に使わず牡馬相手に勝ってきた実績もある。強いて難くせをつけるのなら、ローテーションと気性の不安定さか。

 一月に一戦した後、三ヶ月休養の鉄砲であっても、気性が悪くても、「堂本が乗るなら大丈夫だ」というのがファンの共通認識らしく、単勝二・八倍の一番人気。今後、オッズはまだまだ下がるだろう。

 二番人気は当然、阪神ジュべナイルフィリーズ勝ち馬シンソウレイジョウ。こちらも三戦三勝で評価が高く、オッズはティアーアップとあまり差は無い。さらに鞍上の芳賀は昨年、アプレミディで桜花賞を勝っている。二連覇の気配は濃厚だ。そこから離れた三番人気、クイーンカップを勝った、その名もコールミークイーン。以下、サイレントナイト、ヤングエイジ、ベルヴェーヌと続いて、プティフランソワは七番人気だった。単勝オッズは二十四倍。

「……いくらなんでも、評価が低いわ」

 もともと調教では動くタイプでは無いとは言え、プティフランソワ自体の成績は悪くない。デビューから真先が手綱をとって五戦三勝二着二回。連対率はパーフェクト。時計も悪くない。

「コールミークイーンにはファンタジーステークスで、ヤングエイジにはアネモネステークスで勝ってるのに」

 プティフランソワの勝てなかったレースではティアーアップが出走していた。つまりティアーアップ以外には負けていないのだ。前走のアネモネステークスでは、ヤングエイジを完封しているし、二歳時の重賞レース、ファンタジーステークスではサイレントナイト、コールミークイーン、ナミノキヨフジ等の追撃を一馬身差退けている。それほどの素質馬であり、かつ、まがりなりにも重賞勝ち馬でありながら、七番人気に甘んじているのはつまり、真先が原因かもしれない。なぜなら彼は、プレッシャーに弱すぎる。重賞や一番人気だと結果を出せていないのだ。事実、去年のファンタジーステークスは彼にとって九年ぶりの重賞制覇だった。


 大舞台に弱い真先は、新京都駅で日の出出版社発行の競馬新聞を購入し、阪神競馬場へと持参した。電車内で桜花賞の枠順と人気をもう一度確認し、自分が騎乗する他のレースも同じく確認しておいた。

「真先、ちょっと見せてんか?」

 土曜の最終レースも終わり、明日、何らかのレースに騎乗する予定のあるジョッキーたちが調整ルームへ入る。その途中で、芳賀が新聞を見たいと言ってきた。

「しかしお前も律儀やね。いくら香苗ちゃんトコのやからって、わざわざ買ってくる必要ないのに」

「ほっとけ。大体そう思ってんなら、いつもいつも俺に『見せてくれ』なんて頼むなよ」

「ええやんか。おもろいねんもん、これ。……どれどれ」

 笑いながら新聞を広げると、彼は調教師のコメント欄を読み上げた。

「『良い仕上がり。ティアーアップは世代最強だと思っている。シンザン記念で実力のある牡馬と対戦して、危なげない競馬をした。牝馬三冠も狙える馬。当然負けられない――』やって。堀川センセは相変わらずチョー強気やで」

「ま、猛男も絶賛するほどの馬だしな。でも世代最強か。そうかもな……」

「俺のシンソウレイジョウはどうや? えーと、『相手(ティアーアップ)は強いが、メンバー的に、今年はペースも落ち着くだろうし、そうなったらチャンスはまだ在るだろう』か」

「オヤジさんも結構言うね」

 シンソウレイジョウの管理調教師は、芳賀の父親である。

「小林センセはと……ぶっ! だはははは!」

「な、ひどいよな? いつもの事だとは言え……」

「『馬券を買うならティアーアップから流して、穴でプティを押さえときしょう。もし先行して、場合によっては逃げて粘れたら、儲かりまっせ?』て、なに予想しとんねん! あかんやろ! わはは。……けど、ええなあ。お前は気楽で。俺なんか二番人気やし、親父からはプレッシャー掛けられまくりやで」

 さり気にこんなことを言い出す芳賀だったが、恋人との仲がより一層深まった真先は、大人の反応を示した。

「ほんとにな。なんせ、俺が重賞に乗ると全然人気が出ないからな。いつも気楽だぜ」

 調整ルーム内に長い沈黙が拡がった。

「かわいそうになあ。柊の奴、もう開き直るしか無くなってしもうたんでにゃーか?」

「すごく良い馬は巡ってくるのに、なんで柊先輩って勝ててないんでしょうね?」

「ば、ばか! そんなのお前、『腕がへっぽこ』って言ってるようなもんじゃねえか!」

 ひそひそ話があちこちで始まる。

「うう……そうだったのか。俺はへっぽこだったのか……」

 しゃがみこみ、本気で落ち込む真先を、芳賀が慌ててフォローした。

「そ、そんな落ち込むなや! へっぽこでもええやん! 今へっぽこなんやったら、後はウマなるだけやし! 競馬だけに」

「あんた、それフォローになってないわよ」

 その場に居た猛男が芳賀の頭を小突いた。

「そや! 真先? ほしたらまた合コン開いたるさかいに元気出し――って、オイ! どこ行くねん!」

「合コンなんてキライだあ!」

 今回の事件で、合コンがすっかりトラウマになっていたようで、真先は泣きながら走り去った。しかし、そんなことを露とも知らない芳賀は、

「キライって……楽しんでたやん、めっちゃ」

 ただただ、呆然とするばかり。

「あれはね――」

 そう言って猛男は、じっくりと事の顛末を彼に話したのだった。

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