表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/9

水曜日

 競馬関係者の朝は早い。この日もまだ日も昇りきらない午前四時から、すでに多くの人間が、ここ美浦トレーニングセンターへと集まってきていた。

 もちろん、競走馬のトレーニングと、その取材の為である。

「なんだか、様子はあまり良くなかったな」

 主要な馬の調教も一段落したので、食堂でコーヒーをすすりながら、中手川辰巳は香苗に賛同を求めた。

「プティフランソワですか?」

「プティはいつもあんな感じだろ。そうじゃなくて、ヤネのほうだ。ヤネの」

 中手川はひらひらと手を振った。

「あんなに汚い柊の乗り方は見たことが無い」

「汚い?」

「まったく重心が取れてない。挙句に落馬して、調教助手の田島くんがあとを引き継いだぐらいだ」

「……」

「竹内、なにかあったのか?」

「え? ええ、まあ、少し」

 十年前には天才とまで言われていた真先が落馬した、それほど酷い乗り方をしたのだろう。

 合コンについては、彼女はあまり怒っていない。別に行くのはいい。ただ問題は、それを隠そうとする小細工が気に入らないのだ。

「なににせよ、あいつによく言っとけよ? 俺はプティで勝負するんだからな」

 もしかしたら、言い過ぎたのだろうか。軽い後悔が彼女を襲う。

「……」

 そこで香苗は自分の甘さに腹が立った。

 真先の身から出たさびではないか。……でも。

「帰ってくるな」はやはりキツ過ぎる。甲斐性のうちではないか。とも思ってしまう。

「……」

 やはり甘いのだろうか?

「聞いてるか?」

「あ、はい」


 出馬登録を済ませた小林は、真先を呼びつけて落馬の原因を問いただした。

「一体どないしてん」

「いや、実は……」

 かくかくしかじかで事情を説明していくうちに、小林の顔に呆れの色が広がっていった。

「というわけなんです」

「お前……アホやろ? なんでもっとバレへん様にやらんねん」

「気を付けてはいたんですけど」

「ほしたらなんでバレんねん。そやろ?」

「はぁ」

「そもそもやな、合コン行くって言っとかなアカン」

「それじゃ反対されるじゃないですか」

「だからお前はアホやねん。最初のうちに頭合わせとかなんとか、口八丁で乗り切っとくんや」

「あー、なるほど」

 真先は師匠に感心して頷いた。メモでも取りたい気分だ。

「よっしゃ! こうなったら、お前に女遊びの秘訣を教えたる。高等テクや。よう覚えとけよ?」

 伝授されたテクは真先にとって、あまりに高等すぎて使いこなせそうもなかったので、陽の目を見ることは無さそうだ。

「まあ、こんなとこや。……そもそも、なんで合コンしたんや? 国松を祝うだけとはちゃうやろ?」

 小林が問題の根本を問うと、真先はしばらくモジモジしていたが、やがて口を開いた。

「そろそろかな、と思って……」

「何が?」

「はあ、そのー、結婚です」

「なんで?」

 小林のきょとんとした顔に、真先もつられてきょとんとした。

「なんでって……なんでだっけ?」

 高等テクが彼の頭の中を飛び跳ねている。

「いやいや違う」

 危うく小林に洗脳されかけている自分に気付いて、頭を振った。

「香苗と知り合って、もう二年になりますし。俺たちもちゃんとした大人のつもりですから。しっかりケジメをつける時期じゃないかと」

「ほーお。合コンはつまり、独身最後の羽目外しっちゅーわけか」

「つまるところは、そうです……」

 小林は静かに溜息をついた。

「十年前の、丸坊主のアンちゃんが……そうか……。結婚か」

「……」

「成長してへんようで、してんねやなあ」

 小林は、弟子の成長を噛締めるように、微笑んだ。

「テキ……」

「人生の先輩として、お前にアドバイスをやろう」

そう言うと、小林はゆっくりと椅子から離れ、窓の近くに置いてあるCDプレーヤーのスイッチを入れた。

 張りのある、女性の歌声が広がる。最近流行の昼ドラマ『即! 離婚』のテーマ曲だ。

「結婚はロクなもんとちゃう。せえへん方がええ……」

 外へ、遠い眼をして小林は諭した。

「縁起でもない曲をバックに、そういう事を言わないで下さい!」

 真先はプレーヤーのスイッチを乱暴に切って、続けた。

「とにかく! 俺の決意は固いんですから。そう簡単には揺らぎませんよ」

 さっきしっかり揺れまくってたくせに。と、小林の目が言っている。

「ちっ。つまらんやっちゃで」

「何とでも言って下さい。俺は香苗を愛してるんですから」

「へーへー」

 あさっての方向を向き、鼻をほじりながら聞き流したおっさんは、「ブッ」と一発屁をかまして、

「もー帰ってえーぞー」

 シッシッと真先を追い出した。

「人の幸せ話なんぞ、聞きと無いしな」

「クッ――。むかつく!」

「明日はちゃんとした仕事せえよ」

 結局、仕事ぶりについてはその一言だけだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ