2, 「あの頃の記憶」
「おーい!ちひろ!こっち来てみろよ!」
冬も終わり、心地よい春の訪れをも感じさせる暖かな気温。動物たちもまた、冬眠が終わり活動を始めるには最適な日和だろう。
二人は山の中でいつものように遊んでいた。
「翔くんなにー?」
しゃがんでいる翔君は、川の中をじっくりと見ていた。川の中がサラサラと透き通っていて、とても綺麗なものだった。よく見るとおたまじゃくしも見えるほど透明感があった。
ーーあそこ見ろよ。
翔が指差す方を見る。
「イワナって魚知ってる?その魚がいる川ってとても綺麗ってことなんだよ」
「そうなの?じゃあこの川はとっても綺麗なんだね!」
と、目の前でこの山の自然を自分たちの目で感じながら、二人はそれからも山の中を歩き回った。いつも暇があると二人で近所のこの山に足を踏み入れるのだ。もう何回来たか分からないほどこの山にはお邪魔している。
歩いている足元をよく見ると、ふきのとうやタンポポ、タチツボスミレなどが芽生いていた。少し前まで雪で覆われていたこの山地も時間が経つにつれ、緑と少しばかりの紫色と黄色に彩られて春そのものを感じる。
この山には、たくさんの動物が生息している。よく猿を見かけるが襲われたりしたことは一度もない。この山の動物はみな優しいのだ。
ーーねぇねぇ。
翔は袖を引っ張られて振り返ると、ちひろが数メートル先を指さして、〝猿がいる〟と小声で教えてくれた。
二人は静かにしゃがんでその風景を見る。親猿であろう2匹と子猿が3匹いた。親猿は、元気よく遊ぶ子猿を見守るかのようにジッと我が子を見つめていた。
「あのお猿さん達、家族だね。子供がいるって事は結婚したのかな?」
「猿が結婚するわけないだろ!してないけど...あれは家族だね、幸せそうだ」
二人は、幸せな雰囲気に包まれた風景を見つめながら心を休ませていた。歩き疲れた疲労など、この光景により一気に吹っ飛んでいた。
ーーねぇ、翔くん。
ん?と翔が返事をすると、ちひろは視線を泳がせ、何かモジモジしながら口を開いた。
「あのね、翔くん...。ちひろはね、あんなお猿さん達みたいに幸せになりたいな!だから、これからもよろしくね翔くん!」
翔はなにを言われたかよく意味はわかっていなかったが、幸せになりたい気持ちはちひろと同じだった。
ーーうん。
翔がそう言うと、ちひろはえへへと少し頰を赤らめた笑顔を見せながらそう言った。
お猿さん達にバイバイした後、まだ日は昇っているが沈むと危ないので早めに山を降りる。
そんな日々を二人は過ごしていた。
二人が仲良くなったのは近所にちひろが引っ越して来たのがきっかけだった。家の周りには、なかなか同い年がいない中、翔が六歳の時にちょうど同い年のちひろがやって来たのだ。
初めて会った日から二人はすぐに打ち解け、毎日遊ぶようになった。暇さえあれば遊び、たまに、どちらかの家でお泊まりなんかもした。家族ぐるみでBBQもしたことがあった。
二人はいつも一緒にいて、何をするにも二人でやっていた。近所では『双子の兄妹みたいだ』なんて言われていた。
俺たちは絶対に離れない。いつまでもちひろは俺の隣にいる。それが当たり前だとずっと思っていた。
そう思っていたんだ。
ーー10年前の夏、あの丘でちひろと会ったのが俺にとって最後の当たり前だった。