1 ことの始まり
高校一年生の春休み3日目、私は自分の部屋の荷物を纏めていた。
引越しの話は、数ヶ月前から決まっていて、もうすでに高校の友達には別れを告げている。
離れ離れになるのが寂しいとか、悲しいとか、そういう感情は全く浮かんでこなかった。人なんて、出会いは別れの始まりって言うし、悲しむだけ損だ。
私、冷めてるのかな。昔は、こんなんじゃなかった気がするんだけど。
ダンボール二箱分を片付け終わり、部屋を見渡す。存外ダンボールのサイズが大きかったおかげで、残るはベッドとその布団、机や鏡などの大きな家具類だけだ。
…布団、畳もう。
そう思って、ベッドの布団に手をかけた瞬間、私はその下に何かを見つけた。
紙のようだった。角だけがベッドの影から覗いている。
しゃがんで、ベッドの下を覗き込んでみて、驚いた。そこには、100枚近くの原稿用紙がちらばっていたのだ。小学校の作文の宿題なんかで渡される、あの原稿用紙だ。
ベッドの下でもぞもぞしながら、やっとのことでちらばった原稿用紙をすべてかき集めた。
改めて、その原稿用紙を見る。へたくそな字で、それでも一生懸命に文字が綴られている。
これは…。
それが何か思い出して、苦笑いをした。
それは、私が中学生のときに書いた小説だった。当時は、この物語を書くのに夢中で、授業中もずっと頭の中でその物語を考えていた。いや、考えていたというより、自然に溢れ出していた。物語の続きが、頭の中でいやでも流れ出す。もちろん、いやと思ったことはほとんどなかったが。
懐かしいなぁ。
中学3年生の時まで、受験勉強の合間、合間に書いていたっけ。
これのことを書かなくなったのは、一体いつ頃だったかな。なんとなく、思い出せない。
①と枠外に書かれた原稿用紙の一行目には、間にマス10個分空けたかぎかっこが書かれている。それから一行空けて、3行目から物語りは始まっていた。
『 魔法の国の栄えようは、その周りの国を遥かに凌いでいる。その他、火の国、水の国、風の国、エルフの国、悪魔の国は魔法の国なしでは存在できない程である。シーナは、その魔法の国に住む一人の少女である。彼女はその日、いつもの様に…』
うわぁ…。
さすがにこれは、イタイなぁ。あの時は、あんなにこんな世界に憧れていたのに…今見たらいろいろつっこみたいところしか見えなくなるな。
まず、魔法の国って。いやいや、いきなりファンタジーぶち込むね。そして火の国、…エルフと悪魔?
この世界、地球の生命体どうなってんの?
極めつけは、この主人公らしき『シーナ』という少女。の、名前。
椎菜、しいな、シイナ、シーナ。
いくら憧れていたとしても、自分の名前を主人公にするとか…イタ過ぎる。
数年前の鞠村椎菜さんに言いたいものだな。数年後の鞠村椎名さんは、冷静にこれを見て、引いてるよって。
まぁ、でも…。
この物語を夢中で書いていたあの時が、もしかしたら一番楽しかったかもな。
私は、自分で認めたくないだけで、本当は思ってる。
あの頃の自分に戻りたいと。
そう、私は…今の私は、とてもつまらなくなってしまった。
活き活きしていたあの頃に、本当はとても戻りたく、て……っっっ!?!?
突然、目の前の空間が歪んで渦を巻きだした。
持っていた原稿用紙が、宙に舞い、最初の一枚目だけが手元に残った。まるで、部屋の中で嵐が起きたようだ。原稿用紙がぐるぐると周りを旋回して、私を包む。
「ぐっ!?」
私は勢いに引っ張られて、前のめりになった。
持っていた最初の原稿用紙に、ものすごい力で引き寄せられる。抗おうにも、抵抗するだけ無駄な気さえしてきた。
ゴォッッッ。
一際強い突風と共に、私の全身の感覚がなくなった。
宙に浮いているような、そんな感じがする。突風と同時に思わず瞑った目が、怖くて開けられない。
それもほんの数秒のことで、また再び体に重みがかかってくる。
体中の感覚が戻ってきたときには、私は柔らかい何かに包まれていた。そのまま、しばらくはぶるぶると震え続けてしまったが、それも直に収まった。深呼吸をしながら、ゆっくり瞼を開ける。
一瞬、これは現実なのかを疑った。
がばっと体を起こし、周りを見渡す。そこは、見覚えのないこじんまりとした部屋だった。
コンクリートらしき白い壁、古風な机に、詰まれた分厚い本。机の上の壁には、開き窓があり、カーテンがかかっている。私が座っている…ベッドがある方と反対側の壁には、小さいクローゼットと等身大の鏡があった。上を見ると、天井が斜めになっていて、屋根裏部屋の様な形になっている。
私は、ゆっくりベッドから降りて、鏡の前に立った。
ダサいジャージとシャツ姿から、薄くて白いワンピースに服が様変わりしている。
「わぁ…。」
くるりと回転して全身を確かめてみる。
なんだか大変なことになった様だが、衝撃だったのは最初だけで、今は無性に心が弾む。
ずっと同じ調子で進んでいた私の人生に、かつてない程のアクションが発生したのだ。
鞠村椎菜、16歳。ただ今、異世界トリップ完了、らしい。