A-Z
A日
わたしには、教育係のおばあさまがいる。おばあさまは色々なことをとてもよくしってらっしゃるの。わたしは、おばあさまのはなしてくれる、この世界をつくった神さまのおはなしが一ばんすき。神さまはこの世界をつくったあと、その全部のひみつを一つの宝石にとじこめたんですって。今日もねるまえに、そのおはなしをしてもらおうっと。
B日
わたしは〝きだいのみこ〟なんですって。今日お父さまとお母さまからそう言われたの。そのいみはあまりよく分からなかったけれど、とってもめずらしいことで、そしてとっても大切なことなんですって。「だからもっとお勉強をがんばらないとね」とも言われた。うん、わたしお勉強も、それをおしえてくれるおばあさまもだーいすきだから、だいじょうぶよ。
C日
今日、中庭にある、いつもはピッタリしまっているはずのドアがほんの少しだけあいていた。「このドアはぜったいにあけてはいけない」ってお父さまから言われていたから、しめなきゃっておもってちかづいたの。ドアの向こうがわはうんと暗くって、すきまからジメジメした風がながれてきていた。こわかったからすぐにしめたんだけれど、でも、あのドアのおくにはなにがあるんだろう? ちょっとだけ気になりました。
D日
今日は町でステキな男の人にあいました。その男の人は、私が町におつかいに出かけて、こわい人たちに囲まれてしまった時にあらわれて、そのこわい人たちをたおしてくれたの。とっても強かった。お名前は何とおっしゃるのかしら。聞いておけば良かった。またいつか出会うことができるかしら。ああ、なんだかまだむねがドキドキします……。
E日
あの日……、あの恐ろしい日からしばらくの時が経ちました。ありとあらゆることが目まぐるしく変わっていってしまって、日記を書く暇もなかった。やっと時間ができたので、ここに今までのことをまとめておきます。あの日、私の家は火事にあった。お父さまとお母さまは天に召されました。あの時おばあさまが私をあの家から救い出してくれなかったら、私も今ごろはお空の上にいたでしょう。おばあさま、あの細いお体のどこにそんな力を秘めていたのかしら。普段ちっとも慌てた素振りなんて見せないおばあさまが、私を守るためにあんなに必死になられて……。おばあさまいわく、これから私は〝来たるべき時〟が来るまで、この騒がしい……いえ、にぎやかな町で暮らさなくてはいけないらしい。私、がんばるわ。お父さまとお母さま、そしておばあさまのために。そして、それが〝稀代の巫女〟である私に課せられた使命なら……!
F日
この小さな部屋での生活にも、宿屋でのお仕事にも、やっと慣れてきた気がします。それはそうと、最近気がかりなことがあるの。おばあさまがずっと、部屋の窓から通りを見ているんです。それもとびきり怖い目で。おばあさまは目が見えないはずなのに、その時ははっきりとおばあさまが通りを〝見ている〟って感じられるんです。私がどうかされたのですかって訊くと「何でもありませんよ」ってほほ笑まれるんだけれど、その笑みはどこか辛そうで……。今の私はおばあさまに何をしてあげられるかしら。おばあさまの望むことならば、私は何だってやって差し上げよう。
G日
明日から私はおばあさまと離れて暮らすことになりました。今日、お仕事から帰って来た私の手を取って、おばあさまは「ある人にあなたを預かっていただくことになりました」とおっしゃった。その方はとても裕福なすごい方らしい。明日の朝、私を引き取りにいらっしゃるんですって。それ以上のことはおばあさまは教えて下さらなかった。……本当はすごく嫌。おばあさまと離れて暮らすなんて。私、何とか食い下がろうとして、おばあさまはこれからどうなさるのって聞いたら、おばあさまは「私は大丈夫」とほほ笑まれた。その穏やかな、何もかもを知り尽くしたような笑みを前に、私は何にも言えなくなった。だってそうすることがおばあさまの望まれることなんでしょうし、恐らくこれが、以前おばあさまがおっしゃった〝来たるべき時〟なんでしょうから。……明日は早いらしい。今日はもう寝てしまいましょう。
H日
私を引き取りに来てくれた人は、背の高い男の人でした。フードを被ってらしてお顔はあまり見えなかったけれど、歳はまだそれほどいってはいないみたい。その方は〝谷底のメレディス〟と名乗られた。魔術師なんですって。魔術師の間ではとても著名な方で、王様とも親交があるそうです。とにかくとってもすごい人。そのメレディス様に連れて来られたのは、岩だらけの谷底にある砦でした。辺境の荒れ地なのにそこにはたくさんの人がいて、とても驚いた。みなさんメレディス様のお仲間やお弟子さんたちなんですって。召使いの子もたくさんいて、その中の何人かとお友達になりました。良かった、早めにお友達ができて。明日からのお仕事で分からないことはその子たちに聞こうっと。……それはそうと、私、メレディス様をどこかで見たことがある気がするの。まぁ有名な方なのだから、どこかで見かけていてもおかしくはないわよね。
I日
メレディス様は最近変わったんですって。今日、同じ仕事場の子たちからそう教えてもらいました。何かの研究に大層熱心で、中々部屋から出てこないそう。かと思うと、突然どこかに長い間お出かけになったり……。そういうことはまぁ魔術師としてはよくあることで、以前にも何度か似たような状況になったことはあったらしいのだけれど、それでも、最近は何というか……メレディス様の目つきが変わってしまったのだそう。まるで何かに取りつかれたみたいって言ってた子もいたわ。メレディス様のお仲間たちの間でも派閥が起こっているらしい。それに関しても気をつけた方が良いって、みんなから教えてもらった。……立場があるっていうのも、大変なことなのね。
J日
今日から私がメレディス様のお世話係になることになりました。メレディス様がとうとうお部屋にこもりきりになってしまったので、お食事とかのお世話に伺わないとなんですって。メレディス様のお部屋に入る時、とても緊張しました。不思議な道具がいっぱいで、ちょっと怖かったです。他の魔術師の方たちと同じメニューを持って行ったら「いらない」って断られました。食べている時間がもったいないとお考えなのかしら? 明日は簡単に食べられて、栄養もしっかり摂れるものを持って行って差し上げようかと思います。昔おばあさまが私に良く作って下さったあれにしましょう。……おばあさま、今頃どうしていらっしゃるかしら……。
K日
どうしよう、どうしよう。私、何かまずいことをしてしまったかしら……? 今日メレディス様のお部屋に入ったらメレディス様がいらっしゃらなかったんです。床に本が落ちていたからそれを拾い上げました。本のページを見ていたら、そこに書かれていた文字になんだか見覚えがあって……。私、それを声に出して読んでみたの。意味は分からなかったけれど妙に懐かしさを覚えました。まるで、昔誰かからずっと聞かされていた子守歌を思い出したかのような……。人の気配を感じて振り返ったら、そこにメレディス様がいらっしゃいました。慌てて本を差し出したんだけれど、メレディス様は何も言わずに本を取ってそのまま椅子に腰掛けられた。それきり何もおっしゃってくれなかったから、私は小さい声で謝ってそのままお部屋を出たんだけど……。いっそ叱り飛ばされた方が安心できるのに。メレディス様の強張ったお顔が、少し怖かった。
L日
明日はいよいよです。とても、怖い。
M日
今日、おばあさまから日記帳を渡された。その日起こったことで、伝えるべきだと思うことを書き記しなさいって。一体どんなことが〝伝えるべきだと思う〟ことになるんだろう? それに、一体誰に対して〝伝えるべきだと思う〟と言うのだろう? そう訊ねるとおばあさまは「それはあなた自身が一番良く分かっているはずよ」と言って微笑まれた。おばあさまが考えていらっしゃることは、なんだか時々良く分からない。
N日
私はおばあさまに育てられた。そう言っても過言ではないと思う。それは確かに私にも父や母はいたわけだけど、いつも私の隣にいてくださったのはおばあさまだった。聡明な、目の不自由なおばあさま。私を救って、ここまで育ててくださったおばあさま。おばあさまに何かお礼がしたい。何をすればおばあさまは喜んでくれるのかしら……。
O日
私はある仕事を任せられている。それは、一日一回、大理石の丸部屋に繋がれた男の世話をすること。何かの罰を受けているらしい。その男はずっと眠っている。一度も目を覚ましたことなどないようだ。
P日
今日も大理石の丸部屋に繋がれた男の世話をした。はじめ見た時は生きていないと思った。でも心臓は動いていた。体も温かかったし息もしていた。ちゃんと口元に運んで行ってやれば、物を食べたりさえもする! 何百年も前からこの状態なんだとおばあさまは言った。でも正直言って信じられない。第一、なぜ何百年も前からだなんて分かるんだろう。そんな何百年も前からなんて、誰も生きているわけがないのに――。おばあさまだってそのことを誰かから噂として聞いただけに違いない。
Q日
驚いた。今日男が目を開けたのだ。今まで一度だって目を覚ましたことなんてないのに。目を覚ましても男は相変わらずいつもと同じように大人しく世話を受けていた。唯一いつも通りでなかったのは、私が立ち去る時に男が一言ポツリと呟いたことくらい。私はおばあさまから「あの男とは決して口を利いてはいけない」と言われていたので聞こえなかったふりをした。それに、そんなこと訊かれても私には分からない。
R日
私の目は特殊らしい。人を真っ直ぐに見てはいけないのだそうだ。そのせいか私は、鏡というのを見たことがない。私の目は一体どうなっているのだろう。おばあさまに聞いても、そもそもおばあさまは目が見えないから分かるわけがない。……なのになぜ、おばあさまは私の目が特殊なのだと私に言えたのだろうか。おばあさまは、何をどこまで知っているのだろうか。私のこと、そしてあの男のことを――。
S日
自分の中に誰かがいる。その感覚を私はいつまで経っても拭うことができない。時には、私が私の中にいるその人に縛り付けられているような感覚を覚えることもある。私の人生はきっと、その人に縛られてしまったんだ。
T日
おばあさまに言われてきたことが今日やっと分かったみたい。今日の今日まで、私はこの生活のすべてに馴染めなかった。ひょっとしたら嫌いだったと言った方が合っているかもしれない。この閉じこもった空間も、何もかもを見通しているようなおばあさまも、それだけが私の生活のすべてだという事実も……。でもその思いは今日初めて私が私の〝使命〟を果たした時に消え去った。大理石の丸部屋の、石版に繋がれた男の人……。その人の前に出ると今までの自分が消え去った。まるで自分の中の自分が目覚めたみたい。初めてやる、儀式のような一連のお世話もすぐにできた。まるで誰かにそっと手を添えてもらっていたかのように。
U日
今まで一体何人の少女が時の狭間に飲み込まれ消え去って行ったことだろう。そしてまたそれは繰り返される。他でもないこの私の手によって……。馬鹿げているとは言わない。意味がないとも言わない。何故ならこれが私に課せられたもの、巫女と神、もっと言えば〝稀代の巫女〟である私と神々の英知の結晶〝世界の瞳〟との間で取り決められた運命なのだから。今、私の横で少女が穏やかな寝息を立てている。歴史にならない歴史はこうして延々と繰り返される。いずれ〝来たるべき時〟が来るその時まで……。
V日
正さねばならない。神からの厳命を仰せつかった一族の娘として、私は――
W日
明日私は〝力〟を使う。神々の英知に人間が手を出す……。およそ許されることではない。その後何が起こるかも分からない。だが私の記憶、そして予想が確かならば、きっと……。……私の記憶、か……。私は無知な少女だった。この〝瞳〟を得てそのことを初めて知った。もっとも、〝瞳〟を得てしまったこと自体が無知の動かぬ証拠に他ならないわけだが……。この先どうなるかは分からないが、この日記の後の方に記しておこう。祈りにも似た私の最後の言葉を。すべてがうまくいけば彼女は、私はそのページに辿り着くだろう。もし何かが狂ってしまったら……。いや、それは今は考えまい。さて、今の行動を起こしてすらいない私の想いを綴るのもこのくらいにしておこう。今日はもう寝てしまわねば。明日から起こり得る物事のために。これで何かが変わると良いのだが。いや、変えなければならない。絶対に。
X日
運命とは何と皮肉なことか。まさかあの者がそうだったなんて……。それでもあの子は、私はそれを変えることはできない。それでも私は、この子はそれを貫き通すだろう。抗うことなどできないし、抗ってはならない。それが然るべき運命で、初めから決まっていたことなのだから……。
Y日
今日はとても嬉しいことがありました。メレディス様が今までの研究をやめられるそうです。そうおっしゃったメレディス様は、とても晴れやかな顔をしていらっしゃいました。まるで暗く湿った洞窟の中を長い間さまよって、ようやく抜け出すことができたかのような……。そして私、気づいたんです。あの人でした。思い出した。あの時街で私を助けてくれた人、とっても強かったあのステキな人だったんです、メレディス様は! ああ、ようやく巡り合うことができた! メレディス様、私は一生あなたについて行きます……!
Z日
このページを読んでいるということ、厳密に言えばこのページが存在しているということは、すべてが上手く行ったのでしょう。良かった。これで私も、何の心配も無く眠りに就くことができます。あの、時の狭間に消え去った少女たちももう一度、今度こそはちゃんと自分自身の人生を歩むことができるでしょう。みなの幸せ、世界の平和……。それこそがこの私、神からの厳命を仰せつかった一族の〝稀代の巫女〟の心からの願い。願わくばこの幸せが、この平和が、未来永劫続かんことを……。
――――日記はここで終わっている――――




