殺せない殺し屋の戯言
世の中には正義と悪が沢山存在して、色んなものが渦巻いていて、多分、大義名分なんてものが振りかざされるものなんだろう。
でも、どんなものでも100%の支持率なんて、得ることが出来なくて、いつだって真っ二つに分かれてしまうんだろう。
「だからね、ボクは思うんですよ」
幼馴染み達が時間を掛けて選んだ洋服は、ちょっとフリルが多くて動きにくい。
そっと無駄に触り心地の良いそれを撫でながら、ゆるりと唇を引き上げる。
「死んだって仕方ないって」
細めた視線の先には高そうなスーツを着た男。
皺一つ付いていないそれは、パリッと仕上げられていて、その男にとても良く似合っていた。
洋服の善し悪しは分からないが、気品溢れる男にはとても良く似合っているのだろう。
出会った時に褒めれば、嬉しそうにしていた。
出された紅茶も香りが良くて、冷めないようにしっかりとカップまで温められていて、どこぞの国のマニュアル通りの手順で淹れられている。
ブランド物らしいお菓子達も、可愛らしくて魅力的で、胸と胃の辺りを擽った。
「知ってます?自分のことを無条件で好きになってくれる人なんて、二割しかいないんですよ。後の二割は無条件で嫌ってくるんです」
おっかしぃ、と笑いながら華奢なテーブルに肘を付く。
可愛い色使いのマカロンに、小さな可愛いクッキーに、旬の果物を使ったケーキがボクを見ていた。
軽く息を吐けば、柔らかな湯気を立ち上らせる紅茶の水面が歪んで、湯気が消える。
「因みに残りの六割は、自分の行動で好き嫌いが分かれるんですけど。まぁ、そんなものですよねぇ」
実質自分を愛してくれる人間なんて、出会った中では半分以下なのだ。
どんなに取り繕ったとしても、上部だけの関係であって、根っこの部分で結び付くことはない。
くつり、喉が震える。
紅茶には酷く歪んだボクが映っていて、それに対してどうしようもない笑みが零れた。
***
すっかり冷めてしまったカップに手を伸ばして、その細い取っ手に指を絡める。
高そうなのに薄いそれに、形あるものは壊れるものね、なんて納得してしまった。
細かな細工のされたそれは、一体幾らで手に入れたのだろうか。
今となっては答える人なんていない。
「今日も楽しかった。沢山お喋り出来たもの」
乾いた喉を通る紅茶がふんわりと鼻腔を擽った。
高い紅茶は香りも違うのか、成程、貧乏人にはやっすいティーパックで十分だな。
味の違いは良く分からないが、澄み切っているというか透明度の高そうな舌触りで下を滑り喉を伝い、胃の中へと落ちていく。
「でもお喋りな女の子は嫌われちゃうんだよね。ボク、ちゃんと知ってるよ。本で読んだもの」
指先で可愛らしい小さなクッキーを摘み上げ、ぽいっと口の中に放り込む。
しっとりしたそれは舌の上で溶けて、軽く歯を差し込めばボロりと崩れていく。
これまた高そうだけれど、やっすい牛乳に良く合うようなクッキーの方がボクには似合う。
女の子らしいピンクのマカロンを口に入れるけれど、何だか砂糖菓子でも食べている気分。
ちょっと合わないなぁ、なんて咀嚼してホールケーキを切るためのナイフを探す。
「でも、ボクの場合は好かれる好かれないの問題じゃないのかな。ボクの周りにいるのは幼馴染みくらいだから、それ以外はほぼ背景も同然だもの」
見つけたナイフに手を伸ばして、ほんの少し力を込めて抜き取る。
近くにあった白いナプキンで汚れを拭いて、それを使いケーキを一切れだけ切ってみた。
折角のホールケーキだからそのまま、なんて思ったけれどはしたないよね。
切り取ったそれを片手で持ち上げて齧り付く。
生クリームで手がベタベタになるけれど、それよりも程よい甘さと苺の酸味でいっぱいになる口の中に、意識の全部を持っていかれる。
何これ美味しい。
「それにしても、貧乏人には敷居の高い物ばかりで、この後お腹を壊しそうです」
ぺろり、生クリームだらけの指を舐める。
お行儀が悪い、なんてお説教をしそうな幼馴染みを思い出して、ナプキンで手を拭う。
それから紅茶を一気飲みしてから、満足の吐息を吐き出して胃を撫でた。
流石にこれ全部は無理だよなぁ、お金持ちの考えることは分からない。
目を細めて半分以上が残っているお菓子を見た。
もったいない、なんて思考は貧乏人が持つものなのだろうか。
生まれと育ちの違いを感じるけれど、どうでもいいことだろう、と立ち上がる。
「ご馳走様でした。えぇっと、名前、忘れちゃいました」
落ちて来た横髪を耳に掛け直して、目の前の人物を見たけれど、その人は目を開けなかった。
目を閉じて静かに俯いて、高そうなスーツの襟元を赤で汚している。
とろとろ、とくとく、どくどく、だくだく、流れ出る赤を見ていると、名前なんて凄くどうでもいい事のように思えてきた。
「それでは、今日はお時間頂きまして、有難う御座いました。こちら、置いておきますね」
そっと眠る男の目の前に、袖口から取り出した一枚の紙を置く。
軽いそれは風が吹けば、直ぐに何処か遠くへと飛ばされてしまうだろう。
重石なんて置くことなく、ボクはスカートを揺らして扉へ向かう。
『アナタの全てを終わらせます。最期はどうぞ、御自分の手で』
そんな文字が綴られた紙が、扉を開けるのとほぼ同時に飛んだ。
ひらり、ふわり、まるで蝶々みたい。
「皆ボクを殺し屋って言うけれど、皆勝手に死んじゃうから、殺せないんだよね。本当、死んだって仕方ないってお話ですね」
傾くその体を見て扉を閉めた。
閉まる瞬間に何か重い物が落ちる音がしたけれど、ボクには分からない。
風を含んで揺れるスカートの中で、その足を交互に動かして、帰りを待つ幼馴染みの元へ急ぐ。
今日も殺せなかったよ、そう言うボクを見て、彼らはきっと笑うだろう。