想いを言葉に
バンドやバイトに明け暮れている俺。実は受験生だったりする。自分で言うのもなんだが、もともと勉強しなくとも良い成績を取ってきた天才型の人間だ。だから、こんなにぎりぎりまで受験勉強なるものをしなかった。
今、俺が手にしているのは校外模試の成績。志望校である県外の難関私立大の名前の隣に印刷された「D」の文字。これは一体どういう事だ。
俺は何度も、A4サイズの紙を見直す。当然、結果は変わる訳もなく。勉強不足のせいで成績が落ちた事実を受け止めざるをえなかった。まぁ・・・これまで食い繋いできたストックが切れたのだろう。自覚できるくらいに、ここ半年以上は勉強してこなかった。夏実と話せなくなっても半年は、それなりに参考書くらいは開いていた。けれど夏実との「K大へ行く」って約束、もう守る理由がない。そう気付いてしまってから、努力は一切やめた。どうでも良かったんだ、何もかもが。自分の将来だって興味を持てなかった。
教室内にはクラスメイトの声が飛び交い、結果について話していた。どうも結果が良かった人間が多いらしい。受験大学のランクを上げるかどうか、なんて言葉が聞こえてくる。
「やべ・・・勉強しなきゃな」
勉強って正直、嫌いなんだけど。ひたすら問題を解いて、とりあえず難関の大学を目指すとか・・・有り得ないし。でも、親がうるさいし。
「愁。成績どうだった?」
目の前にあったはずの紙が取り上げられて、見えたのは濃紺のブレザー。顔を上げると、見慣れた友人の目と合った。硬派の友人は、その整った顔を僅かに歪めた。
「勝手に人のを見るなよ」
俺は成績の書かれたそれを映児の手から引っ手繰る。
「お前・・・大丈夫かよ」
「別に」
「去年まで学年上位で、難関のK大だって余裕でA判定が出てたのに・・・。これ、何だ?」
まじまじと顔を覗き込まれて俺は目を反らした。何か、痛々しいものを見るような視線に耐えられなかった。
「古暮のせい、か?」
「違ぇよ」
「でも、あいつとお前が一緒にいなくなってから・・・愁、おかしい」
「だから、関係ねぇ」
映児の言った事は図星だ。けれど、夏実の事には触れられたくなかった。まだ、心の傷は塞がらないまま。寧ろ、だんだん広がっていた。名前を聞くだけで、ずごく胸が痛い。何かに八つ当たりをしたい程に、苛立つ。時間が全てを解決するって言うが、そんな事はない。忘れられない想いは消える事もなく自分の中で生き続け、事ある度に心を傷つけていく。
「俺ら、友達だろ?愚痴くらい、いくらでも聞いてやるから。無理するな」
憐れみを含んだ言葉は俺に刺さる。優しさが痛かった。何もかもが痛みを生んで、俺を壊す。
「本当に何でもないから」
遣り場の無い気持ちが溢れてしまわないように、ゆっくりと告げた。
「分かった。でも」
「何」
「俺の事、もっと頼れよ」
薄く微笑んだ映児の顔が少し滲んだ。
「さんきゅ」
自分を心配してくれる人がいる。その事実に救われた気がした。今は痛いだけの優しさが、いつか素直に受け入れられるようになったら。その時は「ありがとう」って、ちゃんと言おう。ドロドロした想いも、夏実への慕情も全てを話そう。そして、とりあえず・・・勉強しよう。そう思った。
冬の冷たい風が春の匂いをいつか連れてきてくれる事を、俺は切に願った。
猛勉強し出すと、突然思い浮かぶって・・・どういう人間だ。
「君がいない世界は色褪せている」
その言葉を皮切りに、頭の中にはメロディーとともに歌詞が浮かび上がる。それは今まで隠してきた想いと、離れた日々が綴られていて。まるで自分が書いているとは思えないくらいに進んでいく。クリスマスまであと一週間。街は赤と緑で華やかに彩られ、軽快な音楽が店からは響いている。恋人たちは肩を寄せ合いショーウィンドウを眺め、子供たちは浮ついた雰囲気に呑まれて喜んでいた。とある日の風景。それが輝いて見えるのは何故だろう。歌詞を書き終え、山本先輩にそれを渡した俺は、小さく笑みを零した。
ライブハウスの中はクリスマスショーに向けた準備で慌ただしい。しかし、それが煩わしいと思う事はない。
「愁。読ませてもらったよ」
「どうでした?」
「良いと思うよ。若いって感じで。新鮮だな」
「ありがとうございます」
俺は頭を下げた。そんな姿を朝樹さんや功さんが微笑ましそうに見つめている。
山本先輩は「もうピアノで曲付けてみたけど、聞くか?」と、にやりとした。
こくこくと頷く俺を手招きし、先輩はピアノの前に座った。細くてしなやかな指が鍵盤の上を踊り出す。
奏でられる音は優しくて少し切ない。いつも歌っている曲とは全然違う、しっとりとしたバラードは俺の心を静かに包み込む。哀しい恋の歌じゃなく、静かな祈りの歌。クリスマスが織り成す1つの物語が、先輩の手によって、声によって紡ぎ出されていく・・・。
頬を一筋の涙が伝った。
最後の音を弾き終わった親指が、ゆっくりと鍵盤を離れた。と同時に部屋に響く拍手の音。俺も手が麻痺するくらい叩いた。形さえなかった想いが、今こうして先輩の力を借りて歌になった。感動って言葉で括りつけたくない。もっと深い・・・そう、感謝が身体を動かしていた。
「どう?」
「最高です。ありがとうございます!」
俺は涙を拭って笑った。寄って来た朝樹さんにからかわれながらも、晴れ晴れとしていた。ささやかな幸せが、ここにある。
「この曲、駅前で歌おうな」
そう言って、俺の頭をくしゃくしゃと撫でた先輩の手は優しかった。