どこまでも噛み合わない
いつものように夏実を家まで迎えに行ったら、今日は早く出かけたと彼女の母親に告げられた。学校で喋りかけたら、心底怒ってますという顔をして無視された。帰りは帰りで放っていかれるし、携帯に電話しても出てくれない。LINEは、既読無視。
理由が分からない。
俺が一体何をしたのか。皆目見当も付かないのだ。だからと言って何に対して怒っているのかを聞こうとしても、相手にしてくれないものだから、どうしようもない。俺は途方に暮れた。
今までも何回か喧嘩はした。けれど、大抵はちゃんとした理由があったし、夏実も無視はしなかった。何故今回は違うのか。考えれば考える程、泥沼に嵌っていく。悩めば悩む程、睡眠時間も減っていく。あっと言う間に過ぎ去った一週間のうちの睡眠は合計で十時間くらいだろう。まったく、そんな自己記録更新はいらないと思う。
夏実と一緒にいられなくなってから、俺の世界は色褪せていた。今まで楽しかった事も、面白いと思っていた事も、夏実がいなければ全てが意味を成さなかった。馬鹿みたいに頑張っていた生徒会の仕事も手付かずのまま。勿論、先輩たちに怒られて詰られた。けれど、そんな苦痛な事だって、心が全く反応しなかった。言葉が耳を通って脳を横切り、また耳から出ていってしまう。何を言われたのか、何をしてたのか、分からないくらい、俺は一気に駄目になっていった。
そんなある日。
突然、夏実がLINEを送ってきた。
『私、一個上のバスケ部の先輩に告白された。愁も可愛い彼女と仲良くね。じゃあ』
素っ気なくて絵文字もない、それでいて破壊力のある内容が俺にぶつかる。
先輩・・・?付き合う・・・?どういう事?ていうか、彼女って誰の事だよ。
頭の中には最早疑問符しか浮かばない。俺の思考回路は事実を認めたくなくて停止していた。これは夢なんじゃ・・・と頬を強く抓ってみたが痛かった。
「夏実・・・」
未練たらしく口から零れたのは、愛しくて仕方ない彼女の名前。少し喋れなかったくらいで何もできなくなる程に大好きだったのに。突然、これかよ。
『俺、彼女いないから』
『今更嘘言わないで』
『本当だから』
『もう信じられない』
『分かったよ。勝手にすれば良いじゃないか』
売り言葉に買い言葉。俺は突き放すような返事を送る。それが俺と夏実の別れの決定打となると分かっていても、張り裂けそうな胸を抱えて平静を保つ限界だった。
『分かった』
怖いくらいに短い返事がすぐに届く。俺は、その文字を何度も目で辿った。もう、何もかもがどうでも良かった。
人間の心って、案外脆いんだ。
俺はそう思う。どんな人間の心だって、ガラスでできているんだろう。強そうに見えても、ちょっとした事で簡単に崩れてしまう。今の俺がそうだから。粉々に砕けた心に風が吹くのを感じながら、止まる事のない涙を一人流していた。
しばらくして、俺は長身で美形の男と歩く夏実を見た。嬉しそうに喋る彼に笑顔を向けている。寄り添って通り過ぎる二人を、俺は目で追う事しかできなかった。
そして俺も、色んな女と恋愛ゲームをして淋しさを紛らわす日々が始まる。けれど、結局は長続きする事無く、ゲームも諦めた。調子の良い言葉で女を喜ばしても、俺の心は隙間だらけで虚しくて。むしゃくしゃして女を抱いてみようかとも思ったが、本気でもないのに抱くなんて器用な真似は、俺には無理だった。自分の不器用さを露呈しただけで、結局は何の収穫も無かった。馬鹿じゃね?映児に言われたが、全くそうだと思う。無駄な事を繰り返して、自分を傷つけているだけだ。それなのにやめられないのは、淋しいから。その場限りの温もりに縋りつきたかっただけなのかもしれない。
悶々とした時間はゆっくりと、そして確実に過ぎていった。