片想いは辛い
「愁って、やっぱ古暮の事が好きなの?」
「ぶっ!!!」
クラスメイトの予期せぬ言葉に、俺は噎せた。口に含んだばかりのイチゴオレがスプレーの如く撒き散らされ、瞬く間にカッターシャツと机の上のプリントに滲んでいった。
「うわっ、きたね。大丈夫かよ」
そんな言葉を聞きながらも、気管に入った液体に俺は咳込む。苦しいなんてものじゃない。地味に涙が出てくるし、喉は痛いし。
「映児。な・・・なんで、急に・・・」
ようやく落ち着いてきた俺は、そいつに尋ねた。
「お前と古暮っていつも一緒にいるから」
「それは中学二年からずっと同じクラスだからだって。俺たち、ただの友達だぜ?」
過去に何十回と繰り返された質問にお決まりの文句を告げてやると、映児は意地悪く笑みを浮かべた。
「ふぅん・・・。ならさ、一つ頼まれてよ」
嫌な予感だ。こいつが、こんな風に猫撫で声で頼み事だなんて、何か裏があるに違いない。例えば、夏実との仲を取り持ってくれ。だとか。そんな事、絶対に願い下げだ。そのせいで俺は幾度となく、彼女からの制裁を受けているのだから。そろそろ本気でヤバいと思うし。第一、なんで好きな女が他の男と付き合う算段をしなければならないのか。最早、いじめだと思う。
「俺の先輩でさ、古暮に一目惚れしちゃったらしくて。仲を取り持ってほしいって頼まれたんだよ。先輩の頼みだから断れなくてさ。分かるだろ?先輩の命令は絶対だから。って訳ですまん!頼む!!この通りだ」
映児は大袈裟な振りで、頭を下げて拝んでいる。
俺は盛大に溜息を吐くと、教室のドア付近に見える夏実に目を遣った。性格はどうであれ、一目惚れしたあの日から四年目。彼女は日に日に美しくなっていた。学年の男子のダントツ人気№1で、他学年や他校にもファンがいるくらいに。こんな話、うんざりするくらい回ってくる。なんせ、俺が関わらないように過ごしても、気付けば夏実が寄ってきて一緒にいるのだから。妬みや恨み、その他諸々を俺は一身に受けている。煩わしくて仕方ないが、その状況は自分自身、不快に思っている訳じゃない。
頼み込まれて困っている映児には同情しながらも、俺はさらりと断っておく。
「・・・何度目だよ、その頼み事。いい加減、断れって。つぅか俺、やだね。めんどくせぇ。その先輩に、自分で言えばって言ってやれば良いじゃん。うまくいくかもしれないし」
「そんな事言うなって!ほら、一週間昼飯奢ってやるから。な?」
「よく考えろ。あの夏実だぜ?『人伝に言ってくるだなんて意気地無し、私は嫌い』ってフラれるのがオチだ。ほら、前にお前に頼まれて伝えてやったら、そう言った上に「あんたも同罪」って、意味無く俺は平手打ち。覚えてるだろ?結構痛かったんだから、あんなのは二度とごめんだ。正々堂々言わなきゃ、あいつは取り合ってもくれないんだよ。てか、俺に頼まずお前が言えば?んで、殴られろ」
零したイチゴオレをハンカチで拭きながら、あくまで冷静に言ってやる。というより、それが事実なのだから仕方ない。気の短い夏実の事だ。今度は平手打ちだけで済むとは思えない。「絶交」だなんて言われて無視されたら、俺が死んでしまう。考えただけでも痛い。いや、平手打ちも十分痛かったが。昔テニスをやっていたせいか、夏実の腕のストロークって無駄に綺麗で力があるんだよな。あ~、なんだろう。頬の痛みが思い出される気がする。
「何言ってんだよ。お前でそれなら、俺が言ったらシカトされて終了だろうが」
必死になっている映児の顔はほんのりと赤く染まってきていた。自分の事じゃないのに、よくそこまで真剣になれるな、と親友(仮)を眺めてみた。お人好しで面倒見が良いから、周りの人間に体良く使われ、でもそれを断れない馬鹿な奴。そんなこいつとは、高校入ってから今までずっと仲が良い。俺の唯一とも呼べる、まともに会話するクラスメイトだ。他の話ならいくらでも聞いてやるんだが・・・。
「・・・やっぱ無理。次は俺こそ絶交される。その先輩に言っとけよ。直接言わなきゃ、どうせ問答無用でフラれるってさ」
「・・・・・・だよな。お前も大変だもんな。悪かったよ」
映児は人懐っこい笑顔を向けて言った。「大変」にアクセントを付けて。勿論、「何が」の内容までは言ってくれなかった。きっと大した事ではないのだろうが、何故か気になってしまう。
「いや、俺こそ役に立てなくて悪かった」
「良いよ。多分こうなるんじゃないかと思ってたし。
・・・あ、お前もさ。そろそろ素直になれよ。意外と向こうも待ってんじゃねぇの?」
「は?どういう・・・」
「お!やべっ。俺、次の数学の解答、黒板に書かなきゃ。んじゃ」
言いたい事だけ言って走っていった映児の背中を、俺はただ見送っていた。頭の中ではさっきの言葉が繰り返される。
『そろそろ素直になれよ。意外と向こうも待ってんじゃねぇの?』
そう言われた時、心臓が大きな音を立てた気がした。映児の意図する事が、夏実の事だと直感的に思ったのは、俺が過敏になりすぎているからだろうか。「友達」というスタンスを取り続けてきたというのに、彼に自分の心の内を見透かされたように思えた。
けれど、「意外と向こうも待ってんじゃねぇの?」の言葉が引っ掛かる。
「アイツは俺の事、何とも思ってないっつうの・・・」
叶うはずのないこの想い。ずっと、このままで良いと思っていた。夏実が俺の隣にいてくれるのなら。アイツが好きなのが俺でなくとも、別に構わない。もう何年も片想いをしてきたんだ。今更・・・。
そうは思っても、苦々しくて、唇が歪むのを感じた。
始業のチャイムと共に、俺の身体は思考から解き放たれる。あるべきはずの日常を過ごすために、俺は机から数学の教科書を出したのだった。
風が窓から迷い込んで、優しく髪をそよがせた。けれど、俺の心は淀んだままになっている。