やっぱりキミが好き
膝が、がくりと折れた。身体はバランスを失って後ろによろける。俺は勢いよく尻もちをついた。
俺はそのまま倒れて大の字になった。背中が体温で溶けた雪で濡れていく。明日は絶対に高熱出して寝込むだろう。冷静に予想しながら、今日何度目かの吐息を吐いた。
「長かった・・・」
そう、思えば全ては中学生の頃から始まった。あの時、あの笑顔を見なければ、こんなに愛し過ぎて苦しむ事もなかった。今頃、手近な女と付き合って、適当に人並みの経験だってしてただろう。神が運命というものを定めているのなら、神というのは残酷だと思う。どうして俺と夏実を出逢わせたのだろう。叶わない恋と知っていたら、手を伸ばしたりしなかったのに。・・・いや、それでも俺はきっと、夏実を好きになっていたんだろうな。
溶け出しそうな想いに蝕まれる。考えれば考える程、虚しい。後悔は無くても、心に空いた穴を埋める術を、俺は知らない。
「・・・もう疲れた・・・・」
身体が冷え切って、歯がかちかち音を立てる。なんだか眠くなってきた。
このまま死ぬのかな。
そうだとしたら、明日の新聞に『男子高校生、公園で謎の凍死』なんて見出しで掲載されるに違いない。ワイドショーでも取り上げられるのだろう。マスコミに過去を探られて、詮索されて、面白おかしく記事にされる。まぁ、それも悪くはないな。母さん、父さん。ずっと迷惑かけっ放しなのに、死んでからも迷惑かけてごめん。山本先輩、朝樹さん。こんな俺のために、心配してくれてありがとう。楽しかった。映児。友達でいてくれてありがとう。お前は俺の親友だよ。そして・・・。
「夏実、最後まで愛したままでいさせて」
さよなら。ありがとう。幸せになれよ。
俺は世界を目に焼き付けて、ゆっくりと瞼を閉じた。
頬が熱い。どうしてだ・・・?あれ、俺ってマジで死んじゃった?・・・そのわりには寒いんだけど。
俺は目を開けた。空からは相変わらず雪が落ちてきている。
「まだ死んでないのに・・・おかしい」
「馬鹿じゃないの、あんた」
・・・?何でだろう。夏実の声がする。とうとう幻聴まで聞こえるようになったのか・・・。もう幾ばくも俺の生命は保たないのかもしれない。
「そんな所で寝てるんじゃないわよ、愁」
「あれ・・・また幻聴が」
「訳の分かんない事言うな!このどアホ!!」
ばちぃん。
目から火が出るんじゃないかというくらいの痛みが、俺の頬を襲う。あまりの痛みに飛び上ると、能面みたいな顔をした夏実が目の前に座っていた。
「な・・・夏実?」
呆けて名前を呼ぶ。すると、ものすごく苦々しい表情で、夏実に睨まれた。
「何寝ぼけた声を出してるのよ。・・・それに、こんな所で凍死されたら、こっちが迷惑なんだけど。馬鹿」
「悪い・・・」
神様っていうのは、やっぱり残酷だ。もう諦めようって思った時に、最愛の人に会わせるなんて。しかも、みっともない姿で。
「あんな告白を道中で堂々とした後に凍死なんて・・・許さないわよ」
茶褐色の瞳に、怒りの炎が見える。パチパチなんて可愛らしいものではなく、メラメラ聞こえてきそうな感じ。
「お前・・・聴いてたの?あれ」
様子を窺いながら尋ねれば、ぷいっと顔を大きく背けて
「何か悪い?」
夏実は喧嘩腰で言葉を紡ぐ。久しぶりに見るその姿さえ、俺にはとても愛しかった。目の前に彼女がいる。これがたとえ幻だったとしても、幸せだ。
「前言撤回。神様は優しい」
強張った顔の筋肉は上手に動かないけれど、俺は笑顔を作る。
神様。このまま死んだって、俺、後悔しないと思う。馬鹿みたいな願いが、叶ったんだから。これ以上、何を望めば良いのだろう。
「頭、大丈夫?」
振り返って訝しげに覗き込む夏実の表情に、労りが覗けていた。怒りがどこかに飛んでいくほど、俺は変な事を言ったらしい。そりゃまぁ・・・さっき頭の中で考えていた事に対する独り言なのだから、理解ができないのは仕方ない。だからと言って、説明する気にはなれないけど。
「身体、すごく冷たい」
突然、彼女の手がそっと俺の頬に触れた。手袋をしていないから、指は赤く腫れて熱を失くしていた。
夏実は持っていた紙袋の中から、黒のコートを取り出して、俺に無理矢理に着せた。シンプルだけどセンスの良いそれは俺の身体をすっぽりと包む。
「本当は、お兄ちゃんへのプレゼントだったけど・・・愁にあげる」
「そんなの悪いって。返す」
そう言って脱ごうとした俺を、夏実は制止した。
「また買うから、良い。あんたにあげる」
「・・・悪い」
「そんなに何度も謝るな。何?私といるのがそんなに嫌な訳?」
「違う」
「じゃあ、謝るなよ。昔、そうやって愁が言ったんじゃない」
「それは・・・」
「私、私・・・ずっと、あの日の事を忘れた事はなかったんだから・・・」
夏実の目から涙が零れ落ちる。それは宝石みたいに輝いていた。見ないうちに一段と綺麗になった容貌が、苦しげに歪む。
俺は何も考えずに、夏実に手を伸ばした。さっきまで、会えるだけで十分だと思っていたのに、今は泣いている夏実を抱き締めたかった。
零れた涙を指で掬い取ってやると、夏実は一層顔を歪ませる。
「愁の馬鹿ぁ・・・」
小さい子供のように泣きじゃくる夏実。それは昔と変わらない。どこまでも強気なくせに、泣き始めると止まらない。
「泣くなよ・・・」
零れた声は掠れて、風に流される。真冬に長時間、外にいたせいで喉がイカれてしまったらしい。これじゃあ当分歌も歌えないな。山本先輩に怒られる。俯いて苦笑した。
そんな事を考えてると身体が不意に引っ張られた。驚いて顔を上げれば、至近距離で夏実の髪が見える。
夏実に抱きつかれている。
その事実を脳が理解した途端、身体中がかぁっと熱を持った。背中に感じる抱き締める力や、服越しに触れ合う部分が熱い。
「愁・・・」
くぐもって聞こえる夏実の言葉が骨を振動させる。好きな人の声が身体を震わせるという事が、こんなに嬉しい事だったなんて、知らなかった。こんなにも胸が高鳴って、息ができないくらい緊張するなんて、知らなかった。これが夢だとしても、俺は今、この瞬間を忘れたりはしないと思う。
俺は自分の腕をそっと夏実の背中に回してみた。そうする事が許されるのか分からないけど。彼女の温もりを感じていたい。素直にそう思えた。
雪が降り続く中、俺は泣いている夏実をあやしていた。
しばらくして、夏実がぽつりと呟く。
「ずっとずっと会いたかった」
「え?」
予期せぬ夏実の言葉に、俺は困惑した。とうとう耳がおかしくなったのかと腕の中の彼女を見た。
「愁に彼女ができたって聞いて、もう一緒にいちゃいけないんだって思った。だから、先輩と付き合い始めたけどうまくいかなくて。でもすぐに別れちゃったなんてカッコ悪くて言えないから、先輩には別れた事を内緒にしてもらって、お兄ちゃんとデートしてる所を愁に見せつけたの」
俯いて夏実はそう暴露した。・・・という事は、あの長身の男は夏実の兄貴だったのか。兄妹揃って美形とか、どういう血筋だよ。
突っ込みを入れながら、はた、とある事実に気付く。
「ちょっと待て。俺に彼女なんていないって、言ったじゃないか」
「私が傷つくから嘘付いたんじゃないの?」
・・・は?
俺は頭を抱えたくなった。忘れてた。こいつ、変な風に言葉を解釈して、突っ走るんだった。それにしたって・・・普通、「傷つけないために」そんな嘘吐くと思うか?友達としか見られてない人間にだったら平気で言うだろうに。どういう頭の構造してんだよ。相変わらず訳が分からない。そもそも、俺に彼女ができて何で夏実が傷つくんだ?
「そんな嘘吐かないし、それでどうして夏実が傷つくって俺が思うんだよ。友達以上に見られてないって自覚してるのにさ」
呆れながら返事をすると、夏実はぽかんと口を開けた。どうやら、そんな思考は毛頭なかったらしい。本当に世話が焼ける。
大体・・・それだったら、夏実が誰と付き合おうとヘコんだりしないけど。
「だって・・・頬にキス・・・」
むぅっと膨れた夏実が呟いた。
「あれは勝手に向こうが・・・。てかお前、あれ見たの?」
思い出されるのは去年の牧野さんからの告白だ。初ほっぺチューを奪われたとヘコんだ記憶がある。
「私は見てないもん!友達が教えてくれたの。彩葉ちゃんが愁にキスしてたって。やっぱ絵になるよねって・・・」
「その会話を聞いて、どうして俺が付き合ってる事になるんだよ。あの時、俺は牧野さんの告白を断ったんだ。そしたら『これくらいは許して』って言って勝手にしてきたんだよ。突然だったから、俺は拒否できなかっただけ。分かった?」
苦々しく思いながら、俺は説明する。夏実は目を真ん丸にして口を開いた。
「じゃぁ・・・愁、彼女いないの?」
「ああ」
「私の勘違い?」
「ああ」
「どうしてそれを早く言ってくれなかったのよ~!!!」
思いきり叫ばれて、鼓膜が破れそうになる。抱きつきながら叫ぶな、この馬鹿。痛ぇだろうが。つうか、ちゃんと言ったよな、俺。
「言ったのに、聞かなかったの・・・お前じゃん」
溜息が出る。確かに夏実の事は大好きで愛しくて堪らない。けれど、こういう所は正直勘弁してほしい。心臓に悪い。
「う・・・ごめん」
しゅんとしてしまった夏実を見て、俺は笑うしかなかった。今までの苦しみも何もかもが、どうでも良かった。ただ、元に戻ったんだなと思う。
俺は自分の眼鏡を外して上着のポケットにしまうと夏実の頬を両手で挟み、くいっと持ち上げて上を向かせた。見開かれた目は赤くて白ウサギみたいだ。そっと顔を近づけてみると、彼女は静かに目を閉じた。女の子ってキスされても良いと思うと、ちゃんと目を閉じてくれるものなんだ。どこかでそんな話を聞いた事があるけど、本当にそうなんだな。預けられた身体の温もりを味わいながらも、俺はぼんやりと考える。今まで付き合ってきた女だって皆、そうだった筈なのに、何言ってんだろ。突っ込みたくなるが、好きな女を目の前にして、舞い上がり過ぎて頭がおかしくなっているのかもしれない。
「夏実・・・俺、お前の事がずっと好きだったよ。今も好き。愛してる」
お互いの息がかかる程の場所で俺はそう囁いた。その言葉に夏実は瞼を押し上げようとしたが、俺は唇でそれを阻止する。彼女の鼻や頬、瞼の上を俺の唇は滑っていく。彼女の全てを記憶するために。
夏実は俺をきつく抱き締めて、目を強く瞑っていた。時折、首に吐息がかかって全身が痺れたような感触に囚われた。自分を支えているだけで精一杯になる。
やがて、ゆっくりと唇同士が触れた。小鳥が啄むような優しくて甘いキス。小刻みに角度を変えながら、俺は飽きる事もなく唇を重ね続けた。枯渇した心が満たされていく。このまま二人の境目がなくなって、溶け合って一つになってしまったら良いのに。本気で考えてしまった辺り、俺は相当重症だ。
いつまでも続くキスは、厳かな誓いの言葉よりも神聖なものだった気がする。ずっと夏実を大切にする。心から、願っていたのだから。
夏実とのキスは涙の味がした。
「愁・・・好き」
離れた唇から零れた言葉。その言葉をどれほど夢見て、どれほど諦めようとしてきただろうか。やっと聞けた気持ちに胸が震える。身体に電流が走ったみたいな衝撃を俺は感じていた。そっと彼女を見遣れば、彼女は天使のような微笑みを浮かべていた。それはまるで広がる一面の白銀世界に咲いた可憐な花みたいだ。胸元には俺がプレゼントしたネックレスが見えた。シルバーの鳥の目には本当に小さなピンクダイヤが光っている。貯金をはたいて買った甲斐があったな、と思った。
遠くでは錆びた遊具が、楽しげに揺れている。その上に雪が乗っかって、少し重そうにしているけれど。
「俺も」
この瞬間を、どれだけ待ち侘びた事だろう。忘れようとして忘れられなくて。想い続けた日々が今、柔らかく白いキャンバスに未来を描き出す。
俺の頭の中では、静かに音楽が流れ始めていた。それはまだ誰も聞いた事がない、俺だけの、夏実に送る詩。切なさと哀しみを綴った願いの歌は、この瞬間、希望と幸せを紡ぐ歌に変わる。
後で夏実から聞いた話だ。夏実が数日だけ付き合ったというバスケ部の先輩というのは、山本先輩の事だった。
「山本先輩、私がずっと愁の事を好きだって知って・・・力になるって言ってくれたの。だから、路上ライブの時も教えてくれて」
躊躇いがちに話す夏実。俺は、クールだが人情味のある先輩を脳裏に描いた。・・・きっと、夏実の事を本当に好きだったのだろう。だからこそ、夏実が幸せでいられる方法を模索してくれた。自分の想いを断ってまで、好きな人のために生きる山本先輩の優しさを想う。自分の好きな人に想われる俺の事を内心憎らしく思っていただろう。それなのに、俺の事を可愛がってくれた。
「山本先輩って・・・すげぇよ」
そんな事を呟いて、確かにそうだなと思った。先輩は凄い。俺にはきっとできない。
そして・・・
先輩がくれた曲が夏実の心、つまり俺の気持ちと対になっている曲だと、俺は知ったのだった。
後日、お礼に行くと先輩は「彼女、大事にしろよ」なんて、笑うだけだったけど。その表情に暗いものは見えなくて。やっぱり先輩には敵わないと思った。
回り道ばかりの恋
痛みと苦さで溢れている
甘く薫る未来を描き出しては
零れた涙に願いが
滲んで消える
それでも
君を想う心は真実だから
ずっと変わらずいられるんだ
街を彩る神の子よ
恋人たちに微笑みを
聖夜だけの奇跡
肩を寄せ合う二人のために
降り注いで
触れ合った温もりが
凍った心を溶かしていく
身体を走る痺れが愛しくて
混じる吐息に想いが
重なり合えば
「好き」
隠してきた気持ちが紡ぎ出される
もう二度と離れる事の無いように
街を彩る神の子よ
恋人たちに幸せを
祝福の鈴の音
永遠を願う二人のために
降り注いで
世界を染める白の羽が
いつか溶けて
光に変わる
街を彩る神の子よ
僕たちに奇跡の歌を
優しく空に響けば
愛し合う人々の心に
降り注ぐから
「愛してる」の言葉と共に
君に捧ぐ




