【魔王の思惑】
【魔王の思惑】
夕飯も食べ終え、各々が自分の部屋に戻っていく。魔王は一番風呂だったので、それも一番早かった。濡れた髪をふき、網戸に近づいた。
「面白いのぅ。これで血を吸う害虫を防ぐ、と」
そのつぶやきの通り、魔王はわかっているのにわざと網戸を開いた。ぷ〜んというお馴染みの音を立て、蚊が数匹部屋に乱入してくる。蚊達は真っ先にその目の前の極上の獲物、魔王の湯上がりの肌に飛びついてきた。
「おぬしら、分をわきまえろ。誰の肌と心得るか」
魔王の言葉に、その周囲がチリチリチリチリと触れがたい空気と圧迫感に包まれる。ただ近づいただけで、蚊がふらふらと力を失くして畳の上にヘタれた。まさに虫の息という状態だ。
「……平民以外にも通じるか。同じ平民である教師にも通じたこの力、何故タカシには通じにくいんじゃろう」
その圧倒的な支配者が許さない限り、立ち上がることなど出来ない。それが出来るのは勇者と呼ばれる部類のものだけだ。しかし、タカシはその支配下であらがってみせた。魔王はそのことが不思議でたまらなかった。
「隣り合っているとはいえ、ここは別次元。勇者の他に何かワシの力に抵抗するだけの要因があるのかもしれぬ」
それが今後の脅威になりえる可能性が少しでもあるならば、早急に手を打っておく必要がある。魔王はそう考えていた。
「タカシの家にいられることになって、結果的に良かったのやもしれぬ」
何かと約束事の多い八百屋に下宿だが、その要因に最も近いかもしれないタカシを傍で見ていられるのだ。そう考えると、何も知らずに自らの受け入れた麻島家に笑いがこみ上げてくる。
―――ワシは嘘はついとらん。嘘はついとらん。
ずくんと何故か胸がうずき、笑みも消えてしまった。そう、すべてを話していないだけで嘘をついたわけではないのだ。だが、何かがひっかかったままで気持ち悪い。
「コラァ、網戸開けっ放しにしてんじゃねー! 蚊が入んだろーが!」
「うぉっ」
魔王がびくんと反応し振り返ると、火のついた蚊取り線香を持つタカシの姿があった。タオルを首に巻いているところから、風呂から出たばかりなのだろう。
「仮にも魔王の部屋じゃぞ、扉ぐらい叩かんか。扉とは自と他の空間と心を隔てるもの。それでは何の意味もないじゃろう」
「うるせー。なんか蚊が入ってくると思ったら、やっぱお前か」
蚊取り線香が煙たい。魔王はあまりこの匂いが好きじゃなかった。せっかくの風呂上がりなのに染みつきそうだからだ。
「それはワシの部屋からではない。大方、他の部屋からじゃろう」
「ったく、こいつを置いてくぞ」
タカシが蚊取り線香を置いていこうとするのを止めたが、網戸を閉めようとしない魔王の言うことは聞かない気らしい。部屋に1歩2歩と足を踏み入れた。
「ちょうどいい。今一度、試してみるか」
「あ?」
魔王がその力をタカシにも向けると、その身体がゆがんだ。それでも、タカシは立ち続けている。魔王は興味深そうに、面白そうに見ている。
「おら、ふざけてんじゃ……ねぇ。またこ……れかっ。こっちは火ィ持ってんだぞ」
「やはり興味深いのぅ」
タカシの目と表情が段々厳しくなっていく。魔王は網戸を閉め、タカシへ向けた力をといた。
「お前な、不用意にその力を使うんじゃねーぞ!」
「のぅ、タカシ。何故、おぬしにはワシの力が効きにくいのじゃ?」
網戸を閉めたので蚊取り線香を置いていくのをやめてくれたタカシに、魔王が直接的に訊いてみた。
「ん? あぁ……おれにわかるわけねーだろ」
「それもそうじゃ。魔王であるワシがわからんのじゃからのぅ」
その物言いにかちんときたのか、タカシが「あーあーあーあー」とやる気なさげに声を出した。
「発声練習か?」
「心当たりならなくもねー……な」
「まことか! して、それは何故か」
タカシはうーんと首をかしげ、眉をひそめ面倒臭そうに呟いた。
「……なんつーかな、おぼえがあるからか?」
「何を馬鹿なことを。やはりタカシはあてにならん」
魔王はしっしっと追い払うように手を払う。タカシは何か言いかけたがやめて、憮然とした表情で魔王の部屋の扉を閉めた。




