第六話「灰の隠れ里」
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次兄セスを退け、森の奥へと逃げ延びた二人。
しかし、逃亡生活は過酷を極めます。
疲弊した彼らが辿り着いたのは、社会から弾き出された者たちの隠れ里でした。
森の中を歩き続けて、何日が経っただろう。
三日か、四日か。もう正確には分からない。
ただ、食料が底を尽きかけていることと、隣を歩く聖女の足取りが日に日に重くなっていることだけは、はっきりと分かっていた。
「……大丈夫か」
俺は彼女の肩を支えながら訊いた。
「大丈夫……まだ、歩ける」
聖女はそう言うが、顔色は悪い。
セスとの戦いで奇跡を使った反動が、まだ残っているのだろう。
「もう少しだけ歩け。……どこかに、人里があるはずだ」
俺は自分に言い聞かせるように呟いた。
このまま森の中をさまよっていても、いずれ限界が来る。
どこかに、身を隠せる場所を見つけなければ。
【廃鉱山】
やがて、森が途切れた。
目の前に広がっていたのは、打ち捨てられた鉱山の跡地だった。
朽ちた坑道の入り口が、獣の口のように黒い闇を覗かせている。
周囲には錆びた採掘道具や、崩れかけた小屋が点在していた。
「……廃鉱山か」
人の気配はない。
いや。
俺は足を止めた。
微かに、煙の匂いがする。
そして、坑道の奥から――複数の気配。
「……誰かいる」
聖女を背中に庇い、俺は腰の道具袋に手を伸ばした。
次の瞬間。
「動くな」
周囲の岩陰から、武装した男たちが姿を現した。
五人、六人……いや、それ以上。
手には錆びた剣や、粗末な弓が握られている。
「何者だ」
最も近くにいた男が、俺に剣を突きつけた。
「教会の犬か。それとも、王国の密偵か」
「違う」
俺は両手を上げた。
「俺たちは、追われている。……匿ってくれとは言わない。ただ、通してくれ」
男たちが顔を見合わせる。
緊張感が張り詰める。
その時。
「待ちな」
坑道の奥から、しわがれた声が響いた。
「その子たちを、連れてきな」
【マルタ婆】
男たちに導かれ、坑道の奥へ進む。
暗いトンネルを抜けると、そこには広い空間が広がっていた。
廃鉱山の採掘場を利用した、地下集落だ。
粗末な小屋が立ち並び、中央には大きな焚き火が燃えている。
そして、その焚き火の前に。
一人の老婆が座っていた。
深い皺が刻まれた顔。白く濁った瞳。
しかし、その目には鋭い光が宿っている。
「ほう」
老婆が俺を見た。
その目に、一瞬だけ複雑な色が浮かんだ。
懐かしさと、憎しみと、そして何か別のものが混ざり合ったような。
「その紋章は……ヴェルデ家かい」
俺の外套に縫い付けられた、処刑人一族の家紋。
隠すのを忘れていた。
「……ああ」
「処刑人の家の者が、こんな辺境まで逃げてくるとはね」
老婆の視線が、俺の背後に移った。
聖女を見て、その目が大きく見開かれる。
「まさか……その銀髪は」
老婆がゆっくりと立ち上がった。
「生きていたのかい。……『本物』の聖女様が」
「……あんたは何者だ」
俺は聖女を庇うように一歩前に出た。
「教会の者か」
「逆さ」
老婆が乾いた笑い声を上げた。
「あたしは教会に『異端』と呼ばれた者だよ。……お前さんたちと同じ、追われる身さ」
老婆が自分の胸を指差す。
そこには、焼き印が刻まれていた。
教会が異端者に押す、「裏切り者」の烙印。
「あたしの名はマルタ。……ここの長老みたいなもんさ」
【灰の巣】
マルタ婆が、隠れ里を案内してくれた。
坑道の中には、いくつもの部屋が掘られていた。
そこに、何十人もの人々が暮らしている。
「ここは『灰の巣』と呼ばれている」
マルタ婆が歩きながら言う。
「元囚人、逃亡奴隷、異端者、親を失った孤児……社会に燃やされた者たちが、灰になってもなお生き延びる場所さ」
俺は周囲を見回した。
男も女も、老人も子供もいる。
みな、どこかに傷を負っている。
体に、あるいは心に。
でも、彼らは生きていた。
這いつくばってでも、生き延びようとしていた。
「……私たちと、同じ」
隣で、聖女が呟いた。
「社会に居場所がない人たち……」
「そうさ」
マルタ婆が頷く。
「お前さんたちも、同じだろう? 王都で『死んだ』はずの聖女と、一族を裏切った処刑人の息子」
俺たちは何も言えなかった。
【条件】
マルタ婆の小屋に通された。
粗末な椅子に座り、彼女は俺たちを見据えた。
「匿ってやってもいい」
「……本当か」
「ただし、条件がある」
マルタ婆の目が、鋭く光った。
「ここでは、全員が働く。食い扶持は自分で稼ぐ。……それがルールだ」
「……分かった。何でもする」
「そうかい」
マルタ婆が、俺の手を見た。
「お前さん、処刑人の家で何を学んだ?」
「……死体の検分。薬の調合。傷の縫合……」
「それだ」
マルタ婆が頷いた。
「ここには怪我人が多い。だが、まともな医者はいない。……お前さんには、その『技術』で貢献してもらう」
俺は息を呑んだ。
処刑人の技術。
人を殺すための知識。
それを、人を救うために使え、と。
「死なせないでくれる者がいると、助かるんだがね」
マルタ婆が、穏やかに微笑んだ。
俺は聖女を見た。
彼女は小さく、しかし確かに頷いた。
「……分かった。世話になる」
「よし。今夜は休みな。明日から、働いてもらうよ」
【束の間の安息】
二人に与えられたのは、坑道の隅にある小さな部屋だった。
土を固めた床に、藁を敷いたベッド。
贅沢とは程遠いが、久しぶりの屋根の下だ。
「……やっと、座れる」
聖女が藁のベッドに腰を下ろし、深いため息をついた。
「疲れただろう。寝ろ」
「あなたは?」
「俺は少し見回ってくる。……何かあったら、声を上げろ」
俺は部屋を出ようとした。
「待って」
聖女の声に、俺は足を止めた。
「……ありがとう。ここまで連れてきてくれて」
「……まだ礼を言うには早い。ここが安全かどうかも分からない」
「それでも」
彼女は微笑んだ。
疲れ切った顔だったが、その笑顔は本物だった。
「あなたがいてくれて、よかった」
俺は何も言えず、部屋を出た。
【眠れぬ夜、そして朝】
その夜、俺は久しぶりに深く眠った。
追われる恐怖から、ほんの少しだけ解放されて。
誰かに見つかるかもしれないという緊張から、ほんの少しだけ楽になって。
藁のベッドは固かったが、それでも森の地面よりはずっとましだった。
だが、翌朝。
俺が目を覚まし、部屋の外に出た時。
そこに、一人の男が立っていた。
「お前が、ヴェルデ家の三男か」
男は二十代半ばに見えた。
黒い髪を短く刈り込み、鋭い目つきで俺を睨みつけている。
そして、その首には。
深い傷跡が、一直線に走っていた。
醜い赤紫の溝。刃物で切られ、辛うじて繋がった痕。
処刑人の剣が、確かにそこを通過した証だった。
「お前の親父に、俺はこの傷を刻まれた」
男の目に、燃えるような憎悪が宿っていた。
「ヴェルデの血が、この里に来るとはな」
新章「灰の隠れ里」編、スタートです。
社会から弾き出された者たちの集落で、三男は自分の技術を「救う」ために使うことを求められます。
しかし、そこには処刑人一家を憎む者もいました。
三男は、父の罪とどう向き合うのか。
そして、聖女は何を思うのか。
次回、「処刑人の息子」の重さが、三男にのしかかります。
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