第五話「毒には毒を」
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束の間の平穏は終わりを告げ、追手が迫ります。
現れたのは、次兄・セス。
処刑人一族の中でも随一の毒使い。
三男は、初めて「家族」と刃を交えることになります。
森の入り口から、煙が上がっていた。
「……追手だ」
俺は聖女の手を掴み、走り出した。
「逃げるぞ。奴らに見つかる前に」
しかし、すでに遅かった。
木々の間を縫って走る俺たちの前に、影が立ちはだかる。
一人、二人、三人……。森を取り囲むように、黒装束の男たちが現れた。
そして、その中心に。
「久しぶりだな、三男」
聞き慣れた声が、俺の足を止めさせた。
【次兄】
木の幹に背を預け、薄笑いを浮かべる男。
黒髪を後ろに撫でつけ、細い目が冷たく光っている。
その指には、毒を塗った針が数本挟まれていた。
次兄、セス。
ヴェルデ家の次男にして、一族随一の毒使い。
「……いや、『裏切り者』と呼ぶべきか」
「セス兄……」
「死体が消えてると聞いた時、すぐにお前だと分かったよ」
セスは針を弄びながら、ゆっくりと近づいてくる。
「お前の考えることは手に取るように分かる。昔からそうだった」
「……」
「仮死の薬、血糊、死体袋の入れ替え。……全部、俺が教えてやった技術じゃないか」
セスが嗤う。
「まさか、弟子に裏切られるとはな」
【欠陥品】
「お前は昔から、詰めの甘い『優しい』だけの欠陥品だった」
セスの言葉が、俺の胸を抉る。
「人を殺せない処刑人。一族の恥。親父も長兄も、お前のことは諦めてた」
「……」
「それが今度は聖女泥棒か。どこまで落ちれば気が済むんだ、三男」
俺は奥歯を噛んだ。
反論したい。でも、言葉が出てこない。
セスの言うことは、全部本当だからだ。
「大人しく聖女を渡せ」
セスが手を差し出す。
「そうすれば、お前の命だけは助けてやる。親父への言い訳くらいは、してやるさ」
俺は聖女の方を見た。
彼女は俺の背中に隠れるようにして、震えていた。
でも、その目は俺を見ていた。
「どうするの?」と問いかけるように。
俺は、前を向いた。
「……断る」
【毒針】
「そうか」
セスの目から、笑みが消えた。
「なら、痛い目を見てもらう」
シュッ。
空気を切る音と同時に、毒針が飛んできた。
俺は咄嗟に身を捻る。一本、二本、三本……。
「くっ……!」
四本目が、俺の腕を掠めた。
チクリ、という痛みの後、じわりと痺れが広がる。
「この毒は知ってるだろ?」
セスが余裕の表情で言う。
「三十秒で全身が動かなくなる。意識は残るがな。……ゆっくり、聖女を連れ戻させてもらうよ」
腕の感覚が消えていく。
指が動かない。肘が曲がらない。
このままでは、本当に動けなくなる。
俺は懐に手を突っ込んだ。
昨夜、森で摘んだハーブがまだ残っている。
セージとタイム。
俺はそれを口に放り込み、噛み砕いた。
「……っ」
苦い。舌が痺れるほど苦い。
噛み砕いた葉を吐き出し、傷口に押し当てる。
「へえ」
セスが感心したように眉を上げた。
「少しは勉強したか。……でも、それは解毒剤じゃない。毒の進行を遅らせるだけだ」
「……分かってる」
俺は歯を食いしばった。
時間稼ぎにしかならない。でも、今はそれでいい。
【聖女の光】
だが、時間稼ぎにも限界がある。
腕の痺れは止まったが、完全には動かない。
セスはまだ針を持っている。次の一撃で、俺は終わりだ。
「さて、終わりにしようか」
セスが針を構える。
その時。
「やめて!」
俺の背後から、聖女が飛び出した。
「……聖女様が何をするつもりだ?」
セスが鼻で笑う。
「お前の『奇跡』はもう封じられてるはずだ。教会の拘束具で、力を吸い取られ続けていたんだからな」
「……」
聖女は何も言わず、両手を胸の前で組んだ。
「無駄だ。お前にはもう、何の力も――」
その時、聖女の手が淡く光った。
「……まだ、少しだけ残ってる」
彼女は俺の傍に駆け寄り、傷ついた腕に手を当てた。
温かい光が、腕を包み込む。
痺れが消えていく。傷が塞がっていく。
毒が、浄化されていく。
「馬鹿な……!」
セスが目を見開いた。
「なぜ動ける!? 奇跡の力は枯渇していたはずだ!」
「枯渇してない」
俺は拳を握り締めた。
完全に、感覚が戻っている。
「彼女は『道具』じゃない。自分の意志で、力を使ったんだ」
【反撃】
俺は立ち上がった。
「兄貴。一つ教えてやる」
セスに向き直る。
「俺は『優しい』んじゃない」
懐から、小さな瓶を取り出す。
「『殺せない』だけだ」
瓶を地面に叩きつけた。
バシュッ!
白い煙が爆発的に広がり、視界を覆い尽くす。
処刑人が使う、視界を奪うための煙幕。
本来は、逃亡する罪人を追い詰めるためのものだ。
「小賢しい……!」
セスが針を放つ。
だが、煙の中では狙いが定まらない。
俺は煙の中を駆けた。
セスの呼吸音、足音、気配。
それだけを頼りに、一直線に突き進む。
「どこだ、三男……!」
「ここだ」
俺はセスの背後に回り込んでいた。
「っ!?」
振り返るセスの首筋に、俺は針を突き立てた。
仮死の薬を、極限まで薄めたもの。聖女を救った時と同じ薬だ。
皮肉なものだ。
彼女を生かすために使った技術で、今度は兄を倒している。
「お前……っ」
「殺しはしない。でも、『動けなくする』ことはできる」
セスの目から力が抜けていく。
「この、欠陥品が……」
その言葉を最後に、セスは地面に崩れ落ちた。
握られていた毒針が、チリン……と虚しい音を立てて散らばった。
【兄として】
煙が晴れる。
セスは地面に横たわり、ピクリとも動かない。
でも、胸は上下している。生きている。
「……殺さなかったの?」
聖女が、恐る恐る近づいてきた。
「俺は処刑人失格だからな」
俺はセスを見下ろした。
「それに……兄貴だ」
憎くないわけじゃない。
酷いことも言われた。傷つけられた。
でも、殺せなかった。
殺したくなかった。
「……目が覚めたら伝えろ、セス兄」
俺は踵を返した。
「『三男は本気だ』と」
【戦う理由】
俺たちは再び森の奥へと走った。
追手の黒装束たちは、セスが倒れたことで混乱している。今なら逃げられる。
走りながら、聖女が言った。
「ねえ、処刑人さん」
「……なんだ」
「私、初めて自分の力を、誰かのために使えた」
振り返ると、彼女は泣きながら笑っていた。
「今まで、私の奇跡は『聖女の義務』だった。命じられるままに人を癒して、感謝もされず、ただ消耗していくだけ」
「……」
「でも今日、初めて『私が助けたい人』を助けられた」
彼女は涙を拭い、俺を真っ直ぐに見た。
「ありがとう。私に、戦う理由をくれて」
俺は何も言えなかった。
ただ、彼女の手を取って、走り続けた。
背後で、次兄が目を覚ます頃。
ヴェルデ家は知るだろう。
三男の「反逆」が、本物だということを。
そして、聖女がまだ「力」を持っているということを。
追手は、さらに増えるに違いない。
でも、今の俺たちには、戦う理由がある。
守りたいものがある。
それだけで、十分だった。
次兄・セスとの初戦、決着です。
三男は「殺さない」選択をしました。それが彼の強さであり、弱さでもあります。
そして聖女は、初めて「自分の意志」で力を使いました。
「道具」から「人間」へ。彼女もまた、変わり始めています。
二人の逃避行は続きます。
次の追手は誰なのか。そして、一族の長である父は何を思うのか。
「バトルシーン熱かった!」「聖女の覚醒に泣いた!」と思っていただけたら、
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