第四話「生きている味」
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王都を脱出した二人。
森の中での最初の夜、聖女は「生きること」の温かさを知ります。
束の間の休息と、少しだけ縮まる距離。
日が傾き始めた頃、俺たちは森の奥深くで足を止めた。
「ここで野営する。火を起こすから、座ってろ」
俺は手早く枯れ枝を集め、火打ち石を打つ。
処刑人の仕事には、野外での作業も多い。火起こしくらいは慣れたものだ。
パチパチと火が燃え上がる。
オレンジ色の光が、薄暗い森を照らした。
「……私、何も手伝えない」
聖女が申し訳なさそうに言う。
彼女は木の根元に座り込んだまま、俺の作業を見ていた。
「いい。座ってろ」
俺は荷物から干し肉と水袋を取り出した。
たいしたものは持ってこられなかった。逃亡の準備なんて、していなかったからな。
「ほら。食え」
干し肉を差し出す。
聖女はそれを受け取り、小さな口で噛みついた。
【干し肉との格闘】
「んぐ……っ」
聖女が眉を寄せる。
「……これ、硬い」
「当たり前だ。干し肉だぞ」
「噛みきれない……」
彼女は必死に顎を動かしている。
頬が膨らんだり凹んだり、まるでリスが木の実と格闘しているようだ。
俺は思わず、ふっと笑ってしまった。
「……何がおかしいの」
「いや。そんな上品に食うもんじゃない」
俺は自分の干し肉を手に取り、豪快に噛みちぎって見せた。
「こうやって、引きちぎるんだ。歯じゃなくて、首を使え」
「首を……?」
聖女は真剣な顔で俺の動きを観察し、それを真似た。
ブチッ、と肉が千切れる。
「……できた」
「そうだ。そのまま噛め」
彼女はもぐもぐと咀嚼しながら、不思議そうな顔をしていた。
「……変な味」
「塩漬けにして干しただけだからな。美味くはない」
「でも」
聖女は、小さく笑った。
「お腹が減ってたから、美味しく感じる」
その笑顔は、処刑台で見た「震える笑顔」とは違っていた。
ただの少女の、ただの笑顔だった。
【死なせないための知識】
干し肉だけでは味気ない。
俺は周囲を見回し、食べられそうな薬草を探した。
「どこに行くの?」
「ちょっと待ってろ。すぐ戻る」
森の中を少し歩くと、見覚えのある葉が生えていた。
野生のタイムとセージ。それから、食用になるキノコがいくつか。
俺はそれらを摘んで戻り、水袋の水と一緒に小さな鍋で煮込んだ。
「……料理もできるの?」
聖女が驚いたように言う。
「料理というほどのもんじゃない」
俺は苦笑した。
「死体を腐らせないために覚えた知識だ。防腐剤と薬草は紙一重でな」
鍋をかき混ぜながら、俺は呟いた。
「……死なせないために覚えたわけじゃないんだがな」
皮肉なものだ。
人を殺す一族に生まれ、死体を扱う技術を学び――それが今、人を生かすために役立っている。
「はい。熱いから気をつけろ」
木の器にスープを注ぎ、聖女に渡す。
湯気が立ち上り、ハーブの香りが森の冷たい空気を溶かしていく。
彼女は両手で器を包み込み、そっと口をつけた。
「……っ」
聖女の目が、大きく見開かれた。
「……美味しい」
その目に、涙が浮かんでいた。
「生きてる味がする」
俺は何も言えなかった。
ただ、自分の分のスープを啜りながら、彼女が泣きながら食べるのを見ていた。
【火の温もり】
食事を終え、俺たちは焚き火を囲んで座っていた。
聖女が、おずおずと火に手をかざす。
「……温かい」
「当たり前だ。火だからな」
「牢獄には、火がなかったの」
彼女は火を見つめながら、静かに言った。
「いつも寒かった。毛布も一枚だけ。冬は、震えながら眠った」
俺は黙って、自分の外套を脱いだ。
そして、彼女の肩にかけてやった。
「……っ」
聖女が驚いて俺を見る。
「風邪を引かれたら面倒だ。逃げてる最中に倒れられたら、俺が困る」
「……ふふ」
彼女は外套を引き寄せ、頬を緩めた。
「ありがとう、処刑人さん」
「……礼はいい」
俺は火に薪をくべながら、目を逸らした。
なんだか、妙に落ち着かない気分だった。
【星空の下で】
夜が更けると、木々の隙間から星が見えた。
聖女が空を見上げる。
「星が、こんなに綺麗だったなんて……知らなかった」
「……お前、外に出たことなかったのか」
「神殿の中だけ」
彼女は膝を抱えて、空を見つめ続けた。
「『聖女は穢れた外界に触れてはならない』って。だから、窓もない部屋で暮らしてた」
「……」
「空を見たのは、処刑場に引き出された時が初めてだった。皮肉よね」
俺は黙って、自分も空を見上げた。
「……俺は逆だったな」
「逆?」
「『穢れた存在』だから、家の中にも街の中にも居場所がなかった。外にしかいられなかった」
聖女が、俺の方を向いた。
「閉じ込められた聖女と、追い出された処刑人、か」
「……私たち、似てるのかもしれないね」
俺は答えなかった。
でも、否定もしなかった。
焚き火が爆ぜる音だけが、しばらく二人の間を埋めていた。
【約束】
しばらく沈黙が続いた後、聖女が口を開いた。
「ねえ、処刑人さん」
「……なんだ」
「私の名前、聞きたくない?」
俺は少し考えた。
正直に言えば、聞きたくないわけじゃない。
でも。
「……まだいい」
「どうして?」
「お前が本当に自由になった時に、聞く」
俺は火を見つめながら言った。
「今のお前は、まだ逃げてる最中だ。追われて、怯えて、明日がどうなるかも分からない」
「……」
「そんな状態で名乗られても、意味がない。……お前が、自分の足で立てるようになった時に、聞く」
聖女は目を丸くしていた。
そして、ゆっくりと微笑んだ。
「……約束よ」
「ああ」
「私が自由になったら、絶対に名前を教えるから。……あなたも、教えてね」
俺は小さく頷いた。
【束の間の平穏】
その夜、彼女は初めて穏やかな寝息を立てて眠った。
外套にくるまり、焚き火の傍らで丸くなっている。
その寝顔は、処刑台で見た「死を待つ聖女」ではなく、ただの疲れた少女のものだった。
俺は火の番をしながら、その寝顔を眺めていた。
「……面倒なことになったな」
口ではそう言いながら、俺は少しだけ笑っていた。
こんな気分は、いつ以来だろう。
誰かを守りたいと思ったのは、初めてかもしれない。
――だが、平穏は長くは続かなかった。
翌朝。
森の入り口の方角で、煙が上がっているのを見た時、俺は理解した。
追手が来た。
束の間の休息回でした。
「生きてる味がする」という聖女の言葉、書いていて胸が熱くなりました。
処刑人の技術が、人を生かすために使われる。
それは三男にとって、初めての「自分の価値」を見つけた瞬間だったのかもしれません。
そして、二人の間に生まれた「名前の約束」。
これが果たされる日は、いつ来るのでしょうか。
次回、追手との遭遇。
平穏は終わり、再び逃亡劇が始まります。
「スープのシーン泣けた!」「二人の距離感が最高!」と思っていただけたら、
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