番外編 ―― 四十年の再会
本編完結記念、読者へのプレゼントです。
四十年前、若き処刑人は一人の聖女を逃がしました。
「いつか、俺を否定してくれる子が生まれることを願う」
そう言い残して。
あれから四十年。
息子は、父の願いを叶えました。
そして今、父は……。
灰の隠れ里に、秋が訪れていた。
木々が色づき、風が冷たくなり始めた頃。
村の入り口に、一人の老人が立っていた。
白髪交じりの黒髪。深い皺。
かつては鋭かった目は、今はどこか穏やかだった。
ギルバート・ヴェルデ。
処刑人一族の元当主。
彼は四十年ぶりに、この場所を訪れた。
【道】
村人たちが、ギルバートを見つめていた。
「あの人、誰だろう」
「見たことない顔だね」
「でも、なんだか……懐かしい感じがする」
ギルバートは、ゆっくりと村の中を歩いた。
四十年前、ここはまだ何もなかった。
森の中の、小さな空き地。
マルタを逃がした後、彼女がどこへ行ったのか、ギルバートは知らなかった。
だが、息子から聞いた。
マルタは、この場所に「聖域」を作り上げたのだと。
四十年かけて。
一人で。
【小屋】
村の奥に、小さな小屋があった。
ギルバートは、その前で立ち止まった。
扉の前に、一人の老婆が座っていた。
白髪。深い皺。だが、その目は優しかった。
マルタだ。
四十年の歳月が、彼女を変えていた。
でも、その目だけは変わっていない。
あの夜、涙を流しながら「希望を守ります」と言った時と、同じ目。
「……」
ギルバートは、声が出なかった。
何を言えばいい。
四十年も待たせた。
その間、彼女は一人で戦い続けた。
「遅かったねえ、ギルバート」
マルタが、先に口を開いた。
その声は、責めているようには聞こえなかった。
ただ、穏やかに、事実を述べているだけ。
「……ああ」
ギルバートは、やっと声を絞り出した。
「少し、道に迷った」
「四十年も?」
「……ああ。四十年も」
マルタが、ふっと笑った。
「相変わらず、不器用だねえ」
【スープ】
マルタが立ち上がり、小屋の中に入っていった。
「入りな。スープを出してあげる」
ギルバートは、黙って従った。
小屋の中は、質素だった。
木の机。木の椅子。小さな竈。
それだけ。
マルタが鍋からスープをよそい、ギルバートの前に置いた。
「……いただく」
ギルバートは、スプーンを口に運んだ。
温かかった。
野菜の甘み。肉の旨味。
素朴だが、心に染み入る味。
「……美味い」
「そうかい」
マルタが、向かいに座った。
「あんたのスープは、どんな味だい」
ギルバートは、少し考えた。
「……苦い。だが、温かい」
「そうかい」
マルタが微笑んだ。
「なら、ちゃんと生きてきたんだね」
【四十年】
しばらく、沈黙が続いた。
やがて、ギルバートが口を開いた。
「……すまなかった」
「何が」
「四十年も、一人で戦わせた」
「……」
「俺は、逃げた。お前を逃がした後、心を凍らせて、処刑人として生きることを選んだ」
ギルバートが続けた。
「本当は、お前と一緒に逃げたかった。……でも、できなかった」
「知ってるよ」
マルタが言った。
「あんたが逃げられなかったのは、知ってた」
「……」
「だから、私が逃げた。あんたの代わりに」
マルタがスープを飲んだ。
「あんたは、システムの中に残って、いつか来る『希望』を待った。私は、システムの外で、『希望』を守った」
「……」
「私たちは、別々の場所で、同じものを守ってたんだよ」
ギルバートの目から、涙が溢れた。
「……マルタ」
「泣くんじゃないよ。もう、終わったんだから」
マルタが微笑んだ。
「カインが、全部終わらせてくれた。……あんたの息子が」
【息子】
「……ああ」
ギルバートは涙を拭いた。
「あいつは、俺を超えた」
「そうだね」
「俺が見つけられなかった答えを、あいつは見つけた」
ギルバートが続けた。
「俺は、『殺さない』ことを弱さだと思っていた。……でも、あいつは、それを強さに変えた」
「カインという名前、あんたがつけたんだろう?」
「ああ」
「『鍛造する者』。……いい名前だね」
マルタが言った。
「あの子は、その名前の通りに生きた。自分の運命を、自分で鍛え上げた」
「……ああ」
「あんたの願いは、叶ったんだよ」
ギルバートは黙っていた。
そして、小さく頷いた。
「……ああ。叶った」
【これから】
スープを飲み終えた後、二人は小屋の外に出た。
秋の夕日が、村を照らしていた。
「ギルバート」
「何だ」
「あんた、これからどうするんだい」
ギルバートは、少し考えた。
「……分からない。処刑人は、もう辞めた。アベルとセスに、後は任せた」
「そうかい」
「だから、俺は……」
ギルバートは言葉を切った。
「……ここに、いていいか」
マルタは黙っていた。
そして、微かに笑った。
「遅いよ」
「……すまない」
「四十年も待たせておいて、今さら『いていいか』だなんて」
マルタがギルバートを見た。
「当たり前だろう。……ずっと、待ってたんだから」
ギルバートの目から、また涙が溢れた。
「……ありがとう」
「礼なんかいらないよ」
マルタが手を伸ばした。
「さあ、入りな。今夜は冷えるから」
ギルバートは、その手を取った。
四十年前、逃がすために離した手。
今、やっと、握り返すことができた。
【夕暮れ】
村人たちが、二人を見ていた。
「マルタ婆さん、あの人と手を繋いでる」
「誰だろう、あの人」
「……分からない。でも、マルタ婆さん、すごく嬉しそう」
夕日の中、二人の影が長く伸びていた。
四十年の歳月。
四十年の孤独。
四十年の祈り。
全てが、今、報われた。
マルタとギルバートは、手を繋いだまま、小屋に入っていった。
明日からは、二人で暮らしていく。
四十年分の空白を、少しずつ埋めながら。
それは、「名前のある日々」の、もう一つの形だった。
番外編「四十年の再会」でした。
本編では描かれなかった、マルタとギルバートの再会。
四十年間、別々の場所で同じものを守り続けた二人が、
やっと手を繋ぐことができました。
「遅かったねえ」「少し、道に迷った」
このやり取りに、四十年分の想いが込められています。
カインとリーリアの物語が「新しい始まり」なら、
マルタとギルバートの物語は「長い旅の終わり」です。
どちらも、「名前のある日々」への第一歩。
本編を読んでくださった皆様への、感謝を込めて。
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『処刑人の息子は聖女を救えない』番外編
「四十年の再会」
完




