第十六話「敗走の果て」
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第3部、開幕です。
アベルに完敗し、川に落ちたカインとリーリア。
絶望の中で、二人は何を見出すのか。
冷たい。
それが、最初に感じたことだった。
カインは目を開けた。
視界がぼやけている。水の音が聞こえる。
川辺の砂利の上に、仰向けに倒れていた。
「……リーリア」
声を出そうとしたが、喉が焼けるように痛んだ。
川の水を大量に飲んだらしい。
「カイン……!」
すぐ隣から、リーリアの声がした。
彼女も砂利の上に倒れていたが、意識はあるようだ。
「よかった……目を覚まして……」
リーリアがカインの手を握った。
その手は、彼と同じように冷たく、震えていた。
【敗北】
空が白み始めていた。
カインは体を起こそうとして、激痛に顔を歪めた。
腕の傷。アベルに斬られた傷が、まだ塞がっていない。
全身が軋む。どこもかしこも痛い。
「……俺たちは、どこまで流されたんだ」
「分からない……。でも、追手の気配はないわ」
リーリアが周囲を見回した。
森に囲まれた川辺。人の気配はない。
少なくとも、今すぐ殺されることはなさそうだ。
「……負けた」
カインは呟いた。
「完敗だ。何も、通じなかった」
煙幕も、針も、全ての技術が無効化された。
アベルは、カインの全てを見透かしていた。
「お前の技術は、全て俺が教えたものだ」
あの言葉が、頭の中で繰り返される。
処刑人の技術で、処刑人に勝てるはずがない。
最初から、勝負にすらなっていなかった。
【自責】
「俺では……勝てない」
カインは砂利を握りしめた。
「アベル兄には、俺の全てが読まれてる。何をやっても、先回りされる」
「カイン……」
「次はない。あいつはそう言った。……次に会ったら、俺たちは死ぬ」
絶望が、胸を締め付けた。
これまで、なんとかやってこれた。
セスを倒し、教会の真実を知り、リーリアと共に戦ってきた。
でも、アベルは違った。
圧倒的だった。
カインがこれまで積み上げてきた全てが、「子供騙し」として一蹴された。
「俺は、お前を守れない」
カインはリーリアを見た。
「処刑人の技術じゃ、アベル兄には勝てない。……俺には、何もない」
【光】
リーリアは黙ってカインの言葉を聞いていた。
そして、静かに言った。
「私は、そう思わない」
「……何?」
「あなたがいなかったら、私はあそこで死んでいた」
リーリアがカインの手を握り直した。
「アベルに剣を振り下ろされた時、私は怖くて動けなかった。でも、あなたが私の前に立ってくれた」
「……俺は、何もできなかった」
「違う」
リーリアが首を振った。
「あなたがいたから、私は光を出せたの」
「……」
「一人だったら、恐怖で何もできなかった。でも、あなたを守りたいって思ったから、力が出た」
リーリアの目は、真っ直ぐだった。
「あなたは『何もない』なんて言うけど、私にとっては、あなたがいることが全てなの」
【欠陥】
カインは黙っていた。
アベルの言葉が、また頭をよぎる。
「『殺せない』という欠陥が、全てを台無しにした」
欠陥。
人を殺せないことは、処刑人にとって致命的な欠陥だ。
それは、幼い頃から言われ続けてきたことだった。
でも。
(この欠陥こそが、俺がリーリアと出会えた理由だ)
崖から落ちる瞬間、カインは確かにそう思った。
殺せなかったから、彼女を救った。
殺せなかったから、セスを生かした。
殺せなかったから、今ここにいる。
「……俺の欠陥は」
カインは呟いた。
「俺が選んだ、俺だけの道なのかもしれない」
「カイン?」
「処刑人の技術じゃ、アベル兄には勝てない。……でも、俺は処刑人じゃない」
カインは自分の手を見た。
人を殺すための手。でも、人を救うこともできる手。
「俺は、処刑人の技術を『救う』ために使ってきた。……なら、戦い方も変えればいい」
【新しい道】
「戦い方を、変える……?」
リーリアが首を傾げた。
「アベル兄は、『処刑人の技術』を完璧に使いこなす。俺がどんな技を使っても、あいつには読まれる」
カインは考えながら言葉を紡いだ。
「でも、俺が『処刑人の型』から外れたらどうだ?」
「型から外れる?」
「処刑人の解剖学は、『急所を狙って殺す』ためのものだ。アベル兄も、俺がそう動くと思ってる」
カインの目に、微かな光が宿った。
「なら、急所を『外して』動いたら……あいつの予測を、裏切れるかもしれない」
「急所を外す……殺さないために?」
「ああ。殺さない。でも、止める」
カインは拳を握った。
「縫合は、傷を『塞ぐ』技術だ。……なら、動きを『塞ぐ』技術も、作れるはずだ」
それは、まだ漠然としたアイデアだった。
具体的な形は、まだ見えない。
でも、初めて「勝てるかもしれない」という希望が、胸の中に芽生えた。
【合流】
「おい、生きてるか」
声がして、カインは顔を上げた。
森の中から、黒いフードの男が姿を現した。
「クロウ……」
「よかった。川下を探し回ったぞ」
クロウが二人の傍にしゃがみ込んだ。
「ひでえ有様だな。……アベルにやられたか」
「ああ。完敗だ」
「だろうな。あいつは化け物だ」
クロウが溜息をついた。
「で、どうする。逃げるか?」
カインはリーリアを見た。
彼女は小さく頷いた。
「いや」
カインは立ち上がった。
体中が痛む。でも、立てる。
「逃げない」
「……は?」
「王都に戻る」
クロウが目を見開いた。
「正気か? アベルがいるんだぞ。教会も、王国も、お前らを狙ってる。戻ったら死ぬぞ」
「分かってる」
カインはクロウを見た。
「でも、逃げ続けても何も変わらない。……俺たちは、戦いに行く」
【決意】
クロウは黙ってカインを見つめた。
「……何か、策があるのか」
「これから作る」
「は?」
「今の俺じゃ、アベル兄には勝てない。でも、新しい技を編み出せば……可能性はある」
カインは自分の道具袋を見た。
縫合針。止血剤。仮死の薬。
処刑人の道具。でも、使い方次第で、救うための道具になる。
「処刑人の技術を、処刑人じゃない使い方で使う。……それが、俺の戦い方だ」
クロウは長い間、黙っていた。
そして、ふっと笑った。
「……面白いじゃないか」
「協力してくれるか」
「当たり前だ。俺は教会を潰したいんだからな」
クロウが立ち上がった。
「王都への道は、俺が案内する。……ただし、準備には時間がかかるぞ」
「構わない」
カインはリーリアに手を差し伸べた。
「行こう、リーリア」
「……うん」
彼女はカインの手を取り、立ち上がった。
「一緒に、戦おう」
朝日が、二人を照らしていた。
敗走の果てに、彼らは見つけた。
逃げるのではなく、立ち向かう道を。
第3部、開幕。
第16話、第3部の始まりでした。
アベルに完敗し、絶望の淵に立たされた二人。
しかし、リーリアの言葉がカインを救いました。
「あなたがいたから、私は光を出せた」
そして、カインは気づきます。
処刑人の技術で処刑人に勝てないなら、処刑人じゃない戦い方をすればいい。
「急所を外して、動きを止める」
新しい技の萌芽が、ここに生まれました。
次回、カインは具体的な訓練を始めます。
アベルを超えるための、【逆縫】の誕生です。
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