冷蔵庫カレンダー
一月一日。
冷蔵庫のドアに、新しいカレンダーを貼った。百均で買った、真っ白なマス目だけのやつだ。
左上の小さなスペースに、「冷蔵庫カレンダー」と書く。ペンを置いたら、背中のほうで彼女が笑った気がした。
一月二日。
牛乳 一リットル
卵 六個
彼女は牛乳をよく飲んでいたから、これはまだ習慣みたいなものだ。
一月五日。
鶏むね肉 二枚
トマト 三つ
「バンバンジー食べたい」とメッセージが来た日のメニューと、同じだ。
一月十日。
冷蔵庫の中は静かだ。
カレンダーには、「静か」とだけ書いた。
一月十五日。
レタス 半玉
ヨーグルト 二個
ドアを開けるたび、冷気が顔に当たる。
彼女は寒がりだったから、あの子の肌にもこの冷たさが触れているのかと思うと、少し申し訳ない。
一月二十日。
メモの書き方を変えることにした。
「レタス 残り三日」
「牛乳 あと二日」
賞味期限を書き添えていく。カレンダーのマス目が数字で埋まっていくのを見ると、なんとなく安心する。
一月二十四日。
冷蔵庫の上に、彼女のマグカップを置く。
猫のイラストがついたやつだ。
あの子はいつも、コーヒーを半分残して出かけていた。残った温度で、その日の機嫌がわかった。
一月二十八日。
トマト 一つ
賞味期限 昨日
触ってみると、まだ大丈夫そうだった。赤くて、張りがある。
カレンダーには、「様子見」と書いた。
二月一日。
雪が降った。
窓の外が白くなっていくのを、冷蔵庫の前で見ていた。ドアに頬を預けると、内側の冷たさと外側の冷たさが混ざって、どちらがどちらかわからなくなる。
カレンダーには、「雪。冷蔵庫のほうがあったかい」と書いた。
二月五日。
肉類 ゼロ
野菜 少し
「買い物へ行く」と書きかけて、ペンが止まる。
彼女はもう買い物に付き合ってはくれない。
それなのに、スーパーの精肉コーナーを歩くと、彼女の好きだった部位をつい目で探してしまう。
二月九日。
冷蔵庫のモーター音が弱くなってきたような気がする。
「静かすぎる」とマス目に書く。
二月十四日。
バレンタインデー。
小さなチョコレートを一つ買ってきて、冷蔵庫のいちばん奥にしまった。
カレンダーには、「チョコ 一つ。まだ秘密」と書く。
二月二十日。
チョコレートは、少し白く曇っていた。
彼女はこういうのを「ブルーム現象だよ」と得意げに説明していた。チョコが怒ってるみたいで、かわいいでしょ、と笑っていた。
カレンダーに、「怒ってない」とだけ書いた。
二月二十八日。
冷蔵庫の中身は、もうほとんどない。
ドアポケットに、あの日の鍵が一つ転がっている。
カレンダーには、何も書けなかった。
三月一日。
電気代の請求書が届く。
冷蔵庫をつけっぱなしにしているせいだとわかっているけれど、コンセントを抜くという発想がうまく脳に浮かんでこない。
あの子が最後に触ったのは、冷蔵庫の取っ手だった。
それを冷やさなくなるのが、怖い。
三月五日。
すべての棚を空にした。
牛乳も、肉も、野菜も、もうない。
冷蔵庫の中には、白い壁と、薄い光だけが残った。
それでも、カレンダーだけはやめられない。
今日のマス目に、「空っぽ」と書いた。
三月八日。
冷蔵庫のドアを開けて、彼女の名前を一度だけ呼ぶ。
冷気が顔に流れ出して、まぶたが乾く。
何も返ってこないことに、ようやく慣れてきた自分がいちばん怖い。
三月九日。
カレンダーの余白が残り少なくなってきた。
マス目の一つひとつをなぞっていると、指先が冷たくなっていく。
「そろそろ、終わり」と小さく書いた。
三月十日。
冷蔵庫のコンセントを抜いた。
モーターの音が止まると、部屋の静けさが急に濃くなった。
ドアの中から、冷たさが少しずつ逃げていく気がする。
三月十一日。
最後のマス目に、こう書いた。
「今日は、冷蔵庫の中がやっと彼女と同じ温度になった。
あの日、救急車の中で冷たくなっていった手と、たぶんおなじ。」




