第1-4話 象牙の塔って、何だ!?
夢を、見ていた。アゲハがまだ小さかった頃………
『象牙の塔』で魔術師の修行をしていたアゲハ。ようやく12歳くらいになった頃だろうか…
「…あ、あーまいんぐれーたん…すぷりー………びーん…」
2年前からずっと、来る日も来る日も、練習し続けて来た『ファイヤーボール』の魔法の呪文。ぶかぶかのローブをまとったアゲハは、まだたどたどしい口調で、時々つっかえそうになりながらも唱えて行くアゲハ。
「ふろじすとんふろ…ぎすとんふろーぎ…すとん…」
後ろでは彼女の師匠がアゲハを見守る。詠唱は順調に進んで行き、アゲハの左手には小さな火種が起き、
「…めー、まい…うぃっ…かん………とぅー………!!」
ぼっ! アゲハのもみじの様な手のひらから火種が放たれ、何センチか飛んで消えた。彼女の年齢を考えれば大成功だ。師匠が長いローブの裾から伸びた細い指の手のひらで、アゲハのまだ短い金髪をくしゃっと撫でる。
にぱ〜…微笑むアゲハ。短く尖った耳もピコピコ上下に動く。もっとお師匠様に褒めてもらいたい、もっとお師匠様に喜んでもらいたい。万感の想いを込めて、アゲハは杖を掲げ、左手を上げて叫んだ。
「ラン、ファイヤーボール!!」
※ ※ ※
がばっ!!「はっ………!!」
そこで目が覚め、成人したアゲハはベッドの上で跳ね起きた。シーツの裾を両手で掴んで思わず胸元を隠す。ちなみに、特にここ数年の成長でアゲハの身体は大変な事になったため、薄いシーツの下も大変な事になっている。
((ギャハハハハっ!!))
階下から下品な笑い声が聞こえて来た。複数の酔った男共の物だ。窓の外はまだ日が昇ったばかりだというのに…
ここは冒険者ギルドの2階の宿屋。あれからアゲハはここに宿を取ったのだ。変な夢を見た上に起き抜けに変な声まで聞かされて、アゲハは呟いた。
「………もう、何もかもグチャグチャ…」
状況も頭の中もグチャグチャだ。それもこれもみんな、あのロクスケの呪文書を開いてしまったせいで…
ベッドの上でアゲハは思い出していた。3日前、『南都』に来たあの日、あれからあった事を……
※ ※ ※
※ ※ ※
昨日夕方、『南都』、路地裏…
「やっぱり『南都』なんかに来るんじゃ無かった!!『北都』に...帰ってやる!!一刻も早く!!」
ロクスケの呪文屋を出てアゲハがそう呟き、その後、ロクスケが自分の事をすっかり忘れていた事にひとしきり怒りを燃やしたその時、
「…進展無しか…そろそろ何とかしないと…」
向こうの路地から水路の橋を渡って誰かが歩いて来た。こげ茶色の目立たない服…いや、ソフトレザーアーマーを着た童顔の女性。どこかで見た様な…
「もう夕方か…」
そう言いながらその女性は、腰に下げていたランタンを取り出し、風防の一面を開き、指を突っ込み、
「ラン、ファイヤー」
その瞬間、女性の指から小さな火が出て、ランタンに明かりが灯った。
(え………!?)
アゲハは思わず目を見開いた。どうみても魔術師では無い彼女が…いや、彼女は…
「あ、あなた、それ、その呪文………」
思い出した。彼女は冒険者ギルドにいた、女性冒険者だ。
「あ、え、えーっと、この呪文よね…!?」
いきなり現れた見知らぬ女性に問い詰められて一瞬戸惑った女性冒険者だが、その理由には彼女にも心当たりがあった。
「向こうの路地裏にあるスクロールショップで買ったの。」
(やっぱり…)
アゲハは思った。女性冒険者は続ける。
「魔法の基礎も長ったらしい呪文を覚える必要も無く、火の玉を出せるの。ま、あたいは魔力って奴が少ないみたいだから、小さな火を出すのが精一杯だけど、火打石代わりにはなるわね。まあ、金貨5枚は結構な出費だったけど…あ!そう言えばあんた、昼間ギルドで会った魔法使いさんよね!?確かアゲハって言ったっけ!?あのね、あなたさえ良ければなんだけど………」
彼女の言葉は、もうアゲハの耳には入っていなかった…
※ ※ ※
バァン!「ロクスケぇ!!」
ロクスケのスクロールショップに、その日三度のモンスターが訪れた。
「何だお前は!!何度も何度も…」
さすがにロクスケも彼らしからぬ大声を上げると、アゲハは彼をキっと睨んだまま、
「さっき女の冒険者が、魔法で火を点けてたの!魔術師とかじゃない、普通の冒険者が!!」
どこからか猫の鳴き声の様な甲高い声が聞こえる。しばしの沈黙の後、ロクスケは、
「…もしかして、半月前に『ファイヤーボール』の呪文書を買って行った女か!?」
「あんたの店で買ったって言ってたわよ、その人!!」
「ああ、ならそれは仕様だ。」
その平然とした、しかし突拍子も無い回答は、アゲハにとって想定されていたものだった。ロクスケの呪文書は長い呪文詠唱を覚えて唱える必要が無い。なら…
「あんたの術式って………普通の人にも使えるのよね!?」
ついさっきアゲハがロクスケの術式を全面的に否定した理由、『魔法は魔術師だけの物』だと言った理由、
「あんたの魔法を、もし悪用されたらどうするの!?」
「その女冒険者は、俺の『ファイヤーボール』を、どう悪用してたんだ!?」
「………ランタンの火種にしてた。」
「魔力が無いならその程度だろうな。俺の術式は使用者の魔力に合わせてリミッターもついてる。その代わり、魔術の心得があるなら、念じるだけで火加減も範囲も思うがまま…」
「その魔術の心得がある悪い奴があんたの呪文書を使ったら…」
「そいつなら普通のファイヤーボールが使えたろうな。」
「危ないじゃない!普通の人が魔法なんて…」
「俺の呪文屋が駄目なら、南都中の武器屋は店じまいしないとな。そうなったらこの街の連中は、どうやって身を守れって言うんだ!?」
この世界では一般人でも自衛のための武装は認められている。一歩街を出ればモンスターが徘徊する世の中だし、街の中にも、ならず者、盗賊と呼ばれる、人の姿をしたモンスターはいる。果ては…アゲハ自身ついさっき知った事だが、『南都』には『日陰』と呼ばれる一角すらあり、そのどこかに盗賊ギルドがあるのだそうだ。しかし、魔法には剣とは違った、一般人が触れるべきではない事情がある。アゲハは声を落とし、
「………『象牙の塔』が、黙ってないでしょ…」
だがロクスケは平然と、
「…俺はもうここで何年もこの店をやってるが、あいつらからは何も無しだ。」
「え…!?」
「俺ごときに何も出来ない、俺が何かしても何も変わらないとでも思ってるのか、それとも…あいつらは文字通り『象牙の塔の住人』なのか…まあ、一つ確かなのは、『象牙の塔』のじじい共は俺達をまともな弟子だと思ってないって事だな。」
「お、お師匠様の事を悪く言うのは許さないわよ!!」
「俺ごときがわずか数年でたどり着いた魔法の真理に、あいつらが気づいてない訳が無いし、少なくともあのじじいは俺達にこの事を教えてくれなかったよな…!?」
「あ、あんたねぇ…」その時、
バタン!!表の方でドアが開く音がした。入って来たのはさっき会った、ここの大家の老婆だ。
「もう遅いんだよ、静かにおし!!ここはもう店じまいの時間だろう!?客じゃないなら出て行ってもらおうかね!!」
大家に一喝され、アゲハは最後にロクスケを人睨みすると、ツカツカとスクロールショップを出て行く。すれ違い様に大家はボソっと、
「…全く、店子のトラブルはもうたくさんだってのに…」
アゲハが出て行った後、大家はロクスケに、
「…さっき何か騒いでたけど、『象牙の塔』って一体何だい!?」
ロクスケは虚空を見つめて、
「………手前の関心事にしか興味の無い、世捨て人の集まりさ。」
静まり返ったスクロールショップの、壁も窓も呪文書が無造作に置かれた棚で埋め尽くされた店内を見つめ、大家は言った。
「そりゃぁまるで………あんたみたいだね。」




