第1-3話 魔法の呪文って、何だ!?
1ヶ月前、『北都』より北へ伸びる山道…
「ブツブツ……アーマイングレータンスプリービーン…」
北へ向かう馬車の一番後ろで、呪文書を睨みながらアゲハはずっとブツブツと呟いていた。
「…ねぇリーダー、アゲハの奴、なんでいつもああやってブツブツやってんスかぁ!?」
パーティーのスカウトが、リーダーのパラディンに問う。その間もアゲハは外野の言葉に耳も貸さずブツブツ言っている。
「…フロジストンフロギストンフローギストンハイドロジェンヒドロジェン…」
スカウトの問いにパラディンは、
「ああ…俺も詳しくは知らないんだが…あれは魔法の呪文を覚えてるんだそうだ。」
「…エアーアーエールアエルオキシゲンオキシジェン…」
「魔法の呪文ねぇ…魔法使いが頭良くないとなれねぇのはあっしでも知ってっけど、あんなチチンプイプイがそんなに難しい物なんすかねぇ………」
馬車の周りを吹く風は、徐々に温度を下げていた。
「魔法の呪文ってのは、発音や抑揚を一切間違わずに唱えなければ発動しないらしいんだ。戦闘の最中に詠唱が途切れたり、噛んだりしたら一大事だろう…だから魔術師は、ああやっていつでも、魔法の呪文詠唱の練習をしてるんだそうだ。詠唱に失敗しない様にな。」
「ふーん………」明らかに興味無さそうなスカウト。
「…リットライトイグナイト、スローシュートショット、アッパーフォワー、メーマイウィッカントゥー…」
「…ところでリーダー、今回のクエストって何でしたっけ!?」
「ああ…『北都』へ接近しつつある、アースドラゴンの討伐だ。」
※ ※ ※
時は現在に巻き戻る。『南都』郊外の洞窟…
「ラン、ファイヤーボール!!!」
そのたった一言で、アゲハの左手から火球が飛び、ゴブリンは火だるまになった。そしてアゲハは叫ぶ。
「な………何よこれぇぇぇぇぇっ!!!」
火だるまを通り越して消し炭になりつつあるゴブリンを見つめながら、アゲハは狼狽した。
(何よ何よこれ…長くて難しい呪文詠唱は!?発音や抑揚は!?この呪文…いいえ、これ、あたしが知ってる魔法の呪文じゃない…!!)
慌てて洞窟を飛び出すアゲハ。つい先程怒りに任せて歩いた街道を、駆け足で『南都』へ戻って行った…
※ ※ ※
四半時後、ロクスケのスクロールショップ…
わずかなランプの灯りを頼りに、スクロールに文字を刻むロクスケ。ドドドドド…表の方から猛牛が暴走する様な音が聞こえる。何だろう、こんな路地裏に…
バタァン!!「ロクスケぇっ!!」
入口のドアがまたしても乱暴に開かれ、入って来たのはつい半時前にこの店を出て行った女。走って来たためか肩で息をして、はちきれんばかりの胸元が大きく上下に揺れている。暴走する猛牛…いや、乳牛だったか…
「何だ、騒々しい…」
不機嫌そうなロクスケに、アゲハは、
「何なのよ!?一体何なのよ!?あれは!?」
「…あれとは何だ!?」
「あんたの呪文書よっ!!一体何なのよ!?あんたの、あんたの呪文書のせいなんでしょ!?」
「だから何があった!?」
「火の玉が出たの!『ラン、ファイヤーボール』って!!たった一言で!!!」
「ああ、それは仕様だ。」
平然と言うロクスケ。やっぱり…あれはこいつのせいか…
「説明しなさいよ!!ロクスケっ!!あれは一体何なの!?あの呪文書は!!あんた、あたしに何したの!?」
まくし立てるアゲハに、ロクスケは、はぁーっ、と、面倒そうにため息をついて、言った。
「ファイヤーボールって、何だ!?」
「こんな時に何言い出すの…」
アゲハの叫びは途中で途切れた。同じ事を、数年前に聞かれた事があった。ロクスケは続けた。
「いいか…氷ってのは凍る物だよな!?だからアイスの呪文を唱えれば相手が凍るのは分かる。風ってのは吹く物だよな!?だからウィンドの呪文を唱えれば相手が吹き飛ばされるのも、かまいたちで切れるのも分かる。」
「何を当たり前の事を…」
「じゃあ、火は!?玉になって飛んでくものか!?」
「………」
アゲハは言葉が出なかった。
「そう考えたら、俺は魔法の呪文って奴に疑問を持った。ファイヤーボールの呪文って、何だ!?、ってな…」
「…と、とんだ誇大妄想ね!!そんな物、誰かがうまくやってるんでしょ!?」
「そうだ。昔々の誰かが、火を玉にして飛ばす魔法の呪文を作ったんだ。なら、俺にも出来るはずだ…そう思った俺は冒険者を辞め、『南都』に来て、この店を開いた。魔法の研究をし、魔法の呪文を作るために、な……」
「あ、頭おかしいんじゃないの、あんた!?」
「褒め言葉だ。普通の頭からは普通の発想しか出ず、普通の発想からは普通の結果しか出ない。」
やっぱおかしい!本人も認めた!!でも…一刻も早くここを去りたい想いを堪えて、アゲハは言う。
「じゃ…じゃあ、たった一言で火の玉が飛んで行ったのは!?オリジナルの魔法を作っただけじゃあ、あれは説明出来ないでしょ!?」
「ふむ………」ロクスケはしかめっ面で頭を掻いた。そして、
「あのさぁ、魔法の呪文の前句ってあるだろう!?お前はどんなんだ!?ほら、『アーマイングレータンスプリービーン』って奴………」
「あ、あたしもそれ。」
「俺と同じ学派か…あのなぁ、それ、『おお我が偉大にして至高なる御方よ』って意味だぞ。」
「………へぇー…」前句の意味なんて、考えた事無かった…アゲハの薄い反応に、ロクスケは、はぁー、とため息をつき、
「…前句に意味なんて無いぞ。無くても魔法は発動する。」
「え………えええええ〜〜〜っ!?」
アゲハの心の中で、5歳の時からずっと築きあげて来た象牙の塔がガラガラと音を立てて崩れて行くのを感じた。
「ま、前句って、学派毎にうちのが一番って論争のネタにもなってるのに…!!」
「あと、魔法の呪文には似た様なフレーズを何度も繰り返すのが多いだろ!?例えば『ファイヤーボール』だと、『フロジストンフロギストンフローギストン』とか…」
「ああ…あるわね。抑揚とかイントネーションとか、間違わずに言うの大変なのよね…」
「あれ、同じ意味の言葉を発音を変えて何度も言ってるだけだぞ。正確に発音するのが難しいから、わざと細部を変えて何度も言って、その内どれか正解があれば儲けって感じで…」
「な………!?そんないい加減なの!?魔法の呪文って…!?」
「安全策なんだろうな。でもその分、魔法の呪文は冗長で、無駄が多い物になってる。術者も良く識らずに使ってる。」
「………あたしが今までやってた事って、何なの!?」
アゲハの言葉にロクスケはニヤリと笑う。
「お前も持ったか、『魔法の呪文について疑問』を…」
「か…からかわないで!!あたしの最初の質問に答えなさいっ!!」
ロクスケは不遜な態度を崩さず、
「考えてみろ。ならどうすればいい!?」
「質問してるのはあたしの方………」言い返しながらアゲハは考えた。魔法の呪文は安全策を取っているため冗長で無駄が多い。なら…
「………各フレーズが正確な魔法の呪文を、一回で唱えられれば…でもそれが難しいのよね…」
正確な魔法の呪文を…呪文!?ロクスケは言った。『魔法の呪文に疑問を持て』、と…呪文、呪文………
…アゲハの思考は、1ヶ月前に飛んでいた。まだ北都で冒険者をしていた頃…アースドラゴンの討滅戦、長々しい魔法の呪文詠唱を、最後のたった一言の言い間違いで全て失敗に終わらせた…なんであんな事になったのか…そう…
「………魔法の呪文詠唱が、そもそも無駄で非効率的…」
あたしは何を言ってるんだろう。アゲハは思った。が、ロクスケは我が意をいたという顔で、
「そうだ。だから俺の魔法の呪文書は、呪文詠唱そのものを無くした。完成された魔法の『術式』を、スクロールを開き、読む事で術者の頭の中に『構築』し、必要な時にそれを『呼び出し』、『走らせる』。」
「走らせる!?魔法を!?」妙な表現だった。だが…そんな事はどうでも良かった。
「あ、あんたがしてるのは冒涜だわ!魔法への!!ま、魔術師への!!」
「冒涜…!?」
「ま、魔法は、魔力は、あたし達魔術師に与えられた特別な力よ!!長い呪文を覚え、寸分の狂いもなく唱えられる者のみに与えられる、至高の力!!それをこんな簡単に…魔法を貶める冒涜以外の何物でもないわ!!」
だがロクスケは平然と、
「だったらさっきのお前さんの言葉も冒涜だよな。お前、認めたぞ、『魔法の呪文詠唱が非効率的だ』って。」
「こ…言葉の綾よ!!」
「それにお前、魔法を崇高な物だと言いたそうだが、結局、その崇高な呪文の意味も分かっていなかったじゃないか…」
「………っ!!」
顔を真っ赤にして、ツカツカと大足で店の出口まで歩いて行くアゲハ。ドアを開けた刹那、アゲハは振り返り、
「…認めないからね!!こんな物………!!」
バタン!勢い良くドアを閉めて出て行くアゲハ。後に残されたロクスケは、やれやれとため息をついた。
※ ※ ※
(腹立つ!腹立つっ!!はらたつっっ!!!)
路地裏の細く曲がりくねった道を、怒りに任せて歩くアゲハ。辺りはもうすっかり暗くなっていた。
「ああもうっ!!」
とんがり帽子の上から頭をガシガシと掻くアゲハ。どれだけ搔きむしろうと頭の中のファイヤーボールの呪文…いや、術式は消えない。
「やっぱり南都なんかに来るんじゃ無かった!!」
海に程近い路地裏からは、海峡がよく見える。その向こうに広がる陰の表面には、薄っすらと光の靄の様な物が浮かぶ。『北都』の灯り…昨日までは、アゲハもあの灯りの一部だった…
「『北都』に...帰ってやる!!一刻も早く!!」
『北都』、その名前がアゲハに思い出させた。1ヶ月前の忌まわしいアースドラゴン戦、呪文詠唱の最後の一句を噛んで不発に終わったファイヤーボールの呪文。
(もしあの時、ロクスケの術式があったら………)
アゲハはブンブンと頭を振って、その考えを否定した。それにしても…
アゲハのせいでロクスケは『北都』の、パラディンの冒険者パーティーを追放された。
そしてそのアゲハも今、『南都』へやって来て、ロクスケの下を訪れた。
怒鳴られる覚悟もあったのに、あいつはアゲハの事を完全に忘れていた。
冒険者を辞めてしまったと聞いたのでさぞや落胆しているだろうと思っていたが、生活に支障は無い様だ。それどころかあいつは変わらず『ファイヤーボールって、何だ!?』などと言っていた。
(心配して損したじゃない、もうっ!!)




