第1-1話 事の発端って、何だ!?
「ロクスケ…お前は追放だ。もううちのパーティーにはいなくていいぞ。」
そう言われた男…ローブをまとったいかにも冴えない魔術師ロクスケは、焦点の合わない目で虚空をぼんやりと見つめながら、何やらブツブツと呟いていた。
「へっへっへ…」「ま、当然だわな」「こいつ、全然使えねぇでやんの…」
他のパーティーメンバーも、ロクスケをなじる言葉を並べた。
パーティーリーダーの、全身金属鎧の男の隣には、金髪に短く尖った耳の、ローブをまとった少女。このピリピリした空気に戸惑っている。
「この子がうちの新しい魔術師、アゲハだ。もううちはお前がいなくても大丈夫だ。」
そう言われて、アゲハと呼ばれた少女が、ためらいがちにお辞儀する。
「ご…ごめんなさい…ロクスケ…さ…ん……」
フラリ…ロクスケは立ち上がり、側に寝かせてあった魔術師の長杖を手に取ると…そこでようやく、アゲハの存在に気づき、目と目が合い、ロクスケは一歩、アゲハに近寄る。
「なあ、あんた…」
ロクスケがボソっと言う。恨み言の一つも言われるのかとアゲハは身構え、
「は…はい…」
「………」ロクスケは何やらボソボソと言う。
「え…何ですか!?聞こえない…」
アゲハは言った。だが次の瞬間、ロクスケの口から出た言葉は、
「ファイヤーボールって、何だ!?」
「へ………!?」
ど っ!! 他のパーティーメンバーが爆笑する。
「ひゃ〜っはっはっは!!」「笑わせてくれるぜぇ!!」「そこまで壊れちまったかぁ!!」
「………っ!!」
しばしプルプルと震えていたアゲハだったが、
「知らないわよ、そんなの!!」
こんな奴と、同じ魔術師だなんて、思われたくなかった。
ロクスケはそれっきり、アゲハへの興味を失ったのか、またもやブツブツと何やら言いながら、長杖と荷物を手に、カウンターへ向かい、そこで手形を受け取る。その間も他のパーティーメンバーから、「じゃあな〜ロクスケ〜〜〜!!」「第二の人生、せいぜいがんばりな〜〜〜」「お前がいなくなってせいせいするぜ〜〜〜」と、罵声を浴びせかけられる。ロクスケはそれが聞こえていないかの様に、ヨロヨロとギルドの入口から出て行った。リーダーはそんなロクスケの後ろ姿にこう言った。
「ロクスケ、お前は冒険者をやめた方がいい。」
その言葉に同調する他のメンバーからの嘲笑が更に浴びせられた。
この日、魔術師ロクスケは『北都』の冒険者ギルドを除隊し、代わりに魔術師アゲハがパーティーに加入した。よくある追放劇だ、ここでは…
ロクスケはそのまま、『北都』を後にしたらしい…
※ ※ ※
数年後…
海峡を渡る船の上に、一人の女性の姿があった。
黒いマントに縁の広いとんがり帽子を被った、魔術師アゲハである。短く尖った耳は変わらないが、金髪は美しく伸び、マントの下は、胸元の大きく開き、ヘソ出しの真っ赤なビスチェに、肘まであるロンググローブ、ミニスカートに膝上までのストッキングをガーターベルトで留めている。『北都』での年月はサナギを蝶に羽化させた様だ。
「………ブツブツ…フロジストンフロギストンフローギストン…ブツブツ…」
アゲハは手に持った書物を音読している。彼女の背後には、海に突き出た大きな岩の様な岬。その岩肌に、へばりつく様に出来た無機質な街…『北都』。
風が吹き、書物のページがパラパラとめくれ、アゲハはとんがり帽子が飛ばない様に押さえ、ふと、前を見つめる。船の向かう先にあるのは、海岸線一帯に美しい町並みが広がる、『南都』。
天気の良い日だと『北都』からもこの『南都』は見えた。アゲハは『南都』と、それから背後の『北都』を見つめ、呟いた。
「北都落ち、か………」
※ ※ ※
船が『南都』に着くと、アゲハは倉庫街からバザーを抜けて、大通りの冒険者ギルドに向かう。
カランカラン!!ドアを開けた途端、着いていたベルが鳴る。ギルドの酒場には、赤ら顔でがなり立てる汚い男達。昼日中から漂う熟柿の匂いにアゲハは顔をしかめる。先程までどこまで本当か分からない自慢話に花を咲かせていた男達も、入ってきたアゲハと、その格好を見て、ヒューヒューと下品な指笛を鳴らす。そいつらを完全に無視してアゲハはスタスタとギルド奥のカウンターへと歩いて行く。その間もミニスカートとマントの裾から伸びる白い太腿に、男たちの下品な視線が注がれる。
「いらっしゃいませ。初めての方ですよね!?新規登録ですか!?」
掃き溜めに鶴という感じの受付嬢が応対する。アゲハは頷き、
「アゲハ……魔術師。」
ヒューヒュー!! アゲハちゃ〜〜〜ん!! こっち来て一緒に飲もうぜぇ〜〜〜!! 男達から浴びせられる声を無視して、受付嬢は、
「それでは登録完了しました。続いて両替を…」
「あ、あの…」
受付嬢の言葉をアゲハは遮る。
「はい…!?」
「ロクスケ…さんは、いますか!?」
数年前に、自分のせいでパーティーを追放された男の事が、ふと気になった。彼は『南都』に移ったらしいと小耳に挟んだ。しかし受付嬢は首をかしげて、
「ロクスケ…ですか!?その様な方は登録されていませんが…」
「そんなはずは無いんです!魔術師のロクスケですよ!?」
すると、酒場の端のテーブルに座っていた2人の女性のうちの1人が、
「あのさ…ロクスケって、もしかして、スクロール屋のロクスケ…!?」
「え………!?」
※ ※ ※
10分後…
ギルドで女性冒険者が教えてくれた通りに、大通りから何度も角を曲がって細い道に入って、ようやくたどり着いたのは、1軒のみすぼらしい家。スクロール屋…魔法の呪文を記した巻物屋だと聞いていたが、看板一つかかっていない。
数年前、アゲハのせいで『北都』の冒険者パーティーもギルドも追い出されたロクスケ。てっきり『南都』のギルドで冒険者として頑張っている物と思っていたのだが、冒険者にならずスクロール屋になった…いや、落ちぶれたと聞いて、放っておけなくなり、ここまで来てしまった。
ギ…ギィ……… 入り口のドアを開けようとするとそれは思った以上に建て付けが悪く、耳障りな軋み音がアゲハを迎えた。店内には誰もいない。客も店員も、店主すら…
(何なのよ、ここは…!?)
アゲハは思った。
中は薄暗かった。まだ日も高いと言うのに、通りに面した唯一の窓は背の高い棚で塞がれていた。売り物のスクロールが日光で変色するのを防ぐため………では無い気がする。
入口の隣りの窓を含む三方の壁は全て棚が並んでおり、そこには売り物のスクロールが雑然と、うず高く積み上げられていた。おまけにこっちはアイス、こっちはウィンド、ヒール、プロテクト…同じスクロールの山であっても種類がまちまちの様だ。
(この店の主………客商売する気あるの!?)
歓迎されていない。アゲハは思った。どこかから猫の鳴き声の様な甲高い声も聞こえる。
もう何日も、下手すると何ヶ月も客が来ていないのだろう。棚にも、棚の上のスクロールにも、薄っすらと埃を被っており、その掃除すらしていない様だ。
(もう帰ろうか…)
たまにここを訪れた数少ない客が抱いたであろう結論にアゲハも至った。そもそもあたしは、他人の事にかまけてる場合じゃない。その時、コツン…ブーツのつま先に何かが当たる。床に落ちていたのは売り物のはずのスクロールだ。指先の出ている手袋をはめた右手で拾い上げようと屈んだ拍子にミニスカートのお尻が見えそうになる。飾り気の無いスクロールの表紙にはこう書かれていた。
「『ファイヤー………ボール』………!?」
はるか昔に交わし、とうに忘れていた会話が妙に引っかかる。カリっ!爪が封紙を破いてしまう。
ペラ… スクロールの端がわずかにめくれる。「あ!」アゲハは声を上げたがもう遅い。
パラパラパラパラ… スクロールが勝手にめくれ、右手からこぼれ落ちる。空いていた左手で受け止めようとするが、スクロールは両手から地面へと落ちて行く。
「え………!?」
パラパラパラパラ… スクロール本体は両手のひらの間でクルクルと回り、本紙が指先の方からパラパラと床へ落ちて行く。本紙が全部一旦アゲハの手のひらや指の上を通って落ちていくため、書かれている内容が全部目に入ってしまう。
spell fireball(position,rmax,rho,nmax,joule,ft,phit,thetat)
:
deltad=0.1
d=rmax*deltad
:
form sphere(b,position,rmax,d,i2max,nitrogen)
form ball2(a,position,rmax,rho,nmax,phlogiston,2,oxygen,1)
heat(a,joule)
c=a+b
force(c,ft,phit,thetat)
:
end spell
(何これ…!?あたしの知ってる魔法の呪文書って、こういうのじゃ無かったはずなのに…)
スクロールに書かれている内容は、見た先から消えて行き、アゲハの指先からこぼれる頃には白紙になっていた。代わりにアゲハの脳内にそれらの文字が入って来る!!
尋常ならざる物を感じたアゲハは反射的にスクロールを手放した、が、何故かスクロールは落ちる事無く空中で静止し、勝手にクルクルと回り続けた。ご丁寧にスクロールの中…本紙に書かれていた内容がいちいち目に入る様に、スクロールは回り続ける。
subroutine ball2(a,position,rmax,rho,nmax,material1,n1,material2,n2)
imax=int(rho*4*pi()*rmax**3.0/3.0)
n=n1+n2
for i=1 to imax
call randomball(a,position,rmax,imax,i,r,theta,phi)
if mod(i,n)<n1 then
call createcluster(a,material1,mole*nmax,position,r,theta,phi)
else
call createcluster(a,material2,mole*nmax,position,r,theta,phi)
endif
:
(は…入ってくる…頭に焼き付いてくる………っ!!!)
そうとしか言えない様な現象が、アゲハの中で起きた。スクロールに書かれている意味不明の文字や単語の羅列が、アゲハの両目から勝手に入り込み、眼球と脳とを繋ぐ紐の様な物を通って、焼き印か何かの様にアゲハの脳に刻み込まれていった。
:
next i
:
end subroutine
:
同時にアゲハの心臓が飛竜警鐘の様に鳴り始める。大きく、早く、鼓動が耳に聞こえるまでに、ドキドキ…いや、バクバクバクバクバクバクバクバク…心臓の容量と筋力を限界まで使い切るかの様に、血液が、流れる!!血管の中を、迸る!!胸が、熱い!!
「ん………んあああああああぁぁぁぁぁっぁぁぁ〜〜〜っ!!!」
余人に聞かれてはいけないはしたない声を上げるアゲハ。熱い!!胸が…太腿が!!
「あ、あ、あ、あああああああ〜〜〜っ!!!」
アゲハは開いた両手…右手の指を熱く脈打つ内股へと伸ばし、左手の親指を切なそうに噛む。それが危険な物と認識しながら、何故かアゲハは回り続けるスクロールから目を話せない。スクロールに書かれた謎の文字列はアゲハの脳内へ次から次へと流れ込み、読んだ先から消えて行った。
subroutine shpere(a,position,r,d,i,material)
:
subroutine heat(a,joule)
:
subroutine force(a,ft,phit,thetat)
:
(こ、今度は何…!?球の次は、球面に、熱に、力…!?一体何なのこれ!?いつまで続くの………!?)
スクロールの軸の周りの紙はもうだいぶ細くなっていた。だが文字列の奔流は止む気配が無い。立ちすくむアゲハの周囲に、白紙になった細長い紙が無造作に流れて行く。理解不能だ。この文字列も、今のあたしの状況も…やがて巻き紙は最後の一寸が現れ、アゲハの叫びも絶頂を迎える
「あ、あああああああぁぁぁ〜〜〜〜ん!!!!!」
:
end subroutine
その文字が消えてアゲハの脳内に焼きつけられ、カラン!スクロールの軸がアゲハの掌からこぼれ、床に落ちた。同時にアゲハはガクンとその場にへたり込む。今までよく立っていられたものだ。
「はぁ………はぁ………」
肩で大きく息をするアゲハ。身体の火照りが、まだ癒えない…
「…何事だ、騒々しい…」
店の奥から誰かが出て来た。チュニックを着た冴えない男。相変わらずようやく聞こえるボソボソした声。
「はぁ…はぁ…あ…んた…」
段々身体の熱が冷えて来たアゲハは、男の顔に見覚えがある事に気づいた。数年前、『北都』で…
「ロク…スケ…」
「ん…何だあんた、俺を知ってるのか!?」
男…ロクスケは、この店の店主なのだろう。だが彼の口調は客を迎えるのとは程遠い、ぶっきらぼうな、むしろ迷惑そうな物だった。そしてアゲハの事も憶えていないらしく、再会を喜ぶどころか、彼女の周囲に散らばった紙の帯を見留めると、
「あーーーっ!!お前、封紙を破ったのか!?」
それまでの面倒くさそうなボソボソ口調から一転、彼にしては大きな声で叫びながら白紙になった紙の帯を手にとって呆然となるロクスケにアゲハは、
「知らない…わよ…ひとりでにこうなったのよ…一体何なの、これ…!?」
さっきの妙なスクロールは、ロクスケが関与しているに違い無い。
「これはこの店の商品だ。」
そう切り出したロクスケは、低い声でこう告げた。
「そして、このスクロールはもうお前の物となった。こうなったからには代金を払ってもらわねばならん。金貨5枚だ。」
必要も無い呪文書に相場の5倍の値段をふっかけられて、アゲハは叫んだ。
「は………はぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜っ!?」
ファイヤーボールって、何だ!?〜呪文屋ロクスケは術式を走らせる〜




