お飾り妻だと信じない女(転生者・麻倉美玲の場合)
乙女ゲームのモブに転生したハンナ(前世は麻倉美玲)。
病魔に侵された魔導士カイの攻略に失敗したハンナは、カイに全身の血を抜かれてしまったダメージからようやく回復し、結婚式に出席していた。
自分が転生直後に「モブには興味ない」と言い放って捨てたエドガーと、旧ハンナの友人だったドリスが結婚するのだ。
(モブ同士の結婚式とか、マジで興味ないんだけど。途中で帰っていいかな)
しかしエドガーとドリスの結婚式に参加したハンナは、別の理由ですぐに帰りたくなった。
結婚式は、絵に描いたような幸せオーラに満ちていたのだ。
ハンナと会ったときにはもさっとしたくせ毛だったエドガーは、前髪をあげてきちんとセットし、立派な紳士だった。
ハンナが「モブの友達はモブ」と馬鹿にしていたドリスは、上質だが清楚なウェディングドレスを纏い、100人に聞いたら100人が認めるほど、美しく輝いている。
「エドガー様の貿易事業は、かなりうまくいっているのだとか。ヴェルテル王国との取引も始めたそうですわ」
「近々、ウェッテン侯爵を抜いて、王都で一番の富豪になりそうだとか」
「ドリス様の従兄であるコルネリウス様も、違法薬物流通網の一斉検挙以来順調に出世していますから、男爵家はしばらく安泰ですわね」
そんなささやきにハンナは歯噛みして、参列者に挨拶して回るドリスを睨む。
当のドリスはとろけるような笑みをハンナに向けた。
「ハンナ、本当にありがとう」
「…私が捨てた男とお幸せに。どうせそいつはモブだから、あんたもモブな人生を送るのよ」
ドリスの笑顔がピクリと引きつった気がしたと同時に、ハンナからドリスを守るように、エドガーがドリスを抱き寄せた。
「ちっ」とハンナは舌打ちする。
(マジで帰ろうかな)
そう思ったとき、目の前に優雅な仕草で手が差し出された。
「ヴェルテル王国のグレーズ公爵、ルイと申します。美しいご令嬢、どうか私の妻になっていただけませんか」
目の前にはこの世のものとは思えないくらい美形の貴族男性がいる。銀髪に紫の目、背は高く、服の上からでも筋肉隆々であることがわかる。そして慶事用の軍服には、数えきれないほどの勲章。
周りもざわめく。
「ヴェルテル王国のグレーズ公が…ハンナ嬢に求婚を…?」
「きゅ、急に…?」
(ヴェルテル王国のグレーズ公…新聞で見たな。ヴェルテル王国の戦争の英雄で、超金持ちなんだよね。つまりハイスぺ…!!)
ハンナは周りを見回す。
周囲は全力でグレーズ公爵とハンナに注目し、エドガーとドリスもあっけにとられてこちらを見ている。
(気持ちいい…!!やっぱり私はモブじゃない…!!)
「喜んで」
ーーー
厄介者のハンナの処遇に困っていたエッセン子爵は、「何があってもエッセン子爵家には責任を問わない」という条件をつけてグレーズ公との結婚を許可し、とんとん拍子に結婚の準備は進んだ。
ハンナは鼻高々で、現在唯一の友人?であるドリスに自慢する。
「やっぱり私はハイスぺ男子に愛される運命なのよね。あんたみたいなモブとは違うわ。持参金もいらないと言ってくださったの。どれだけ私に惚れてるのかしら」
さんざん話し散らかし食い散らかして帰っていくハンナを見送ったドリスは、夫エドガーに「ハンナったらあんなに喜んで…あっちに行ってから本当のことを知ったら…大丈夫かしら」とこぼす。
「もうハンナ嬢のことは気にするな。君が疲れるだけだ」
「だけど…」
グレーズ公ルイは、お飾りの妻を求めていた。
彼はヴェルテル王国に敵対していたエテル公国の併合を任されたが、戦争の過程で敵国の公女であるベルフェリシアに恋をしてしまった。
強欲で嗜虐的なエテル公国の王族はほとんどが処刑されたが、ルイはベルフェリシアを殺せず、こっそり自分の屋敷に連れ帰った。
ベルフェリシアはルイの厚意に感謝したが、「ただでここにいるのはいけない」と、周囲には正体を隠したままグレーズ公爵邸でメイドとして働いているのだ。
ルイはベルフェリシアと結婚はできないが、公爵という立場上、誰かと結婚する必要がある。「心のない結婚」をするのは心苦しいものだが、性格のねじ曲がったハンナが相手なら、罪悪感が少ない…
エドガーはルイから「結婚式で新郎新婦から注目を奪ってしまったお詫びに」と事情を聞かされていたが、ハンナがそんな事情を知るはずはない。
だから…
ーーー
華々しい結婚式のあとでルイに「君にはお飾りの妻でいてもらいたい。公爵家の品位を落とさない限りは何でも好きにしてもらっていいが、私が君を愛することはない」と言われたとき、ハンナは「そうきたか」とニヤリとした。
(まさにテンプレ通り。つまりこれは「放置され妻が最後には溺愛される系」ってことね)
翌日からハンナは早速、「放置され妻が最後には冷酷な夫に溺愛される系」のテンプレをこなしていく。
(まずは家庭菜園でスローライフ系妻っしょ。「野菜を育てる風変わりな貴婦人だな…」「何か他の令嬢たちとは違う…」からの溺愛は鉄板だよね)
使用人たちを動員して屋敷の庭に野菜畑を整備し、適当に野菜の苗を植えていく。しかし…
「なかなか育たないんだけど?」
畑を前に頭を抱えるハンナに、ベルフェリシアが「奥様」と声をかけた。
彼女は艶やかな黒い髪にネイビーの瞳をもち、唇は小さく赤い。飾り気のないメイドの制服でも、他のメイドたちとは圧倒的に違う気品を放っている。
「調べてみたのですが、野菜にはそれぞれ、適した土や肥料があるようです。それぞれの野菜に会った土や肥料を与えて環境を整えてあげることで、野菜がすくすく育つと思います」
「そうなの?」
「はい」
「めんどくさそうだから、あんたやっといてくれる?枯らしたら責任とってよ」
「かしこまりました」
仕事を丸投げされたベルフェリシアは、それから毎日丁寧に野菜の世話をした。
水と肥料をやり、雑草をとり、虫がいれば怖々と布で包んで、庭の遠いところまで運んで逃がしてやる。
メイド仲間と一緒に作業したときには、「顔に土がついてる」と笑い合う。
初めて自分で育てた真っ赤なトマトを収穫できたときは、「はやく奥様に報告しなきゃ」とカゴをもって走り出した。
ルイはそんなベルフェリシアのくるくる変わる表情を、執務室の窓からじっと眺めるのが日課になった。
その日の夕食に出たトマトは、ルイが今まで食べたことがないほど美味しかった。
「これはうちの畑で採れたトマトだろう。とても美味しい」と、ルイは食堂の隅に控えているベルフェリシアに聞こえるように、少し大きな声で言う。
「でも私はトマトの食感が嫌いです」とハンナ。
「食べないのか?じゃあ私にくれないか」
ハンナはニヤリと笑って「いいですよ」と皿を差し出した。
(私の残り物が食べたいだなんて…早くも溺愛モード突入ってこと?)
ーーー
(次のテンプレは、誕生日プレゼントに刺繍入りハンカチだよね。貴族にしちゃあささやかなプレゼント&下手な刺繍が逆に健気ってパターン)
折しももうすぐルイの誕生日で、はかったような偶然にハンナは「やっぱり私は溺愛される運命なんだ」と勢いづく。
(だけど私、実は手芸得意なんだよね…無理やり下手にするって難しいし、どうすっかなぁ)
ハンナは「刺繍やるから、苦手な人がいたら教えてあげる」と侍女やメイドたちに声をかけた。
練習にかこつけて下手な刺繍を集め、適当な物を自分が作ったことにして、ルイに渡すつもりだ。
何人かが立候補し、ベルフェリシアもおずおずと参加する。
「あんた、ずば抜けて下手ね」
「申し訳ございません、奥様…」
ベルフェリシアはグレーズ公爵家の紋章であるライオンとオリーブを刺繍しようとしていた。
「もっと簡単な図柄からやんなさいよ。物事にはレベルってもんがあんのよ。モブはモブ同士、ハイスぺはハイスぺ同士で結ばれるようにね。高望みしたらいいことないんだから」
その言葉にベルフェリシアの心はズキリと痛む。
(そうよね…亡国の公女である私が、自国を滅ぼしたルイ様のことを好きだなんておかしいんだわ。それにルイ様はもうご結婚されたのだし…)
ベルフェリシアはハッとした。
(どうしよう、無意識にライオンとオリーブなんて選んでしまって。奥様に私の気持ちが知られてしまったら…!)
しかしハンナはまったく気にしていない。そもそもグレーズ公爵家の紋章になんて興味がないのだから。
「でも、ま、ちょうどいいわ。これは私がルイに渡しとくから」
「えっ…?奥様…えっ…どうして…?」
「うるさいわね。内緒よ」
「は…はい…」
(奥様、どうして…?)
後日ハンナからくねくねしながら「一生懸命刺繍したのですが…」と、無様なライオンとオリーブが刺繍されたハンカチを渡されたルイは、そっとハンカチに口づけした。
ベルフェリシアがハンナにしごかれていると聞いていても立ってもいられずにハンナの部屋を覗きに行ったとき、ハンナとベルフェリシアのやり取りを聞いたからだ。
(ベルフェリシアが刺繍してくれたハンカチ…)
ベルフェリシアは全部の指に包帯を巻いていた。苦手なのに一生懸命刺繍したのだろう。
(宝物だ)
ルイの様子を見て、ハンナはニヤニヤ笑いを抑えられない。
(もうほぼ陥落してるんじゃないの?)
ーーー
(次は夫が病気になるかケガするかして、献身的に看病だよね。でもこれはルイが病気になるかケガしなきゃどうしようもないし…都合よく死なない程度の病気になってくんないかな)
「そうだ」
ハンナはニヤリとして、厨房に下りてクッキーをつくり始めた。意外に手際が良い。そして隠し味に下剤を数滴。
夫を煩わせない妻を演じるために、ベルフェリシアに指示してルイの部屋にクッキーを運ばせる。
ルイはベルフェリシアが持ってきたクッキーを食べ、首尾よくお腹を下した。夕食の席で、ハンナはルイの体調不良について報告を受ける。
「ナイス!ここでルイを看病すれば、溺愛は完全に私のものよ!」
と、ハンナは切羽詰まった腹痛を感じる。
(なんで...?なんで私も…?)
ハンナは下剤を厨房に置きっぱなしにしていたため、シェフが間違ってハンナの夕食に下剤を入れてしまったのだ。
「ちょ…ちょっとトイレ…」
「奥様!?」
ハンナは結局ルイを看病することができず、代わりに使用人たちに「あなたが行きな」「頑張れ」と促されたベルフェリシアがルイを看病した。
「旦那様、大丈夫ですか?」
「ああ…だいぶマシになった。その…ありがとうございます、ベルフェリシア姫」
「姫なんて、やめてください。今はただのベルフェリシアです」
「ただのベルフェリシア…」
「はい」
「私もただのルイになれたらいいのに…」
「えっ…?」
「ただのルイになれたら、君と二人で…」
そう言ってルイはベルフェリシアの頬に手を伸ばす。
ベルフェリシアは思わずルイの手に頬を摺り寄せたあとに、我に返って「旦那様、いけません」と彼から離れる。
「離れないでくれ…トマトもハンカチも、とても嬉しかったんだ」
「え、旦那様、あれが私のだと知って…」
「もちろんだ。だからとても嬉しかった。ハンカチはほら、今もここに」
ルイが本当に自分の刺繍したハンカチを大事に持っているのをみて、ベルフェリシアのときめきは止まらない。
(だめ、これ以上ここにいたら…!)
「旦那様、本当にいけません。旦那様はご結婚なさったのですから、奥様を大切にしませんと」
「ベルフェリシア…」
ーーー
(他の溺愛テンプレってなにがあったっけ…)
腹痛がおさまったハンナは、考え事をしながらルイと食事をしていた。
看病以来ベルフェリシアに避けられるようになってしまったルイは、何とかベルフェリシアと話したくて、「ベルフェリシア、このきゅうりも畑で採れたものかな」と聞いた。
「はい、旦那様」とベルフェリシアが答えると同時に、ハンナが「は?」と声をあげる。
「あんた、ベルフェリシアっていうの?」
「はい、奥様」
ハンナはぎゅっと拳を握る。
「贅沢よ!完全なる贅沢!!」
「ぜ…贅沢…ですか?」
「そうよ。なんでただのメイドがベルフェリシアなんて豪華な名前なの?私の名前なんてハンナよ!くっそ地味よ、公爵夫人なのに!なんであんたのほうがキラキラしてんのよ、許せないわ!!」
ハンナは息を整えて、「あんたは今日からベルよ、ベル。ただのベル、呼び鈴のベル」と告げた。そしてルイに向き直る。
「旦那様もベルと呼んでくださいね!絶対ですよ!!ほら呼んでみて、セイ!」
ルイはハンナの勢いに圧倒されながら、「ベル…」と口に出す。
(愛称で呼ぶ…私がベルフェリシア姫を愛称で…?そんなこと考えたこともなかった。なんだこの高揚感は…!?)
真っ赤になったルイを見て、ハンナは「ああ、そういう系だったの?」とピンときた。
(ちょっとMっ気があるタイプ?気の強い妻にドキドキしちゃうタイプね?じゃあお望み通り…)
ハンナはどんとテーブルを叩いた。普通に手が痛い。
「旦那様、私、あなたの気持ちに気づいてます!」
「えっ…?それはどういう…?」
「ごまかさないで!」
「私は何度も誤解とすれ違いを繰り返す鈍感系ヒロインじゃありません!あなたの気持ちには気づいてます!だから今!ここで!はっきり!あなたの気持ちを発表してください!私は受け止めますから!!」
「わかった、ありがとう…」
(いや、ありがとうじゃねえんだよ。早くカモン!)
「私はベルを愛してる」
「…はっ?」
「ベルへの気持ちを諦めきれないと気づかせてくれたのは君だ、ハンナ。感謝している。ベルが亡国の姫だなんて関係ない。私は彼女と生きていきたい」
「ど…どうい…亡国の姫…え…?」
ルイはベルを熱く見つめる。
「ベル…愛してる。エテル公国の王城で、初めて君を見たときから」
「旦那様…いえルイ!私も愛してます」
抱き合う二人と「わかってたよ」「よかったね」というムードの使用人たち。
完全にハンナだけが置いて行かれている。
(え?えっっ?えええええええ!?私の溺愛は…?)
本当に驚きすぎると声が出ないということを、ハンナは実感した。
「ハンナ、離婚しよう。この屋敷は売り払い、財産もすべて君に離婚の慰謝料…いや、感謝の印として渡す。私に踏み出す勇気をくれてありがとう」
「奥様…いえハンナ様、本当にありがとうございます」
ベルフェリシアはルイに寄り添いながら、泣いているのか笑っているのかわからない顔でハンナに頭を下げる。
「ま、まあ…せいぜい私のお下がりとお幸せに」
(納得いかない)
◆◆◆
「このあとハンナはルイから受け取った慰謝料で、死ぬまで経済的には不自由なく暮らしました。ちなみとルイとベルフェリシアも親族の助けを得て、質素ながらそれなりに幸せな人生を送ってます。以上が転生者番号1494・麻倉美玲さんのストーリーになります」
パチパチパチパチ。
「意外に活躍してたよねぇ。二人の幸せを叶えて、結果的にはキューピッドじゃん」
「ハンナ自身は1ミリも満足してないけどね」
「キャラへの愛が圧倒的に足りないんだから、溺愛されるわけないよなぁ」
そんな囁きが広がっていく。
上司の大塚が担当の吉川に話を振った。
「異世界オーナー様が、かなり麻倉さんを気に入ってくださったと聞いたよ」
「はい。その通りです。本来は前の国で死ぬはずだったのが、オーナー様のご希望でヴェルテル王国編も追加になりました」
「だね。それで別のオーナー様も麻倉さんに興味をもったみたい。麻倉さんを自分の世界に転生させてほしいんだって」
「本当ですか!?正直、行動を追って報告をあげるほうは大変なんですが…」
大塚はニヤッと笑った。
「頑張ってよぉ。転生者をリサイクルしてまた紹介料稼げるんだから」