邂逅 8
あれぇ何これ。
真唯佳がクラスの女子生徒二人と一緒に訪れた、地理資料室。
始業式から2週間ほど経過し、新学年の様々な学年集会や健康診断なども大半が終わり、本格的に授業が始まっていたある日。
先生から、授業で使う地図や地球儀を予め資料室から運ぶようにお願いをされたため、休み時間に訪れたのだが。
通常、壁際の棚に各種模型がしまわれているのだが、机の上にそのほとんどが散乱していた。
「前に使った人が後片付けをせず、適当に放置した?」
生徒の一人が声を上げる。
「そういえば、噂によると、この前、家庭科室でも同じことがあったらしいわ」
「同じこと?」
と、もう一人の生徒が言うので思わず質問する真唯佳。
「調理道具や食器が作業台やシンクに放置されていたんですって。」
「えー、変なの……。そんなこと今までなかったのに。しまい方を知らないってこと?」
ちょっと急いでいるのでそのままで去りたいけど……だめだよね。
そう思い、真唯佳は、教材をそばの棚に入れようとすると。
棚板が外されていたので、収納できない。
「何これ、しまえないじゃない。先生がわざと出したのかなぁ」
「とりあえず、今必要なものだけ教室に運んで、先生に説明しよう。これじゃあ片付けられないから」
そう言って、資料室から備品を数点取り出し、部屋から立ち去る。
部屋の中のカーテンから、その様子を見ている影があったが、真唯佳たちは気づかなかった。
――――――――――
「なんかそんな話、聞いたことあるかも」
次の日のランチタイム。
食堂で窓際の4人がけの丸テーブルを確保し、鈴乃と真唯佳が向かい合わせに座って昼食をとっている。
お互いお昼前後に移動教室等がない日は、食堂で待ち合わせて二人でご飯を食べることにしているのだ。
昨日の資料室の出来事を話したところの、鈴乃の第一声だった。
「私が聞いたのは、英語で使うL L教室なんだけど、コードが全部抜けていて、机の端末から音が出せなかったらしい」
「コード?何か点検の途中だったのかしら。そうだとしたら、使用禁止って張り紙欲しいよね」
「ヨォ、お二人さん、一緒していい?」
その時、背後から絢祐の声が聞こえる。彬も一緒だ。
「どうぞどうぞ」
鈴乃がそう言い終わらないうちに、真唯佳の左隣の席に絢祐がトレーを置く。
「二人で話していたところ邪魔して悪いね、混んできたからなかなか席が見つからなくて」
そう言って、真唯佳の右隣の椅子に腰をかける彬。
「大した話をしてたわけじゃないけど、なんか最近教室が荒れてるねって」
「教室が荒れている?誰か授業妨害しているの?」
鈴乃の説明に聞き返す彬。
「そうじゃなくてね、ほらケンちゃん、昨日の地理の前に私たちが教材取りに行ったんだけど、模型が散らばっていたのを先生に話したら、怪訝な顔をしていたじゃない?」
「おー、なんかそんなことあったね」
真唯佳の説明にカツ丼を頬張りながら絢祐が同調する。そして続けて、
「俺も似たようなことあったぜ。この前廊下にサブロオが寝転んでてさ」と切り出す。
「サブロオ?」
「生物室の骸骨だよ」
「あぁ、サブローさん!」
誰の事かわからなくて聞き返した鈴乃に、絢祐が言葉を加える。
三郎とは、学校の開祖、陣内三郎のことである。
そして生物室の人体骨格模型は、恐れ多くも開祖の名前で呼ばれている。
「サブロオ様がなんて目に……そんな不届き者がいたの?」
そう聞く真唯佳に、饒舌に話を続ける絢祐。
「俺、超ビビってさ、だって夕方に忘れ物取りに行ったら骸骨が廊下に寝てるんだぜ。
床に似た色してるから遠目には気づきにくいし。一瞬心臓止まったよ。
誰かのタチの悪い悪戯かと思って、おんなじようにビビる人がいるといけないから生物室に戻そうとしたら」
そこまで捲し立てた絢祐が一瞬、間をとって続ける。
「スタンドがなくなってて、しまえなかったんだよ」
へぇ、と一同驚く。
「俺、困っちゃってさ、教卓に安置して生物の先生に報告したけど。」
「なんかちょっとずつ備品がなくなっているよね。私の時は地理室の棚の金属がなくて、棚板が床に置かれていたんだよね」
そう真唯佳が付け足す。
「そもそも放課後に準備室の鍵が開いてるのなんて、不用心ね」
鈴乃も同調する。
不思議だね、などと喋りながら真唯佳は食堂の中央の柱にかかった時計を見る。
「みんな食べ終わってるし、そろそろ教室に行こう」
鈴乃は、真唯佳の視線に気づいてそう声をかけて、4人ともトレイを返却口に運ぶために立ち上がる。
真唯佳は3番目に続き、机の間の通路を歩いていたところ、見覚えのあるピンクのバレッタが目に飛び込んできた。
確か1年の望月さん。自分の後ろに彬がいたせいか、こちらを向いている。
大きなクリっとした黒い瞳が印象的な、可愛らしい雰囲気の子なのだが……
一瞬目が合い、自分が彬と一緒にいるのが気に入らないのか、睨まれている気がして、一瞬立ち止まってしまう。
(気にするな)
その時、彬にそう言われた気がして、少し振り返る。
騒がしい食堂でこの距離では、少し声を張り上げないと聞こえないはず。
でもアリサはじめ周りは彼の声が聞こえている様子はなく、きっと脳裏に直接話しかけてきたのだろう。
(早く進んで)
再び声が聞こえ、慌てて前を行く絢祐に追いつこうとする。
よく考えたら、彼女は真唯佳が立ち聞きしていたことを知らないのだから、気にする必要はない。
いつもの自分は誰かの視線を浴びているかどうか気にしないはずなのに、反応してしまうなんて。
トレイの返却口で彬と並んだので、ボソッと呟く。
「鈴ちゃんに誘われたとはいえ、立ち聞きしてちょっと後悔している」
そう言ってちらっと彼の方を見ると、穏やかな表情でこちらを見ている。
まるで、あの時のことを許してくれているかの表情だ。
怒られていたわけではないが、あれ以来なんだか話かけ辛くて、あまり会話をしていなかったのだ。
彼は無言だったが、その表情から、優しさが滲み出ている。
いいやつだよね、ほんと。
真唯佳は、そんなことをふと思う。
こんなできた人間で、良家の御子息で、その上優秀。
こんな素晴らしい人に想われている女性って、誰なんだろう?
その一方で私は……
食堂の出口に向かいながら、考えを巡らす。
彬は素晴らしい人だけど、ただの同居人だ。
好きとかそう言うものではない。
そもそも愛ってなんだろう?
実の親にさえ愛された記憶もなく、育ての親は……
そう思った瞬間、背中にびりっと何度か電流が流れるような痛みを感じる。
「真唯佳」
痛みを感じた直後、彬に呼びかけられ、顔を見ると、彼は静かに首を何度か横に振っている。
「泣きそうな顔になっているぞ」
そう指摘され、はっとする。
過去に囚われかけている自分に気づいて、慌ててその考えを止めようとするが、苦しさに思わず呼吸が浅くなる。
それに気づいた彬は、真唯佳のそばに行き、背中を何度か優しく撫でる。
背中の痛みが引いていき、同時に何度か深呼吸をすることに成功する。
だいぶ楽になった。
彼の方を向き、もう大丈夫と言うおうとしたが……
後方に視線を移しているので、真唯佳と目が合わない。
「どうしたの?」
そう質問をすると、彬は「なんでもない、行こうか」と言って彼女の背中をさすっていた手を離す。
先に出口に行ってしまった鈴乃たちに追いつこうと足早に歩くので、真唯佳はそれに合わせて早足で食堂を後にする。
そんな二人を、食器返却口付近の柱の向こうから見つめる黒い影があった。