邂逅 7
あれから1週間
始業式の日にあった事件が夢だったんじゃないかと思うくらい、何も起きていない。
仲良しの絢祐と鈴乃は、自分たちに特殊能力があるのを知っているので、「ちょっと人に狙われているかも」という程度に説明をしておいた。
最初の数日は、何かにつけて敵がそばにいるんじゃないかとビクビクおどおどしていたけど、全くといって良いほど何もなかった。
そのうち「変に疑心暗鬼になるのはやめよう」と開き直り、真唯佳はいつも通りに過ごしていた。
以前と変わったことといえば、蒼がいることくらい。
始業式の翌日に隣のクラスにお礼に行ったら、大きな声で「真唯佳ちゃん!」叫ばれ、かなり注目を浴びた。
そして廊下などですれ違うたびにブンブン大きく手を振って挨拶をしてくるので、かなり恥ずかしい。
まるで子犬に懐かれたご主人様のようで、どこからでも見つけてダッシュで駆けつけてくる。
見るに見かねた彬から
「彼には気をつけるように。あの強引な近づき方は不自然だ」と忠告を受けた。
確かに、真唯佳も初めは、強引で怪しい少年だと警戒していたけど。
いつも挨拶をして、ひとこと二言言葉を交わすと、「じゃ!」と言って去っていってしまうので、それ以上のことは特になく、自分の周りが賑やかになったかなという程度だ。
――――――――――
「ぶ、か、つ、だ、ぞ」
そう軽やかに言いながら、授業後、真唯佳は中等部のグラウンドそばにある運動系の部室棟に行こうと、校舎の脇道を歩いているところだった。
脇道のフェンスがあるところの植え込みに、しゃがみこんでいる女子学生がいるのだが……明らかに見覚えのある後ろ姿。
鈴乃である。
「何してるのー?」
と声をかけようとした途端、片方の手で自分の口元に人差し指を立ててしぃっと言いつつ、もう片方の手で真唯佳の口を塞いだ後、強引に引っ張られて二人でしゃがみ込む。
(今いいところなんだから)
そう耳元に小声でしゃべられ、ツツジの生垣よりも小さくしゃがんだままフェンスの向こう側を覗くと、ひと組の男女が見えた。
女子学生の方は、こちらに背を向けて立っているので誰だかわからない。
肩までの髪をハーフアップにして、ピンクの桜のモチーフのバレッタをしている。
制服が多少大きそうで、まだくたびれておらず、一年生かもしれないと想像してみる。
その一方で、男子学生の方ははっきり分かった。
バスケ部の青いジャージに身を包んだ彬である。
(えーーー、ドゆこと、ドゆこと??)
自分で自分の口を両手塞ぎながら、鈴乃に小声で質問する。
「あの子、一年の望月アリサ、初等部からの持ち上がりよ。
6年の頃から彬くんに目をつけていたらしく、入学して早々、アプローチしてるのよ。
何て図々しい子。彬くんがモテるの知っているから、早速攻めてきたのね」
彬すごーい。
そう思ってすぐに、頭を横にブンブン振る真唯佳。
感心している場合じゃない。どうするんだろう。
「好きなんです!」
そう、ちょっと甲高い声で口火を切る女子生徒。
ちょっと緊張しているのかもしれない。そりゃそうか。
「ごめん」
少し沈黙の時間が過ぎ、静かに彬が口を開いた。
「なんでですか、彼女さんがいるんですか??」
彬の返事に納得ができないアリサが、語気を強めて彬に質問をする。
「付き合っている人はいないけど」
「じゃあ、私を振る理由はないですよね」
「だけど君とは付き合えない」
そこまでは既定路線だった。彬の次のセリフを聞くまでは。
「好きな人が、いるから」
は?
その場にいた女子全員が固まった。そっと横目で鈴乃の気配を確認する。
やっぱり固まっている。
「だから、ごめん。」
女子生徒の肩がワナワナ震え、それ以上会話を続けることができなくなったのか、
わかりました、でも私、諦めません!
そう言って彬の横をすり抜けて走り去っていった。
「悪趣味だな、二人とも」
先ほどよりも少し大きめの声で、ゆっくりとそう話し出す彬。
「あらやだ、気づいてたの?」
そう言って悪びれもなく立ち上がる鈴乃。
それにつられて立ち上がる真唯佳。
「それにしても、手堅い方法で振ったわね。好きな人がいるんじゃあ、当分近寄り堅いわね。
でもそんな嘘、すぐにバレるんじゃない?」
そう言葉を続ける鈴乃。だが、さらに予想外の答えが返ってきた。
「嘘じゃない」
え?
「実ることはないけど」
そう小さくつぶやいて背中を向ける彬。
「部活があるから」
彬はそう言って、そのままスタスタと歩き出す。
追いかけて詳細を聞きたいが、目の前のフェンスが邪魔でそれができない。
「えー、彬くんの好きな人誰なのよ、教えなさいよ」
彬が去った後、ぐいっと真唯佳に詰め寄る鈴乃。
「こっちこそ聞きたいよ、鈴ちゃん知ってるんじゃないの?」
「そんなの、一緒に住んでいる人の方が知っているに決まってるじゃないの」
二人で向かい合いながら両手をガシッと握ってブンブン上下に振りながら、お互い興奮したまま質問し合っていた。
――――――――――
「え?彬の好きな人?」
あの後すぐにジャージに着替えた真唯佳がグラウンドに行くと、先にウォーミングアップをしていた絢祐がいたので、先程の顛末を伝えて質問をする。
「てかあいつ、女に興味あんの?三度の飯より本が好きなのに?」
「でしょ、家でもそうだよ。テレビやネットで見かける女子とかにも全く反応しないし」
「あれじゃねーの、分厚い辞書に出てくる肖像画とか。一応人だぜ」
と、明らかにからかっている表情で答える絢祐。
それはそれで面白いなと想像してみる真唯佳。
「まぁそんなことは良くてさ、早く部活始めようぜ。一年生がもうすぐ見学に来るんだから。
ちゃんと活動しているところ見せないと、いいやつが入ってこないぜ。」
とすぐに真顔になった絢祐が続ける。
はい、ごもっともです……。
そこで、この話題が終了してしまった。
学校、夜の8時。
翠陵学園は大学があるので、一部の門はこの時間でも開いている。
ササササ……直径50センチくらいの黒い円が、守衛室の入り口の前まできて止まる。
辺りには誰もいないので、その影に気づくものはいない。
もっとも、地面とほぼ同じ色をしているので、誰も何かあるとはわからないだろうが。
見回りのために室内から出てきた守衛が、その円を踏む。
あっという間に円があったところが穴になり、守衛の50代の男性が一瞬で消えたのだった。
――――――――――
「彬様の想いの方、ですか?」
真唯佳は夕食後、キッチンで片付けをしている叉夜にも、カウンター越しに放課後の彬の話をして質問をしてみる。
彬は今、入浴中だ。
「どうでしょう、ちょっと存じ上げないですが、ただ」
お皿を洗いながらそこで言葉を一回切り、一瞬手を止めて思案し、言葉を続ける。
「彬様の実年齢は二十歳くらいでしたか。お家柄からいって、そろそろお一人目とご成婚とまではいかなくても、婚約くらいされているのではないでしょうか」
それは真唯佳の想像の斜め上の回答だった。
「一人目……結婚??」
実は彬は自分よりも4つほど年上らしい。
真唯佳の警護のために見た目を少し幼くして、同学年ということになっている。
だが、ここでの問題はそれではない。
「はい、上級貴族の方々は何人か奥様がいらっしゃるのが普通ですし、早く一人目をお決めにならないと、何か問題があるのかと悪い噂になりかねません。
また適齢期にご結婚されないと、年の離れたお相手しか見つからなくなり、あまり良いことではない気がします」
「ニーベルって、そんな世界なの?」
若い頃から結婚して、しかも一夫多妻制なのか……
「上流社会だけですけど。ヴィンランド家といえば王家に次ぐ名門ですし。」
笹薙彬とは日本での名で、本名はジュリアン・ソレイユ・ヴィンランドというらしい。
正確には、本当はもっと長いらしいけど、舌を噛みそうな名前だった事しか真唯佳は覚えていない。
「しかも彬様は、英知の翁子という出世が約束されているポジション。
通常、そういった方は引く手数多です。
末っ子なのでご両親は結婚に焦りはないでしょうけど、かといってずっとお相手がいないとは思えません」
へぇ〜っと話を聞いていたところ、キッチン横の扉が開く。
「真唯佳、次どうぞ」
自分の話がされていたなんて知らない、風呂上がりの彬にそう声をかけられたので、結局答えがわからないどころか、ますます気になる状況となってしまった。