葛藤 8
舞踏会会場横の回廊。
マディラは、大広間からそれほど離れていない医務室に向かって、ゆっくりと歩いていた。
周りには誰もいない。
会場では、リヒトはじめ周りに気遣いさせないように変な緊張感があったが、一人になって少しリラックスしている。
床には廊下に沿って絨毯がひかれているので足音も立たず、非常に静かだった。
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マディラの退室から遅れること数分。
ジュリアンは大広間を出て、回廊の左右を見回し、一瞬どちらに曲がろうか思案するも、すぐに右に曲がる。
100メートル以上先に人影が見えた。マディラだ。
ダンス終了後の彼女の異変に気づいて、ジュリアンは見過ごすことができなかった。
人間界で、彼女の変化に気づかなかった結果が、今の二人の関係だ。
今は、彼女の変化に気づいている。にも関わらず何もしなくて、後悔したくない。
彼は歩きながら、「私たちはこれ以上触れ合ってはいけない」というマディラの言葉を思い出し、一瞬足が止まる。
そして先日、彼女に対し冷たい態度をとっておいて、今更何の心配をして声をかけるのかと自問しながら、拳を固く握る。
しかし、やはりあの顔色の悪さは尋常ではない。万が一のことがあったら。
触れ合わない。
2-3、言葉を交わして、もしも自分の杞憂なのだったら、それでいい。
またすぐに離れ、マルゴーの元に戻るんだと自分に言い聞かせ、ジュリアンは再び歩き出す。
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マディラは医務室にたどり着いた。
入り口には、現在往診中と書かれていたので無人と思われるが、とりあえず中で一息つこうとした。
部屋の扉を開けると、冷たい沈黙が室内に漂っていた。
しかし、薄暗い部屋の奥でなんだか人の気配がする。
誰かいるのかと奥の部屋に進んだ途端、突然暗闇から手が伸びてきて、部屋の中に引き込まれる。
見たことのある顔が彼女を待ち構えていた。
ユリウスだった。
姫の婚約者候補として選ばれているが、現在返事を保留にしたまま。
しかし、今まさに催されている舞踏会の参加者リストにマディラが入っているのに、彼が入っていない、その意味をユリウスは知っていた。
彼は冷たい笑みを浮かべ、彼女を見つめている。
その隣には、彼の家来の男と女が控えていたが、そのボディーガードの男に、マディラは後ろから抑えられてしまう。
女は、見たことのある顔だった。
最近入ってきたマディラの給仕係。女は姫に冷ややかな視線を送っている。
マディラは不安げに口を開く。
「……ユリウス様、これは一体……?」
ユリウスはゆっくりと前に進み、王女に答えた。その声には、いつもよりも不気味な響きがあった。
「本日の舞踏会の相手に選ばれなかったことは、少し残念です。だが、今からでも遅くはない。俺を婚約者に選んでいただければ、全てが解決しますよ。」
マディラは、無言で下を向く。
その様子を見て、彼はさらに言葉を続ける。
「リヒトは相応しくない!あんなウジウジしたやつと一緒になるくらいなら、俺を選ぶべきです!」
しばらくの沈黙の後、マディラは一言つぶやく。
「ごめんなさい。」
ユリウスの表情が変わる。優雅な面影は消え去り、彼の顔には歪んだ怒りが浮かんだ。
「そうですか……それは残念です。手荒な真似はしたなかったのですが。」
彼はポケットから小さな瓶を取り出した。淡い紫色の液体がその中で揺れている。
ユリウスはそれを彼女の前に差し出し、凶悪な笑みを浮かべた。
「これは惚れ薬です。魔女に頼んで作ってもらった。これを飲めば、あなたは俺に夢中になるだろう。」
マディラは恐怖に凍りついた。
彼の家来の男が彼女の腕をより強くつかみ、動きを封じ込めた。
彼女は振り払おうとしたが、体調不良で力が入らず、逃げることすら難しい。
ユリウスはさらに歩み寄り、瓶を開けてその中の液体を強引に王女の口元に近づける。
マディラは必死に抵抗するが、体が言うことを聞かない。
「やめて……お願い……!」
しかし、ユリウスは止まらない。
マディラが激しく抵抗し、突然彼女の体全体が発光して、熱を帯びる。
その熱さで、家来の男が思わず彼女から手を離してしまったその時。
(オマエはチカラを使ってはナラナイ!)
マディラの脳内に不気味な老人の声が流れ、それと同時に彼女の額に黒い荊の冠が出現し、彼女の頭を締め付ける。
その痛みでマディラの発光が止まり、彼女はその場でうずくまってしまう。
「よ、よくわからないが今だ!」
ユリウスが家来の男に命令し、再び姫を後ろから捕まえる。
ユリウス自身が強引に彼女の口元に惚れ薬を押し込む。
マディラは必死に抵抗したが、薬はゆっくりと喉を通り、生ぬるい液体が体内に広がる感覚が彼女を襲った。
一瞬視界がぼやけ、平衡感覚すら失われていく。
彼女の顔は青白く、呼吸は浅い。
惚れ薬の効果はまったく異なる結果を招いてしまったのだ。
ユリウスが驚きの声を上げる。
「こ、こんな反応をするとは聞いてない。まさか、失敗作だと……⁉︎」
その時突然、扉が開く音が響いた。
「一体ここで何をしている!」
扉が大きく開かれると同時に、ジュリアンが医務室に飛び込んできた。
その姿を見たマディラは、一瞬安堵の表情をするも、意識が途切れる。
ユリウスは驚愕しながらもすぐに状況を悟り、家来達に合図を送る。
「撤退だ!早く外に出ろ!」
男は無言で頷き、ユリウスと共に医務室の窓から素早く逃げ出した。
ジュリアンが咄嗟に窓から叫ぶ。
「その者たちを捕まえろ!」
突然、外から騒ぎが広がった音が聞こえた。
護衛たちが、ジュリアンの声に反応して駆けつけたのだ。
ユリウスたちは逃走を試みるもすぐに取り囲まれ、捕まる寸前だった。
一方、医務室の中に残された女は、ジュリアンが窓の外を見ていた隙に回廊に飛び出そうとするも、咄嗟に伸ばした彼の腕が彼女を捉える。
「もう逃げられない。姫に何をした?」
女は恐怖に震えながら、わずかに声を震わせて言った。
「私は……命令に従っただけよ……おぼっちゃまが姫様の朝食にあるものを入れるように言ったの。だけどそれ以外は聞いてなかった……!」
ジュリアンは、怒りの籠った激しい口調で詰問する。
「額の荊と、あの小瓶の中身は??」
「小瓶は、惚れ薬だと言っていたけど、荊は知らない。ユリウス様が手配したものではなく、姫様の体から急に出てきたのよ」
彼は冷たい目で女を見つめ、彼女の腕を掴んだその手に力を込める。
「君も、罪は免れない。」
そう言い、回廊から医務室に入ってきた護衛に給仕係を引き渡すと、ジュリアンは素早くマディラの元に駆けつける。
彼女の額に荊の冠が食い込み、額の数箇所から血が滲んでいる。
ジュリアンがそれに触れようとした瞬間、フッと冠は消える。
「な、なんだったんだ、あれは……。ともかく、彼女を救う方法を見つけないと……」
彼はマディラの顔を見下ろし、焦りと怒りが入り混じった感情を抑えつつ、彼女を救う方法を必死に考えた。




