葛藤 3
王宮内 地下
広大な地下の斎場は、薄暗い光に包まれて静まり返っていた。
儀式の終わりを告げるかのように、かすかに冷えた空気が漂い、鈍く響く足音が唯一の音を作り出していた。
マディラは、硬い石の床に横たわり、柔らかな毛布がその身体にかけられていた。
彼女の手足には、かつて拘束されていたはずの手枷や足枷の重みはすでになく、椅子に座っていた感覚だけが脳裏に残っている。
「私は……なぜここに?」
姫の思考は混乱していた。
記憶を探ろうとしても、儀式を始める直前の瞬間だけがかすかに浮かび上がり、その後の空白が深く残っている。
謎の儀式は彼女の記憶から消え去り、ただ疲労感だけが全身にまとわりついていた。
やがて、斎場の扉が静かに開き、一人の女性が姿を現した。
彼女は、姫の新しい侍女として任命された者だった。
女性は無表情のまま、足元のしっかりとした歩みで姫に近づき、膝をついて優しく声をかけた。
「姫様、儀式は無事に終わりました。お部屋へお連れいたします。」
その言葉に、マディラはわずかにうなずき、助けられるままにゆっくりと立ち上がった。
体の芯にまで広がる重みを感じながらも、女性に支えられながら地下の斎場を後にした。
彼女の視界に映る石造りの壁や装飾品は、どこか異様な静けさを放っていた。
王宮の寝室へ向かう長い回廊を進む間、姫の疲れた心は次第に緊張感を解いていった。
途中、皇太子夫妻の部屋や、幼い王子や王女たちの居室が並んでいる場所を通り過ぎると、かすかに聞こえる笑い声やささやき声が耳に届いた。
しかし、それらの音は今の彼女には遠く、まるで別の世界の出来事のように感じられた。
ようやくマディラの寝室に到着した時、侍女は丁寧に扉を開け、姫を優しくその中へと導いた。
寝室には柔らかいカーテンがかかり、暖かな色合いの布団が整えられていた。
姫は、深い疲労とともに静かにその場に腰を下ろし、深く息を吐いた。
「今夜はお休みくださいませ、姫様。ご体調が戻るまで、私がずっとお側におります。」
侍女は柔らかい声でそう告げ、退出のために一礼した。
マディラは再び目を閉じ、謎の儀式の記憶を取り戻そうとするものの、それはまるで霧の中に溶け込んでいくかのように曖昧で、つかみどころがなかった。
唯一残るのは、儀式の重圧とその後の深い安堵感だけだった。
――――――――――
王宮内「栄誉の大広間」
王宮の中でも格式高いこの場所は、高い天井には黄金と深い青のモザイクが描かれており、四隅に配置された巨大な柱は古代から続く王家の力を象徴するように厳かに立ってる。
天井の中央には、大きなシャンデリアが輝き、光を放って広間全体を優雅に照らしている。
赤い絨毯が中央を走り、両側には重厚な木製のベンチが配置されており、そこには貴族や宮廷の高官たちが列席していた。
壁には歴代の王や英雄たちの肖像画が飾られており、歴史と威厳が漂っている。
国王は、神聖な剣を持ち、正式な儀礼服に身を包んだジュリアンの肩に軽く触れ、彼を正式に英知翁に任命する儀式を取り行った。
叙勲の証として、彼には翁としてのシンボルである紋章が授けられる。
これにより、彼は正式に新しい役職を得て、貴族としての責務を果たすことが求められる立場となった。
彼は、拍手喝采の中で大広間を退出し、貴族たちからの祝福を受けた。
叙勲式後の列席者との歓談の席では、ジュリアンはじめ、今回各種任命を受けた貴族達と、それを祝福する関係者が和やかなひと時を過ごしてしていた。
「おめでとう。今まで世捨て人のように任務を放棄していたが、やっと出仕する気になったか。
自分で仕事をするタイミングを選べるなんて、いい身分だな」
叙勲式に出ていたパトリックから、お祝いの言葉と同時に皮肉なコメントをもらうジュリアン。
皇太子の背はジュリアンと同じくらいの高さだが、しなやかで鍛え抜かれた肉体に王族にふさわしい華麗な軍装を身に纏う従兄弟は、並ぶとかなり存在感が違うが、今はさらに高圧的にジュリアンに近づく。
彼に握手を求められたが、その嫌味に答えず一瞥をし、「どうも」と一言だけ答え、握手をせずにジュリアンはその場を立ちさり、父親に呼ばれて軍幹部に挨拶をして回る。
それを見ていた20後半の風貌の先輩貴族が、呆れたように同期の軍服を着た青年に話しかける。
「おい、あれ見たかよ。英知翁は国王のお気に入りか何か知らないけど、えらくお高く止まってるな。皇太子にもあの態度だよ。」
あぁ、と頷き、手したワインをグイッと飲み込んで、面白くなさそうに軍人が返事をする。
「パトリック様が陛下と思想を異にしているからだろう。あいつにとってみれば、陛下以外みんな敵なんじゃないか」
「皇太子様は我らの味方だもんな……。以前、皇太子様が貴族の意見も尊重したほうがいいと進言したところ、一般貴族に迎合しているなんて、と陛下に非難されていたしな」
「その後だったか、パトリック様が我らのためを思って施策を立案しようとし、英知にその話を持ちかけたところ「あなたのためには策は作らない」って断ったらしい」
へぇ、そんなことがあったのか、と先輩の文官が驚きながら返事をする。
「軍幹部を親に持ち、陛下の片腕にもなれば、強気に出ても誰も逆らえないからな〜」
ジュリアンの父の土翁は、若い頃かなり武勲を立てたらしく、鬼神の異名を持っていたので、表立って彼に喧嘩を売るような貴族はいなかった。
そんな会話に、先輩貴族達からさらに年上の風貌の、中年の貴族が加わる。
「若造だけど、誰にも媚びる必要がないってか。鼻につくね」
その話を、パトリックは密かに聞き耳を立てていた。
学院時代、ディベートの授業でジュリアンとパトリックは意見が衝突したのち、あわや取っ組み合いの喧嘩になるという出来事があった。
それ以来、この二人の従兄弟は仲が悪いとされている。
突っかかったパトリックは、この時は芝居ではなく本気でジュリアンに腹を立てていたが、この二人は授業後に密かに仲直りをしている。
王家およびヴィンランド家は、ここ数年の国王の暴政で、微妙な立場に立たされている。
それを知ってかしらずか、今回国王はジュリアンの英知翁承認とともに、国王の秘書官に任命した。
彼は国王をそばで直接サポートし、国政や軍事に深く関与する立場となるが、状況次第では国のNo.2や他の高官よりもさらに国王に近い立場になる。
そしてジュリアンが、数名いる秘書官の中で頭角を現せば、将来的には宰相や軍の最高指導者など、若くしてさらに高い役職に昇進する可能性も出てくる。
父王の言い分は、「優秀で自分に従順な者で周りを固めて何が悪い」ということらしいが。
確かに、クーデターを企てた風翁を見事に牢屋送りにした上、気に入ってはいないとはいえ、反乱に利用されかけた姫を守り抜いた騎士なのだ。
それを国王は純粋に評価しただけだった。
また以前、ある集団が、10歳になったばかりの英知の翁子を利用して、危うく反乱の片棒を担がされかけたので、ジュリアンを他の貴族から遠ざけた方がいいという話は出ていた。
だが、長年王家に仕えてきた者にとっては、学院を卒業したばかりの若者の、重要ポストへの配属は面白くないかもしれない。
叙勲の話をジュリアンにしたところ、当初かなり戸惑っていたが、最終的に受諾をした上、自分を悪者にして構わないと言った。
多くの貴族は、彼の国外での特務について知らない。
ジュリアンは今まで学院に長く留まりたいと我儘を言った挙句の、急な抜擢人事が気に入らないという声は上がっていた。
そこで、敢えて公衆の面前で従兄弟に伝えるという茶番を、本人同意の上でパトリックはしたのだ。
「いやはや、今後この国はどうなるんだかね」
会場にいるそれぞれの貴族たちの言い分を思い出し、グラスに残っていたワインをクイっと飲み干しながら、パトリックはぽそりとつぶやいた。




