落ちこぼれの『癒し手』な私ですが、職場をクビになった直後に『竜族治癒』という人類史上初の特性が判明し、王国一の竜騎士様に好待遇で雇っていただけることになりました
『癒し手』は、成り手が少ない職業です。
「武術の才は鉄、魔法の才は銀、治癒の才は金」という言葉があるように、魔法の才能を持っている人は一握り、その中でも治癒の魔法を使える人はさらに一握りです。
世界中に跋扈する魔物・魔獣から人々の平和を守る『護り手』になるには武術か魔法を習得すればよいのですが、そのバックアップを担う『癒し手』になれる人材は限られていて、慢性的に人手不足です。
そのため、義務教育期間中に治癒の才が認められた人は、そのほとんどが在学中にスカウトを受けて、卒業と同時に関連機関に就職します。
私も、そんな一人だったはずなのですが――
「ステラって、ほんと使えないよね。かすり傷治すのにどれだけ時間かかってるのよ」
「カルディア王国で最大手と名高いストゥルティ治療団の、とんだ恥晒しよ」
「王国騎士団からの指名依頼が一度もないんでしょ? 前代未聞よね」
「当然じゃない。『護り手』のちぎれた腕を修復する前に、その人が失血で死んじゃうわ」
「現場に出ずに事務仕事ばかりやらされて、情けなくないのかしら」
「ちょっと可愛いからって調子に乗ってるしね」
「どうせ入社試験も色目使ってパスしたんでしょ。ピンクのロングヘアなんて、いかにも男好きよね」
毎日、こんな感じです。
せめて聞こえないように言ってくれればいいのですが、勤務中ずっと耳に入ってきます。
毎朝の出勤がつらくて、ろくに食事もとれなくなりました。
「この髪は、お母さん譲りの自慢の色よ!」
――こんな風に反論出来たらいいのですが、怖くてとても出来ません。
一生懸命頑張って、日々、努力を続けてはいます。
『癒し手』向けのベストセラーはすべて熟読しました。
引退した『癒し手』が開く有料セミナーにも参加しました。
眉唾物の訓練方法も、手当たり次第に試してきました。
でも、治癒魔法の効果は一向に強まりませんでした。
成長するにつれて力は増す、と十五で言われて早三年。
どうやら、私は選ぶ道を間違えたらしいことが分かってきました。
学生時代、わんちゃんが馬車に轢かれたのを見て咄嗟に駆け寄り、一命を取り留めさせたのが私の人生のピークだったみたいです。
職場を変えようにも、『癒し手』業界は狭く、横のつながりが強いです。
私が「史上最弱の癒し手」であるという評判は既に知れ渡っていて、とても受け入れてもらえないのは分かっています。
手に職をつけられるような専門的な技術が他にあるわけでもないのですが、少なくとも、『癒し手』を続ける道はなさそうです。
昨日、ついに、離職届の書き方についての書類が机に置かれました。
悔しかったし、苦しかったし、悲しかったけれど、先程、必要事項を書いて提出したところです。
上司は、いかにも厄介払いができたといわんばかりに、満面の笑みでそれを受け取りました。
それを見ていた同僚達は、拍手喝采です。
こんな、人の気持ちを踏みにじる人達に『癒し手』の力が与えられているのに、どうして私は……そう思うと、やりきれない気持ちでいっぱいでした。
「大変だ!!」
誰にも見送られない私の最後の退勤の間際、受付に飛び込んできたのは、血相を変えた男性でした。
その制服に、王国騎士団の徽章がつけられているのが見えました。
「東の森でスタンピードだ!!」
魔獣の大暴走――
規模の大小はありますが、近隣の村は軒並み壊滅すると恐れられている異常現象です。
直近百年は発生していなかったはずなのに。
「王国内の全ての『癒し手』に緊急招集だ! すぐに東の砦に来てくれ!」
「みんな、聞いたな!」
上司が檄を飛ばしました。
「国家の一大事だ! 動ける者は全員、東の砦へ向かえ! 大鳥をすべて使って構わん、とにかく急げ!」
一斉に、あわただしく全員が動き出します。
でも、私はどうすればいいのでしょうか。
離職届が受理されたあとなので、義務は発生しないはずなのですが……
「?」
まごつく私を、騎士団の方がじっと見てきました。
「君は、なぜ向かわないんだ?」
「わ、私は……」
「お前も早く行け!」
先程、私の離職を喜んだ元上司が怒鳴ります。
「でも……」
「お前も『癒し手』の端くれだろうが! 最後に一人でも二人でも傷を癒せ、それが出来なくても痛みを和らげて来い!」
傷を癒す――
頭ごなしに命じられるまでもなく、それは私の願いでした。
傷つき、苦しむ人々を救いたいと願い続けてきました。
ただ、上手に出来なかっただけで。
「――行きます!」
私は顔を上げて、大鳥舎に向かいました。
既にほとんどの鳥たちが、優秀な『癒し手』達を乗せて東の空へと飛んで行っています。
残っているのは――
「走鳥……」
翼が小さい代わりに、極めて発達した脚部を持つ、走ることに特化した大鳥です。
かなりのスピードで走るので、優秀な移動手段となり得ます。
ただ、乗り心地が悪いせいで、天下の『アルカヌム治療団』では一羽が飼われているだけでした。
「今日付けで辞めさせられた落ちこぼれですが、もう一度だけ、乗せてもらえますか?」
静かに尋ねると、栗色の羽をぱたつかせて、クルル、と鳴き、身を屈めてくれました。
思えば、私に優しくしてくれる同僚は、唯一この子だけだったかもしれません。
「急ぎましょう!」
私は鞍に跨るなり、手綱をぐっと引きました。
ぐん、と加速した走鳥が、街を颯爽と駆けていきます。
振動は大きいですが、慣れているからそれほど苦労はありません。
石畳の上を行き、舗装が無くなり、平野を抜けて、森へ。
次第に、大きな砦と長い石壁が見えてきました。
まだ、魔獣の群れは到達していないようです。
「おぉ、あなたも『癒し手』か」
砦に到着した私を、完全武装した『護り手』が迎えました。
「は、はい。一応は……」
気圧される私の様子に眉をひそめてから、彼が砦の奥を指さします。
「既に負傷者が多発しているのだ。すぐに後方の治療に当たるか、もしくは、出来ることなら前線に合流して治癒魔法を頼む」
「こ、後方支援に当たります」
優秀な『癒し手』は、戦闘魔法も使って戦いに参加します。
中には『護り手』以上の武芸を極めている人もいるのだといいます。
もちろん私は――と言うのは我ながら情けないですが――そうではありません。
負傷者が集められた大部屋は喧騒に包まれていました。
ここ自体が、ひとつの戦場のようです。
「――! あんた、ステラ……いいわ、この際だから、出来ることをやって頂戴!」
「わかりました!」
血を拭き取ること、包帯を巻くこと、折れた部分に添え木をすること……出来ることはたくさんあります。
どれも『癒し手』に求められる本来の仕事ではないけれど、必要なことです。
私は入口そばに腰を下ろしていた黒髪の方の手当てに向かいました。
「失礼します」
私は『護り手』の方の、明らかに折れている腕に魔法をかけ始めました。
治癒そのものは弱いのですが、痛み止めくらいにはなります。
「ああ、ありがとう……」
消え入りそうな声。
痛みがひどいようです。
端正であろう顔立ちが苦悶に歪んでいます。
こういうときは、気を紛らわすために少しお話をしたほうがいい、と経験で知っています。
「『護り手』の方は、どれくらい集まっているのですか」
「わからん。とりあえず、南北の砦には応援要請がいったはずだ」
「状況は厳しいのですか」
「ああ……せめて、竜騎士が全員揃っていればよかったんだが」
竜騎士――
最強の『護り手』に与えられる称号であり、その姿そのものへの形容でもあります。
賢く偉大な獣である「ドラゴン」と意思疎通が出来るという特異な才を持ち、強大な力を使役する彼らは、子供にとっても大人にとっても憧れの的です。
この国には、四人の竜騎士がいらっしゃったはずです。
「今、王国にいらっしゃるのは?」
「『白のアルファス』だけだ。『緑のウィリデ』は西方諸国の和平交渉の見届けに赴いているし、『赤のルーベル』と『青のミセリア』は北で発生した魔獣の大発生に行ったきりだ」
「アルファス様……確か、四人の中でも、もっとも武力に長けた英雄だとか」
私の言葉に、彼が小さく笑いました。
「ああ。能力も人格も、まさに英雄と呼べる人物だよ。若干、視野狭窄のケはあるが……駆る白竜もまた美しくてね。だが、群れの中に複数の巨人が確認されている」
「巨人って……たしか、『悪しき軍勢』の?」
「ああ。人間に仇なす、厄介な種族のひとつだ。元々この辺りにはいなかったはずだから、連中がこの大暴走を引き起こした原因である可能性は高い」
英雄、白い竜、巨人……どれも私には現実離れした光景に思えて、うまく想像できません。
「……ありがとう、少し楽になったようだ」
私の治癒魔法なんかでは、そんなに回復はしていないはずです。
怪我人にまで気を遣わせてしまいました。
「私よりも治癒の力が優れた人を呼んできます。もう少し待っていてくださいね」
私の言葉に、彼は力なく頷いた。
なんて無力なんでしょうか。
やはり、ここに来るべきではなかったかもしれません。
目を伏せた私の耳に、遠くからけたたましい音が聞こえました。
森の木々全てが薙ぎ倒されたかのような、聞いたことのない轟音。
「今のは……!」
先程の男性が、驚きの表情を浮かべています。
「心当たりが?」
「『白のアルファス』の竜サンクトゥスがブレスを放った音だ。局地的な爆発を引き起こす大技なのだが、あれには代償が……」
顔色が、さっきよりも悪くなったような気がします。
「わ、私、上から見てきます」
私は砦の階段を駆け上がります。
月明かりに照らされた石造りの建物は、ぼんやりと光ってどこか幻想的です。
屋上について、すぐに東の方向に視線を向けます。
遠く、ずっと遠くに、大きな影が宙を舞っているのが見えました。
判然としませんが、おそらく、竜なのでしょう。
「こっちに来るぞ」
同じく屋上から東を見ていた数人が、口々に言いました。
確かに、その巨大な影はだんだんと大きくなります。
判然としませんが、私が家族と住んでいる家と同じくらいの大きさに見えます。
見続けていると、それはやはり、真っ白な体をした大きな竜だということが分かってきました。
でも――
「血だらけだぞ」
「角も折れてるんじゃないか」
誰かの言葉に、私は頷きました。
月光に照らされた神秘的な姿は、そのあちこちが鮮血に染まっているように見えます。
それに、頭の後ろに伸びていたであろう二対の角は、明らかに途中から無くなっていました。
竜は砦の近くまで来ると、フラフラと宙を踊り、力なく大地に足を下ろし、崩れ落ちました。
「大変だ!」
「アルファス様は無事か!?」
一斉に、皆が階段を駆け下りていきます。
私はその波が去ってから、さっきの男性のところに戻りました。
「何があった?」
「白い竜が戻ってきました。ただ、血まみれで、砦のすぐそばに降りたんです。角も折れているように見えました」
彼は目を見開きました。
「サンクトゥスの角が折れているだと……こうしてはおれん!」
腕を抑えながら立ち上がろうとする彼を、私は横で抱き支えました。
着込んだ鎧が重たくて、少しよろめいてしまいました。
「すまん、君にまで血が……」
「いいんです、慣れてますから」
私は彼を支え、微力な治癒魔法を行使しながら砦の門へと向かいました。
外には既に人だかりが出来ていましたが、何か、叫び声が聞こえます。
「これだけ『癒し手』がいるのに、我が友サンクトゥスの傷を治すことは出来ないというのか!」
私達も、ゆっくりと近付きます。
ぐったりしている白い竜の顔の前で、銀の鎧を纏った、同じく銀色の髪をした男性が顔を赤くしています。
「お気を静めてください、『白のアルファス』様。我ら『癒し手』の治癒魔法は、人にのみ効力を発揮するもの。犬猫ならいざしらず、竜の治療は古来よりの薬草によってのみ出来るとご存じのはず」
「そんなことは百も承知だ! だが、我が友の傷を見よ! 飛べなくなるまでに傷ついている……このままでは……!!」
「落ち着け、アルファス」
私がお支えしていた『護り手』の方が、声をあげ、歩み出ました。
その場にいた全員の視線が注がれます。
その視線のいくつかが、脇を支えている私に気付き、次の瞬間には舌打ちが聞こえてきました。
「ベラトール……よかった、無事だったか」
「ああ。こちらのお嬢さんのおかげで、どうにか動けている」
アルファス様の視線が私に注がれて、私はどきりとしました。
高名な竜騎士の方が自分の目の前にいるのだと思うと、緊張で倒れてしまいそうです。
「大暴走はどうなった?」
「一応は収まったようだ。巨人が死んだからなのか、サンクトゥスのブレスに恐れをなしたのかは分からないが、鳴りは潜めた……だが……」
アルファス様が目を伏せました。
その目に、涙が光っています。
「使ったのか。例の『最後の一息』とやらを」
「巨人どもは竜への対抗策としてか、投擲武器を用意してきていた。劣勢だった。そうしたら、サンクトゥスが俺の指示を待たずに……」
「お前を守るためだろうな。自分の命と引き換えに放つという大技で、お前と、そしてこの国を救ったんだ」
ベラトール様が、足を引きずりながら、アルファス様に近寄ります。
そして、折れていない方の手を彼の肩にかけ、ぐっと抱き寄せました。
「誇ろう。我らの友を」
ベラトール様の目からも、涙が溢れます。
私も、目頭が熱くなって、どうしようもありません。
あちこちから、鼻をすする音が聞こえてきます。
「治癒魔法が竜に効かないことは、お前が一番よく知っているだろう。だから毎日、時間をかけて、サンクトゥスと向きあい、体調を管理してきた。つらいだろうが、友の心を、お前が分かってやらなければ」
「ああ……分かっている。分かってはいるさ……」
いたたまれません。
私達人間が生活を営む街を、竜が命がけで守ってくれて、その人間の私は無力です。
『癒し手』を辞めようと決意した日に、こうしてあらためて無力さを痛感させられるなんて。
「グク……グ…………」
美しい白い竜の口から、声が漏れています。
苦しそうです。
「サンクトゥス……すまない」
アルファス様が、消え入りそうな声を漏らします。
しかし、白竜サンクトゥスの目は、アルファス様の方には向いていませんでした。
その視線は――私に向けられているような気がしました。
それに気づいたアルファス様、ベラトール様が私の方に向き直ります。
「そうか。このお嬢さんの魔法で、痛みを和らげて欲しいのだろう。済まないが、お願いできるだろうか」
「え、でも、竜に治癒魔法は……」
「私からも頼む」
アルファス様が、私をじっと見ています。
「気休めでも構わない。最後に出来ることを、してあげたい」
哀しみを宿した強い瞳に見つめられて、私は頷くしかありません。
周囲の「なんであの落ちこぼれが」という視線をひしひしと感じながら、私はこわごわサンクトゥス様に近づきました。
何せ、竜という生き物を間近に見るのは初めてのことだったので、腰が引けてしまいます。
「失礼します……」
私はサンクトゥス様の目を見て、そっと呟きます。
心なしか、竜の目が優しそうに、私に同意を示したような気がしました。
「では……」
私は、治癒魔法の行使に集中し始めました。
そっと手を当てて、対象の痛みが和らぎ、傷が癒え、元気になっている姿を思い浮かべます。
相手が笑顔になっている未来、幸せそうな将来、そういったことを想像すると、効果が増すそうです。
でも、竜の場合、笑ったりするんでしょうか。
私は目を閉じて、想像してみました。
なんとなく、このサンクトゥス様は男性のような感じがします。
女性と巡り会って、恋に落ちたりもするのでしょうか。
整ったお顔をしているように思えたので、モテモテになられるのかもしれません。
攻撃的なブレスの代わりに甘い言葉を出すようになったりしたら面白そうです。
いえ、これはちょっと不謹慎でした。
最後の治癒魔法になるかもしれないんですから、もっと真剣に――
「ちょ、ちょっと待て、君――」
そういえば、この方の年齢が分かりません。
竜は長寿だと聞いたことがありますが、もしも成体でないならもっと大きくなるはずです。
今でも我が家と同じくらいの大きさなのに、さらに成長したらどうなってしまうんでしょう。
お城くらいになったりするんでしょうか。
そんなに大きくなったら、背中にお屋敷を背負えてしまいそうです。
そんなことになったら、家はあるのに住所不定――
「おい!」
大きな声にハッとして、私は目を開けました。
声のした方を見ると、アルファス様が綺麗な瞳で私をじっと見ています。
その近さに、私はパッと顔が熱くなるのを感じました。
「す、すみません、私――」
「ありがとう!!」
何が起きたのか、把握するのに時間がかかりました。
どうやら、私はアルファス様に抱きしめられたようでした。
「ア、アルファス様?」
「この国に、まさか竜の傷をも治すほどの『癒し手』がいたとは!」
――え?
「なんと、お嬢さんがそんな力を持っていたとは、俺も気付かなんだ。折れた腕が一向に治らんから、てっきりポンコツな『癒し手』なのかと……いや、これは失敬」
ベラトール様がそう言って、すぐに豪快に笑い出しました。
「ハッハッハ……と、痛たた…………!! 俺の腕は、やはり治っておらんようだな。竜の傷は跡形もなく癒せるのに、人間の怪我は癒せんのか」
私は恐る恐る、お二人から視線を外して、白い竜に目をやりました。
目に入った光景が、信じられませんでした。
白竜サンクトゥスが、ピンピンした様子で、なんなら欠伸をして、どんと座っていたのですから。
見ると、立派な角が二本、しっかりと頭の後ろの方にそびえています。
「竜が『最後の一息』を放てば、直後必ず絶命すると言われている。命の源である角が折れてな」
アルファス様が赤い目をして、しかし笑顔で言いました。
「それを、君が救ってくれた。こんなことはあり得ない。歴史上初めてのことだ。君は、奇跡の乙女だ!」
あらためて、私はアルファス様に抱きしめられました。
流線型の銀色の甲冑が、私の鼻を強く打ちました。
「大暴走は撃退した! 我らの勝利だ!!」
ベラトール様が勝鬨を上げると、その場に居た全員が歓声を上げました。
まごつく私のすぐそばに、気が付くとサンクトゥスの顔がありました。
感謝を伝えているのでしょうか、ざらざらした頬を、私の顔にこすり付けています。
「すっかり元気になったようだな、サンクトゥス」
アルファス様の言葉に、白竜は頭を縦にこくこくと振りました。
頷く度に、私の頬にざらざらが当たりました。
「ステラく~ん!」
声がした方を見ると、数時間目に私の離職届を受理した元上司でした。
「いや~、君も人が悪いね~。あんな力を秘めているのなら、もっと早く言ってくれればいいのに……」
「あなたがこの乙女の上司の方か。素晴らしい人材をお持ちだ」
アルファス様の言葉に、元上司は曖昧に笑います。
「その社印は――ストゥルティ治療団だな。明日にでも、正式にお礼に伺ってもよろしいか」
「え、いえ、それはその……」
しどろもどろになる元上司に、アルファス様が首を傾げます。
「明日では急すぎて都合がつかないか。では、いつなら良い?」
「あの……ステラさん次第と言いますか」
アルファス様が、私をじっと見ます。
「確かに、そうだな。当人に居てもらわねば、感謝の伝えようもない。奇跡の乙女、竜の癒し手よ。次の出社はいつだ?」
私はハッとしました。
次の出社――
「次の出社は、ないんです」
「どういうことだ?」
「本日付で、辞めたので」
辞めさせられたので、と言いたくなったのを、ぐっと踏みとどまりました。
皮肉や嫌味を言う人達と一緒になりたくない。
でも、私の言葉に、アルファス様の表情が固まりました。
それ以上に、元上司の顔が引きつった状態で固まっています。
「そ、そのことなんだけどね、ステラさん」
「ふむ……ここで多くは聞くまい。ベラトール、済まないが、砦の指揮は任せるぞ」
「副団長とは言え、怪我人にそれを言うか。まぁ、いいだろう。お前は、早くサンクトゥスを休ませてやれ」
アルファス様は大きく頷いてから、私を見ました。
「奇跡の乙女、竜の癒し手よ。あらためて感謝申し上げる。私はアルファス=アストルム。あらためて、名を教えてもらっても?」
「えと……ステラです。ステラ=レメディウムと申します」
「ステラ――良い名だ。必ずや、あらためてお礼に伺おう! では、失礼する!」
アルファス様は颯爽と白竜サンクトゥスに飛び乗り、大きな風を巻いて、空高く飛び立ちました。
「まったく、仕事熱心な男だ」
ベラトール様が苦笑しています。
「飛び立った方角は、また東の空だった。一通り森の状況を確認してから戻るつもりなのだろう」
「立派な方なんですね」
「ああ。頑固で堅物だが、いい奴なんだ。ああ見えて、まだ若いしな。仲良くしてやってくれ」
「えと……はい、ええ。分かりました」
では、と言って、ベラトール様は砦の方に戻られました。
まだ腕は折れているはずなのですが、元気に指示を飛ばしていらっしゃいます。
「ス、ステラくん――」
元上司の声が聞こえた気がしましたが、私はそっちを見ないようにして、砦の方に戻りました。
元同僚達の視線が冷たく射抜いて来ましたが、懸命に無視して、私は負傷者の介抱に当たりました。
治癒魔法が効かないことを謝りながら、飲み水を運んだり、汗拭きを配ったり……そうしている内に、誰かに骨折を治してもらったらしいベラトール様が、私を優しく笑いものにしてくださって、騎士団の皆さんに温かく慰めてもらってしまいました。
「ステラ殿」
空が白んできた頃、ベラトール様が声をかけてくださりました。
「よくここまでやってくれた。感謝する」
「いえ、そんな……ちゃんと治癒魔法が出来たら、もっと力になれたはずですから」
「はは、それはそうかもしれんな。最初に骨を治してくれれば、申し分なかった」
すみません、と頭を下げると、ベラトール様は首を振りました。
「いや、すまない、冗談が過ぎた。君には感謝しかない。我が親友アルファス、その相棒の命を救ってくれた君にはね。どうか、先の失言を許してくれ」
「大丈夫です。その……職場では、もっとキツかったので」
他に言いようがなくて、私は思わず本音でしゃべってしまいました。
「そういえば、職を辞したようなことを言っていたな」
「はい。明日から――というか、もう今日になってしまいましたが、無職です」
「あてはあるのかい?」
もちろんです、と言いたいところでしたが、黙ってしまいました。
あてなんて、あるはずもありません。
「ふむ……では、少なくとも、数日は暇があるだろう。近々、一度、騎士団の本部に足を運んでくれないか。」
「王国騎士団の本部に、ですか」
街中にそういう場所があるのは知ってはいます。
ですが、王城のすぐそばということもあり、なんとなく恐れ多くて近くに行ったことすらありません。
「今回の働きに対して、騎士団から十分に謝礼を贈りたいのだ。これを入口で見せれば通してもらえるから、俺か、あるいはアルファスに会いに来たと言ってくれ」
そう言ってベラトール様は、私に短剣をくださいました。
鞘には細かな装飾が施され、柄には黄色い宝石が埋め込まれた、見るからに立派な品でした。
「帰りは馬で送らせよう。アルファスほどのいい男がいなくて申し訳ないがね」
「い、いえ! お構いなく!」
断り切れなかった私は、ベラトール様がつけてくださった騎士の方に、家まで送っていただきました。
家では両親と弟が心配顔で待っていました。
夜通し、私のことを気にかけてくれていたようでした。
私は何があったのかをかいつまんで伝え、力を使い果たした体をベッドに沈めました。
あくる日、私は王城横の騎士団本部を訪ねました。
昨日の疲労が全身に残ってはいたのですが、王国騎士団という栄誉ある方々、しかも世に知れた竜騎士その人をお待たせするなど恐れ多いことは、とても出来ませんでした。
荘厳な石造りの建物の、その入り口の門のところで私は衛兵の方に短剣をお見せしました。
「あの、私、ステラ=レメディウムと申します。ベラトール様か、アルファス様にお目にかかりたいのですが」
「おぉ、話に聞いておりますよ、ステラ様。『竜の癒し手』その人にお会いできて光栄です」
竜の癒し手――
おそらく私のことなのでしょうが、大仰な名前が恐ろしい感じがします。
案内されて、広い渡り廊下を進み、らせん階段を上がり、奥の方の、いかめしい感じの執務室にたどり着きました。
重厚な木製の扉の前で立ち止まります。
案内してくださった方が、ノックをしました。
「ステラ様をお連れしました」
「開けてくれ」
ギィ、と重々しい音と共に扉が開きました。
部屋の中にいらっしゃったのは、銀色の髪、空色の瞳をしたアルファス様です。
砦で見たときのような甲冑ではなく、軍服というのでしょうか、固そうな生地の衣を纏っています。
恰好が違うせいか、鎧姿のときよりも幾分お若く見えました。
「下がっていいぞ」
「はっ」
騎士の方が退室すると、日の差し込む執務室には私とアルファス様だけになってしまいました。
「どうぞ、かけてください」
「失礼します」
入社試験のために身につけた作法で、私は席につきました。
緊張しているのが自分でよく分かります。
手も足も震えてしまっています。
でも、この国でもっとも優れた『護り手』の一人が目の前にいるのですから、仕方ないと思います。
「まずは、謝らせてほしい」
そう言って、アルファス様は深々と頭を下げました。
国中に名の知れた竜騎士が、私に頭を下げるなんて、冗談でも思いつきません。
「あの、いったい……」
「昨夜、感情が高ぶっていたとはいえ、見ず知らずの婦女である貴女を抱きしめてしまった。さらに、こちらからお礼に伺うとのたまっておきながら、こうしてご足労させてしまった。重なる非礼を許していただきたい」
空色の瞳が、私をじっと見据えています。
私は顔全体どころか、体全体が照れで熱くなってしまいました。
「こ、こちらこそ、誉れ高き竜騎士の方にお会いできて大変光栄でしたし、お体に触れてしまったことはこちらがお詫びしなければならないというか、いえ、触れたのは鎧でしたけれど……」
自分で何を言っているのか分からなくなりながら、私は早口で言葉を紡ぎます。
「つまり、その、大丈夫ですから……」
どういう顔をしたらいいのか、私は両手で顔を覆って下を向いてしまいました。
「ステラ殿」
透き通るような声で名前を呼ばれて、私は恐る恐るアルファス様の方を見ます。
「ベラトールに聞きました。なんでも、昨日でストゥルティ治療団を辞したとか」
「……はい。学生時代に見出されたんですが、就職してから『癒し手』の才がないことがわかって、ろくに仕事も出来ておらず、団のお荷物状態だったので」
さっきとは違う理由で、私は下を向いてしまいました。
分かっていたことではあっても、自分で口にすると、やはり落ち込むものです。
「では、竜の傷を癒すことが出来るというのは、昨夜判明したばかりだというのか」
「はい。竜の方と関わる機会はありませんでしたから。関わるどころか、間近に見たのも、昨夜のサンクトゥス様が初めてでしたし……」
私が言い終わると、アルファス様がクスッと笑いました。
「あ、あの、何かおかしなことを言ってしまいましたか」
「いや、申し訳ない。ただ、『竜の方』とか『サンクトゥス様』とか、竜に対しても敬語を使うのが新鮮で。そういう心の持ち主だから傷を癒すことが出来たのかもしれないな」
そう言って、アルファス様はスッと窓の方に視線を送りました。
私もつられて、同じ方を見ます。
晴れ晴れとした青空が、広い窓から見えました。
「彼は今、元気に空を飛び回っているよ。激戦の翌日は飛びたがらないのに、不思議なものだ」
「やっぱり、男性なんですね」
思わず口から言葉が出てしまいました。
首を傾げるアルファス様を見て、慌てて言葉を継ぎます。
「サ、サンクトゥス様を癒したとき、なんとなく、男性っぽいな、と思ったんです。今、アルファス様が『彼』とおっしゃったので、やっぱりそうだったんだな、と思って」
「……これは驚いた。確かに、君が言うように、サンクトゥスは雄竜だ。だが、竜の雌雄を一目で見分けるのは、竜騎士か、熟練の研究者でなければ難しいはずなのだが」
アルファス様は席を立ち、窓際に向かいました。
そのまま私に背を向け、何事か考えているのか、じっと空を見ています。
「ひとつ、提案なのだが」
紡がれた言葉に、私はとりあえず小さく頷いて応えました。
「騎士団に……いや、もっと言えば、この白竜隊に籍を置いてみないか」
「わ、私が王国騎士団に?」
王国騎士団といえば、国内でトップクラスの武術や魔法を習得した人だけが成り得る『護り手』のエリートです。
それらの技術を持たず、『癒し手』としてもポンコツの私が在籍できるようなところではありません。
「君には『竜の癒し手』という唯一無二の才能がある。それは、騎士団にとって、ひいてはこの国にとって何物にも代えがたい財産だ。今日明日に私が陛下に提言し、正式に話を進めるつもりではいたが……まぁ、順序が変わっても問題はないだろう」
振り返って私を見るアルファス様の目は、本気に見えました。
「それに――」
呟いて、アルファス様がじっと私を見ます。
どこを見ていいやら分からず、私は経験したことのない緊張に包まれながら頑張って空色の目を見つめ返します。
やがてアルファス様はハッとして、ひとつ咳払いをしました。
「いや、とにかく……俸給はそれなりに高いし、福利厚生も整っていると評判だから、悪い話ではないと思う。すぐに返事をとは言わないが、前向きに考えてくれないだろうか」
頬を赤らめて、アルファス様が言いました。
普段は、騎士団長自らこういった勧誘はしないものなのでしょう。
職を失ったばかりの私にとって、僥倖ともいうべきお誘いです。
ただ――
「お力になれることが、本当にあればいいのですが」
昨夜の治癒について、ここに来るまでに何度も思い出しました。
何度思い出しても、ただ一度の奇跡だったように思えるのです。
たった一回の奇跡を見初められて、勘違いして、その気になったら、それからずっと苦労します。
十五の時にした失敗を、もう一度繰り返したくはありません。
「……ステラ殿、こちらへ」
アルファス様が、俯く私に手を差し伸べました。
こういう場合は、お手に触れても不敬にはならずに済む気がします。
どきどきしながらその手を取ると、稀代の竜騎士は私をバルコニーへと案内しました。
とても広くて、太陽の位置も近いように思えました。
アルファス様が音高く指笛を響かせると、白い鱗を輝かせたサンクトゥス様が飛来しました。
どことなく、気分を高揚させて嬉しそうな顔に見えます。
「打ち明けると、君を勧誘することは、こいつの希望でもあるんだ」
「サンクトゥス様の、ですか?」
驚く私に、アルファス様が苦笑して頷きます。
「今朝、言われたんだ。傷を癒してもらったことへの感謝を伝えるとともに、今後も傍らに居てもらえるように頼めとね」
白く輝く竜の顔を見ると、照れくさそうで、しかしどこか誇らしげです。
「君にこの話を断られてしまうと、騎士団としても痛手だが、何よりもこいつの機嫌がね……」
アルファス様がそこまで言ったところで、白竜は明らかにムッとして口をすぼめ、アルファス様に向かって息を吹きかけました。
そして、グルル、と何か訴えるように唸り声をあげます。
「おい、やめろ。余計なことを言うな。一目惚れなんて言葉は、私は使っていないぞ」
「サンクトゥス様は、なんておっしゃったんですか?」
「あ、ああ。君が危惧しているようなことはない、と言っている。君の治癒の力は一時的なものではなく、確かに備わっているものだと。竜には、私達人間には無い力があるから、信じていいと思うよ」
白竜を見ると、彼はにっこり微笑みました。
「それじゃあ、私……『癒し手』でいていいんですか」
私が震える声を紡ぐと、サンクトゥス様は深く頷いてくれました。
嬉しさがこみあげて涙に変わったのは、人生で初めてのことでした。
「さっきの話は、決まりでよさそうだな」
アルファス様の声が優しく響きます。
サンクトゥス様のあたたかい唸り声がそれに続きました。
そして、彼がその大きな頭を私の肩のあたりに寄せたので、私は目を閉じてそれを抱くように腕を回しました。
「なんだ、サンクトゥス。その勝ち誇ったような目は。ステラ殿は別に、私的な感情でそうしているわけではないだろう……何? 負け惜しみだと? 昨日の戦いで指示を無視したのもそうだが、お前の最近の態度はだな……」
アルファス様とサンクトゥス様が、何事か言い争っている風でしたが、あまりよくは聞こえませんでした。
私の胸の内が、他のことでいっぱいだったからです。
王国騎士団に籍を置く、という栄誉よりも。
高名な竜騎士の傍らにいられる、という幸福よりも。
もちろん、前の職場よりもたくさんのお給金をもらえる、という期待よりも。
何よりも、ずっとなりたいと願っていた、本当の『癒し手』になれる道が開かれて、私の胸の内は喜びで満たされていました。
これから、どんな毎日になっていくんでしょう。
すごく、胸がわくわくします――-―――
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