悪魔との契約履行
第二王子が即位したという話題は、一晩にして国中に知れ渡った。
また、それを導き、支援したのは巫女ということもついでに、国を超えて大陸中に広まった、らしい。
正しく巫女に導かれた国王として、第二王子……元、第二王子は正統なる王であると絶賛された。
平和主義で穏やかな、人柄も悪くない、ついでに容姿も整っている男だ。誰がその正妃の座を射止めるのかと、国内だけでなく他国からも注視されていた。
あたしは全く、さっぱり、興味はないけれど。
元第二王子は、忙しい合間を縫って、何度もねえちゃんに会いに来た。名目は、あたしとの面会だったけど。
あたしとの面会とか言いながら、ずっとねえちゃんばっかり見てるんだから、どう考えても目的はねえちゃんである。
ねえちゃんのためならば、たとえ口実に使われようと、甘んじて受けよう。
だって、ねえちゃんは、あいつが来ると嬉しそうだから。
あたしはあいつが、もう正直死ぬほど気に食わないし腹が立つし大嫌いだけど、ねえちゃんは、あいつが好きだから。
そうこうしてる間に、元第二王子がねえちゃんに求婚して、顔を真っ赤にしたねえちゃんから相談されて、あたしは必死に応援して。
巫女の姉が王妃に決まったという話は、瞬く間に広がった。
巫女との面会を重ねるうちに、巫女を支える立場と、巫女に導かれる立場として、顔を合わせる機会も多く、互いに惹かれ合ったという美談も、同じタイミングで広く知れ渡った。
きっと、あらかじめ手配していたんだと思う。平民であるねえちゃんが王妃として、広く受け入れられるように。
こういうところは、評価してる。
だからこそ、火刑を回避してくれなかったことは、やっぱり許せないのだ。
この時間軸では、そんな事実はなかったことになってる。当然だ。そのためにあたしは、やり直したんだから。
でも、あたしは覚えてるし、忘れない。ねえちゃんが踏み躙られたことを。ねえちゃんが生きたまま火に焼かれたことを。ねえちゃんが燃えた臭いと、燃えた後の黒い塊と欠片を必死に集めたことを。
ねえちゃんのために、あたしは。
あたしのすべてを差し出して、悪魔と契約したんだ。
もうすぐ、契約履行の時が来る。対価は結局、何を差し出せば良いんだろう。
ローワンは何も言わないから、きっとあたしに支払える範囲内だとは、思うんだけど。
契約履行したあと、あたしはどうなっているんだろう。
ねえちゃんが幸せに笑ってくれるなら、そこにあたしが居なくても、構わないから。
どうか、ねえちゃんが幸せな世界でありますように。
巫女に導かれた国王が戴冠して、二年。
ねえちゃんはあれから、王妃になるための妃教育を受けたり、慈善活動をしたり、国王の公務を手伝ったりして、毎日幸せそうに笑っていた。
あたしはその笑顔を見るたびに、この契約は間違ってなかったと、泣きたくなった。
今日は国王と、その王妃の婚礼の日だ。
真っ白いドレスに身を包んだねえちゃんは、本当に綺麗で。あたしは比喩でなく涙が止まらなかった。
「リリー、泣かないで。寂しがることないわ。これからもいつだって会えるのよ」
「ねえちゃん、ねえちゃんーー!!」
「まぁまぁ。リリーはいつまで経っても、甘えたね」
いつまでもぐずぐずと泣き止まないあたしは、いつもならこのまま、ねえちゃんに抱きしめてもらうところだけど。
さすがのあたしだって、このまま抱きつけばねえちゃんのドレスを汚すことになると、わかるのだ。
だから、あたしの後ろに控えていたローワンに、力いっぱい抱きついて、泣いた。
突然あたしが抱きついたことに驚いたらしいローワンは、だけどすぐにあたしの気持ちを汲んで、そっと抱きしめてくれた。
そうそう、これ。泣いてるときに抱きしめてもらうと、落ち着くんだよね……。
「知らない間に、随分と仲良くなっていたのね。私が妹離れする前に、リリーが姉離れしちゃったわね」
ねえちゃんが少し寂しそうに言うから、あたしは驚いた。そうか、そんなふうに見えるんだ。
でも、これで良いのかも。
「リリーのことは心配するな。幸せになれ、アマリリス」
珍しくローワンが気の利いたことを言ってる。これにもまた驚いた。随分と人間くさくなったものだ。
「そうだよ、ねえちゃん。あたし、ねえちゃんが幸せで居てくれたら、それだけで幸せだよ」
ローワンの言葉を肯定するように、あたしはローワンに抱きついたまま、ねえちゃんに幸せになってほしいことを強調する。あたしの、一番の願いだ。
「ありがとう。リリー、ローワン」
眦に涙の光るねえちゃんの笑顔は、本当に、胸がいっぱいになるくらい、綺麗で、眩しくて、見たことないくらい、幸せそうだった。
あたしはやっぱり、涙が止まらなかったので、ローワンに腫れた目をなんとかしてもらうことになった。
あたしが巫女としての活動拠点に使っている礼拝堂で、ねえちゃんが今日、結婚する。
好きな男と結ばれ、幸せな花嫁になるねえちゃん。その男が王だったから、付随的に王妃になるねえちゃん。
あたしは巫女として、自ら導いた国王と、その伴侶である王妃の婚礼を取り仕切ることになった。
大好きなねえちゃんの、世界で一番綺麗な姿を、誰よりも近くで見られるなんて、役得だ。巫女やってて良かった。
ねえちゃんの隣は、もうあたしの居場所じゃない。国王の場所になったんだ。
あたしも、いつまでもねえちゃんの後ろで泣いてるばかりの少女ではなくなったし、今となっては世界で一番尊い巫女なんてやってるのだ。
ねえちゃんの幸せを願うからこそ、大切なものを、手放す必要がある。
白を基調とした礼拝堂の窓は、すべてステンドグラスだから、色彩豊かな光が燦々と差し込み、あたしのローブを、ねえちゃんのドレスを、鮮やかに照らす。
「ここに二人が結ばれ、国王と王妃が誕生したことを宣言する。異議のある者は名乗り出よ。賛同する者は拍手で祝福を」
あたしの宣言とともに、割れんばかりの拍手が礼拝堂に響き渡り、同時に鐘塔の鐘が鳴らされる。
あぁ、こんなにもたくさんの人が、ねえちゃんの結婚を祝福してる。涙が出そうなくらい、嬉しい。
このときばかりは、ねえちゃんの真似をした微笑みなんかじゃなくて、あたし自身、心からの笑顔が零れた。
国王と笑い合うねえちゃんは、本当に幸せそうで。あたしはやっぱり込み上げる涙を、必死に瞬きをして散らそうと努力していた。
祝福の鐘が鳴り響く。国中に響き渡るだろうそれは、この国の繁栄を祈る鐘でもある。
笑え。ねえちゃんの幸せな記憶に残るあたしの顔は、笑顔でなくては。ねえちゃんが心配する。笑え。
最後まで、笑え!
国王と寄り添い神殿を出ていくねえちゃんを目に焼き付け、あたしはなんとか、最後まで涙せず笑顔を保つことができた。涙目なのは、見逃してほしい。
良かった、本当にギリギリだった。
ねえちゃんの後ろ姿が見えなくなり、鐘の音も静まる頃、礼拝堂の中に誰も居なくなったのを見計らい、あたしはローワンに抱きついて、堰を切ったように泣いた。
ねえちゃん、大好きなねえちゃん。
すごい綺麗だよ、間違いなく世界一綺麗な花嫁だ。ねえちゃんのドレス姿が見られるなんて、本当に、頑張って良かった。
あたし、間違ってなかったんだと思えるよ。嬉しい。
ねえちゃん、いままでありがとう。
これから絶対、絶対、幸せになってね。
やり直しの日から約十年。
今日はねえちゃんが火刑に処された日である。
今日を乗り越えたということは、つまり。ねえちゃんが死ぬのを否定できた、ということだ。
あたしはついに、やり遂げたのである。ねえちゃんの死を否定したいという、あたしの願いを。
ローワンは、願いを叶えてくれた。
だからあたしは、その対価を支払わなければ。
「ローワン、ありがとう」
「オレは契約を履行しただけだ」
「うん、だから。あたしの願いを叶えてくれて、ありがとう」
あたしが抱きつきながらお礼を言うと、ローワンはどこかきまり悪そうに、顔を背けた。珍しく、照れてるらしい。
「ローワンが契約を履行してくれたんだから、今度はあたしの番、でしょ。対価は、何が必要?」
あたしの言葉に、ローワンが弾かれたようにこちらを見た。赤い瞳には、見たことのない感情が揺れている。本当に、珍しい。
躊躇いと戸惑い、それと、少しの狼狽え。
いつだってローワンは、あたしにきっぱりとわかりやすい答えをくれた。なのに今、そんなローワンが、あたしに何を答えるべきなのか、思案している。
きっと欲しいものがあるんだ。でも、それを言ってしまって良いものか、悩んでる。だから、言い出せない。
対価は等価でなければならないって、ローワンが言ったんだから、迷う必要なんて、ないのに。
「ローワン。あたしは、何を言われても、どんな対価も、躊躇いなく差し出せる。だから、言って」
やり直すと決めたとき、あたしはどんな代償を支払っても構わないと思ったんだ。その覚悟は変わらない。
あたしのすべてを、どんなものを差し出しても、ねえちゃんの幸せな日々を守ると決めた。
「本当に、どんな対価も差し出せるか?」
「もちろん」
「絶対に?」
「ねえちゃんに誓って!」
あたしは神様なんて信じてないので、これは最上級の誓いの言葉である。きっとローワンにも、わかってる。
「ねぇローワン、欲しいなら、手を伸ばしてみてよ。魔王だって、思ってたよりすんなり会えたし、勝てたじゃない? だから、何事も案外、なんとかなっちゃうかもよ」
あたしが笑ってみせれば、ローワンはぎこちなく笑って、なぜか力強くあたしを抱きしめた。
潰れないように手加減はされてるけど、それでも苦しいものは苦しい。
「リリー」
「なに?」
「対価は、リリーをもらう」
「……え? そんなので良いの?」
「オレはリリーが欲しい。リリーの全部だ」
「そりゃ、あたしなんていくらでも全然あげるけど。大丈夫? ちゃんと等価になってる?」
「あぁ、十分すぎるくらいに」
「なら良かった」
あたしの命くらい、全然あげるけど。もっとこう、なんかすごい対価を求められる覚悟をしていた身としては、ちょっと拍子抜けである。
「リリー、わかってるか? 全部だぞ? リリーの全部を、オレがもらう」
「わかってるよ。全部あげるってば」
「……言ったな?」
「あげるよ! あたしの全部は、ローワンにあげる!」
言った途端、ローワンの顔が怖いくらい真剣なものになって、あたしは金縛りにあったように、見動き一つ取れなくなった。
「リリー、オレはリリーの全部をもらうし、結果的に一番大切なものを奪うことになる」
「あげるよ。あたしが持ってるものは、なんでも、全部。そんな勿体ぶって躊躇うようなものある?」
「純潔」
「じゅ?!」
「女にとって、大切なんだろう?」
「まぁ……初めては特別だって、ねえちゃんが教えてくれたけど。相手がローワンなら、良いよ」
「オレと契ることで、リリーはオレの花嫁になる」
「え、悪魔ってそんなシステムあんの?!」
「まぁな」
「そっかぁ。まぁ、ローワンのお嫁さんなら、一生安泰っぽいから不安もないよ」
「リリーはオレの花嫁になることで、人間をやめる」
「もう半分やめかけてるようなもんだし、べつに構わないよ」
「……かなり人間の嫌がる内容だが、リリーは変わってるな」
「今更でしょ。そもそも普通の人間だったら、悪魔と契約なんてしないよ」
「最後に」
「まだある? そんな心配しなくて大丈夫だよ?」
あんまりにもローワンが言い募るから、いいかげんあたしを信じろと叱り飛ばしても許されるのでは……と思い始めたところでローワンが一度言葉を切って、やっぱり少し躊躇いながら口を開いた。
「リリーの、アマリリスに関する記憶をもらう」
咄嗟に言葉が出ない。記憶……そうか、記憶か。
なるほど、あたしにとって一番大切かもしれない。なんならあたしのアイデンティティのほとんどが、ねえちゃんとの記憶から成り立っている。
「……うん、わかった」
これはもう、仕方ない。なんでも差し出すって決めてたし、実際ローワンにも宣言してたんだから、やっぱり嫌とか、言えないし、言いたくない。
「リリー。酷なことを言ってる自覚はある、オレのことは罵って殴って構わない。だから、無理して笑うな」
あたしはよっぽど酷い顔をしていたようだ。
おかしい。上手く笑えてるはずだったんだけどな。やっぱりあたしには、難しかったらしい。
「ローワンのこと、罵ったりするわけないじゃん。殴ったりもしないよ。だって、これは、ローワンの正当な権利だ」
「リリー」
「あたしが、決めたの。どんなものも、差し出すって」
「……そうだな」
ローワンが力強くあたしを抱きしめて、胸を貸してくれた。あたしは甘んじてその優しさを享受する。
覚悟してたし、納得してるし、理解してる。でも、ほんの少しだけ。悲しむ時間が、ほしいの。
きちんと気持ちの整理をしてみせるから、今だけは。ねえちゃんのことで、頭をいっぱいにしたい。
あたしはローワンにしがみついて泣きながら、ねえちゃんのことを思い出していた。
大好きなねえちゃん。優しいねえちゃん。綺麗なねえちゃん。
いつだってあたしのことばかりで、自分のことは二の次だったねえちゃん。
あたしの所作を厳しく指導するねえちゃん。あたしの好物をたくさん作ってくれたねえちゃん。綺麗な景色を見て嬉しそうにするねえちゃん。第一王子との婚約が決まって一人でこっそり泣いてたねえちゃん。
あたしの瞳を綺麗だと褒めてくれたねえちゃん。上手く力が使えたら褒めてくれたねえちゃん。苦い野菜を食べられたら褒めてくれたねえちゃん。
あたしを、愛してると言ってくれたねえちゃん。
ねえちゃんがあたしを、溢れんばかりの愛で満たしてくれたから。あたしは、人間になれたんだ。
聖人で巫女なんて、面倒極まりない役割を務めたのだって、ねえちゃんのため。
あたしの補佐をしていたねえちゃんは、どこへ行っても引っ張りだこで、王妃となった今、もうあたしの力は、必要ない。
「ねえちゃんのこと忘れたら、ローワンのことも、忘れるの?」
「いや。記憶は曖昧になるだろうが、オレのことは忘れない」
「良かった。あたしの中には、ねえちゃんか、ローワンしか居ないから、ふたりとも居なくなったら、あたし、人格崩壊しちゃうよ」
「……大丈夫だ。オレが居る」
「そうだね……うん、ローワンが居るから、平気」
ゆっくりと顔を上げたあたしの、頬を伝う涙を、ローワンが吸い取っていく。巫女の涙とかも、糧になったりするんだろうか。
「リリーの全部はオレがもらうんだから、零れる涙一粒だって、オレのだ」
「なにそれ。勿体ない精神?」
「あぁ。リリーが教えたんだ」
「たしかに。そうだったかも」
ねえちゃんのことを忘れる恐怖はあるけど、あたしの中にはたしかに、ローワンとの思い出があって。きっとこれから、ローワンとの記憶が、あたしの中の空白を埋めていくだろう。
そう考えれば、なんだか。失うことも怖くない。
「ねえちゃんのこと忘れて、中身がスカスカになっても、あたしのこと、捨てないでね。絶対、最後まで責任を持ってね」
「当然だ。オレは、自分のものを手放さない」
ローワンが指を鳴らすと、礼拝堂に似つかわしくない、大きなベッドが現れた。目を丸くするあたしを抱き上げ、ローワンはそのままあたしを横たえて、服に手をかける。
「ねぇこれ誰か入ってきたりしない? 大丈夫?」
「安心しろ。どいつもこいつも、国王の婚礼に浮かれてるから、礼拝堂になんて来やしない」
「なら良いんだけどさ。人に見られて喜ぶ趣味とかないので、絶対に誰も入らないようにしておいてね」
「承知した」
あたしはこうして、契約の対価を支払った。
余談
「あたしとの契約を履行したら、ローワンは魔王になるの?」
「そうだ。それと贄も必要だが、適当な人間を使って構わないか?」
「うん。ねえちゃんとその周囲の人間以外なら、誰でも、何人でも、好きなだけ使って良いよ」
「……なんとも寛大なことだ」
「当たり前じゃん。そのためにあたしは、巫女なんて面倒くさい役割を務めたんだし。丁寧に救ってあげたんだから、せめて糧としてくらい役立ってもらわないと」
「本当に、巫女であることを疑う思考だな」
「まぁあたしの場合、そもそも巫女ですらないし。ねえちゃんが死なないなら、世界が滅んでもオッケー」
「それもそうだな」
この世界では、魔王を降すことによって王として起つ資格を得て、贄を執ることで悪魔としての格を上げ、魔王となります。
ローワンはまずリリーとの契約が先行していて、これは魔王になるのはあくまでも野望であり、それをリリーが手伝う形だったので、契約履行の後に魔王となるのです。
結果としてリリーの意志を尊重して、アマリリスとその周囲以外を積極的に贄とし、足りない分はランダムにピックアップされます。