第四話 いつか全てが上手くいくなら
一人ぼっちから二人ぼっちになった私たちは、他人同士から仲間になり、相棒になり、戦友になった。
アキは暇な時は朝から晩まで私の家に籠もり、ひたすら曲を作った。作曲は私、作詞はアキだ。彼女の詞は変わった。今までのような何番煎じか分からないようなものではなく、自分の身を切ってでも歌ってやるという覚悟を感じた。良い曲だな、と自分たちの曲ながら思った。
「よし、できた!」
ペンを置いて、アキは大きく伸びをして床に倒れた。
「おつかれ」
「良いのできたと思うんだけど、どうかな」
ノートを受け取る。目を走らせて、自分の感覚に身をゆだねる。
「うん、良いと思う」
「マヒロそれしか言わないじゃん。ちゃんと批評してくれないとさ」
口ではそう言いつつも嬉しそうだ。
「ほんとに良いと思うから言うんだよ。良い曲書けそう」
「ほんとにぃ? だったらいいんだけど」
スマホの録音アプリを開く。今までにできた曲はこれを含めて五つ。
「増えてきたね、私たちの曲」
「そうだね……」
仰向けにひび割れた天井を見上げながら、アキは感慨深く呟く。
「あたしさ……なんか新鮮なの」
「新鮮?」
ギターを弾く手を止め、アキに耳を傾ける。
「うん。今までも曲作りは楽しかったけど……言っちゃうと悪いかもだけど、マヒロのと比べるとおままごとに思えちゃうくらいなんだ」
集中すると寝食をおろそかにしがちなアキは、そんな隈を濃くした目じりを綻ばせた。
「一言で言うなら……充実してる」
「……そっか」
私たちは同じ過酷な道を歩むと誓った同志だ。前へ進んでいる、私もそう確信していた。
「私も充実してる。ちゃんと立ってる気がする」
「それ分かる。一歩一歩踏みしめてる感じ」
アキは深く息を吐いた。
「ライブしたいな……」
「する?」
「うん。宣戦布告しよ」
宣戦布告。何気なく出たその言葉を、私は気に入った。
「いいね、五曲もあれば充分だと思う。ソンさんのとこ?」
私の言葉に、寝ころんでいたアキはバッと起き上がった。
「あー……ソンさんかぁ」
「何か問題あるの?」
「ソンさんに何も言わずに行かなくなっちゃったから、なんていうか、会いにくいな」
きちんと前のバンドを解散した、と報告していなかったらしい。彼女はもう知っていたから会いにくいも何も無いと思ったが、アキは根が真面目だ。
「じゃあ二人で行こっか」
「当たり前だよ! ていうか一人で行かせるつもりだったの?」
「いいよ。金さえ払ってもらえればウチは誰でも」
ライブハウスまで話をしに行ったら、ソンさんはあっさりライブ出演を承諾した。
「よ、よかったぁ」
隣で安堵の声が上がる。
「ありがとうございます」
「いいって。前に言ったろ、ウチはそった奴らの掃きだめだって。結局音楽からは逃げられないよ」
何の話か分からない、とアキは不思議そうな顔をする。私は首を横に振った。
「逃げられなかった、じゃないです」
ソンさんは尋ねるように眉を上げた。
「今度は失敗しない様に、立ち向かっていきます」
アキに向かって頷く。彼女も返してくれた。
「……そうか」
タバコに火を付けながら、ソンさんはそう言った。少し寂しそうな目をしていたのは、きっと気のせいじゃないだろう。
いつも通りのライブハウス。客は半分くらい。袖でアキは不安そうな顔をしていた。
「お客さんいつもより多くない……?」
「多くないよ。アキのバンドの時より少ない」
「……ねぇ」
アキは不機嫌そうに口を尖らせる。
「あたし、今マヒロと組んでるんだけど。前のバンドどうこうの問題じゃないの」
「ご、ごめん」
なぜか怒られてしまった。
「ん」
アキは手を広げる。私は「はいはい」とアキの腕の中に納まる。あの日海岸で抱き合ってから、どうしてだかアキはハグするのを好んでいた。
「……あたし、緊張してる。今日が一番。間違いなく」
「うん」
「なんでかな。結構場数踏んでるのに」
「……分かるよ。私も緊張してる。今日が私たちの初めての宣戦布告だからかも」
ふふっ、という笑い息が耳をくすぐった。
「そっか、そうだった。初めての宣戦布告だ。じゃあ緊張するのもしょうがないね」
アキは私の首元に顔を埋めた。
「……マヒロ、あったかい」
「アキもあったかいよ」
「あたしたち、どこまで行けるかな」
「何があっても行くんでしょ」
前出番のバンドが終わった。暗転する。
「そうだね」
温みが去った。暗くても、アキが笑っているのが分かった。
「土砂降りの中でも、関係ないや」
ギターとマイクを持って、ステージに立つ。
スポットライトに照らされた私たち────いや、アキを見て、少しざわめく。ここ界隈ではアキのバンドは有名だったからだ。
「歌います」
なんの説明もせずに、アキは言った。目を合わせ、ギターをかき鳴らす。
ああ、私は生きているんだな。初めて心から思えた。
「ありがとうございました」
歌い終え袖に掃け終わった瞬間、私たちは抱き合った。ライブは大成功だった。会心の出来としか言いようが無かったくらいだ。
「見た、マヒロ!?」
アキは興奮で顔を真っ赤にしていた。
「前のお客さん泣いてた!」
「ちゃんと盛り上がる所で盛り上がってた」
「あたし、自分で歌っててなんか泣いちゃいそうだった!」
「良いライブだった……!」
こんないい気分久々に味わった。そのくらい高揚した。
「あたし……」
笑顔で飛び跳ねてたと思ったら、急に感極まるアキ。
「え? ちょっ」
私は戸惑う。彼女の手の力が強くなった。
「あたし、音楽辞めないで良かった……!」
汗と涙で酷い顔になっているアキに呆れてしまう。
「もう。まだまだこれからでしょ」
「そうだけどぉ!」
鼻水を垂らしながら「ありがとうマヒロ」と言うアキに、なんだか私は救われてしまった。
その日のライブが終わり、私たちはソンさんに挨拶しようと客席まで降りた。そこで声を掛けられる。
「アキ」
アキの前にいたバンドのメンバーだった。アキは一瞬顔を強張らせる。
「みんな……」
あの日ケンカしたベースの子が代表して口を開いた。
「……ソンさんから聞いた。アキが新しいバンド組んだって。マヒロさんと」
「うん、組んだよ」
「私、あの時のこと謝ろうと思ってた。なんかケンカ別れみたいになって、連絡取らなくなって、ずっと気まずくてさ……でも」
ベースの子は私を見る。
「なんか……私たちといる時より良い顔してんじゃん、アキ」
「……うん」
アキは私の腕をそっと引き寄せた。
「私たち、一緒に濡れるって決めたから」
「何それ。なんかの隠語?」
「ううん。文字通り雨の中を一緒に走るの。止まない雨なんか無いから」
「……そっか」
ベースの子は吹っ切れたように微笑んだ。
「ごめん。私は一緒に走れなくて」
「謝らないで。私も、付き合わせてごめん」
「付き合わせてなんか無いよ。……本当に、楽しかった」
「……うん、楽しかったね。本当に」
ベースの子はぐしぐし目を擦った。
「じゃあ、これでちゃんとお別れしよう。私たちと」
「……うん。ばいばい」
「ばいばい。応援してる」
ライブハウスから彼女たちが出て行く。全員肩が震えていたり、鼻を啜る音が聞こえた。
「ありがとう!!」
扉が開かれる直前、アキが叫んだ。彼女たちは泣き顔を笑みで覆いながらライブハウスを後にした。
「うう」
歯を食いしばる声がした。私の腕を引き寄せている手が震えている。
「マヒロ……あたし……」
「うん」
「あたし……っ」
「ちゃんと言えて、偉いね」
アキは顔を袖で乱暴に拭く。
「ダメだな、あたし……今日泣きすぎだ」
「いつもだよ」
「そんなことないし……っ、ばか」
ぐすぐす言いながら、アキは何度目かも分からない涙を落とした。
そこら中のライブハウスで毎週ライブする。年を超えて二月になるくらいから、私たちは青森で有数のバンドになっていた。CDやグッズの売り上げで多少は潤ってくるくらいには。
「青森港でフェス?」
「呼ばれてるよ。知る人ぞ知る期待の新人二人組バンドだってさ」
ソンさんからそのように聞かされる。青森港の新中央埠頭でフェスが開催されるらしい。招待されるミュージシャンを見るとそこそこ豪華だった。
「こ、これにあたしたちが!?」
ラインナップを聞いてアキはくらくらしている。
「ここで失敗したら今度こそどん底行きだろうね」
「……マヒロってさぁ」
アキはじろりと私を睨む。ソンさんは愉快そうに笑った。
「どうする? 受ける? 受けない?」
私たちは同時に言った。
「「受けます」」
フェスでの持ち時間は二十分。時間を押すことは許されないから三曲程度しかできない。つまり、私たちをたった三曲でわざわざ青森くんだりまで来る耳の肥えた客に認めさせなければならない。
「行けるに決まってるじゃん」
「そう言ってて本番前に緊張するでしょ」
「もう、マヒロってさぁ……」
すっかりたまり場になった私の家で選曲に迷う。
アキはおもむろに顔を上げた。
「……マヒロ」
「うん?」
いつになく真剣な調子に、私は手を止めた。
「あたし、マヒロに言ってないことがあるんだ」
「何を?」
「でも、フェスが終わるまで言わない」
「なんで?」
「あたしの覚悟の話だから。でも、これだけは分かってほしいの。決してマヒロを信頼せずに言わないわけじゃないって。だから────」
「分かった」
私は選曲作業に戻った。
「前に進むだけだから。聞かないでおく」
「……ありがとう」
フェス当日。県外からも多数の客が訪れ、まさにロックフェスティバルと言った様子だ。雪もすごいし寒いのによく来るな、と他人事のように思ってしまう。
「ねぇマヒロ! せんべい汁売ってるせんべい汁!」
「はいはい」
私たちは出番前に屋台で腹ごしらえしていた。
「うー、ぬぐだまる。なんでこんな寒いのにフェスやってんだろうね」
アキはせんべい汁を啜りながら白い息を吐く。
「寒いからじゃない?」
フェス特有のそわそわした空気に身を預けながら答える。
「どうせすぐに熱くなるよ」
「だね」
ぷはぁ、とアキは空になったお椀をゴミ箱に捨てた。
「あたしたち、すごいことになるよ」
「うん。やってやろう」
拳を軽く付き合わせた。
フェスのステージはライブハウスの比じゃないくらい広い。屋外なのもあって体感は百倍くらい違う。客の数も同じだ。
そんな中、私たちは堂々とステージに出た。会場に来た客のほとんどは私たちなんか知らないだろう。その方が都合が良かった。
マイクを握ったアキと目が合う。もう言葉は要らなかった。
私たちを語るのに、三曲は充分すぎた。
出番が終わって、私たちは充実感の中楽屋を出て行く。また屋台で何かを摘まみつつのんびりフェスを楽しもうと思った矢先、スタッフが私たちを追いかけてきた。
「今すぐスタッフルームに来てください!」
何事だろう、と聞こうとした私をアキが遮った。
「行こう」
私は一も二も無く頷いた。
スタッフルームで待っていたのは、高そうなスーツを着た中年男性。その顔に酷く見覚えがあった。アキの父親だ。
「……がっかりだ」
開口一番、彼はそう言った。
「今まで大人しかったのはだからか」
「そうです」
父親はアキの言葉を無視して私を睨みつけた。
「またお前か……お前がアキを誑かしたのか?」
「違います!」
私が口を開く前にアキが叫んだ。
「全部あたしの意思です! マヒロはあたしと一緒にいてくれる仲間です!」
「何が仲間だくだらない! 俺への当てつけか!?」
アキは黙りこくった。
「……このフェスに、お父さんの会社が協賛してたのは知ってました」
父親は目を見開いた。
「まさか」
「あたし、音楽やります」
ドンッ、と強い音が鳴った。父親がテーブルを叩いた音だ。
「……親への裏切りだぞ」
「はい」
「今まで何のためにアキに環境を与えてやったと思ってる!」
「はい」
「アキのためを想ってやっていたことだぞ!」
「はい」
胸を張って、アキは言った。
「それでもやります。ごめんなさい」
それだけ言って、踵を返した。私の手を引きながら。
「まだ話は終わって────」
「お父さんの結論は分かってるから」
振り返らずに、アキは続ける。
「あたしの結論も、変わらないよ」
足早にスタッフルームを抜け出し、フェス会場を後にした。その間アキはずっと無言で、何かをこらえているようだった。
「……ごめん、今まで言わなくて」
「いいよ」
やっと絞り出したような謝罪を、私は何の躊躇も無く受け入れた。
「帰る場所、無くなっちゃった」
あれほど毅然と言い返していた面影はまるでなく、ただの女の子の顔がそこにはあった。
「マヒロ」
「うん」
「ずっと一緒に走ってね」
「分かってる」
すっかり落ちたアキの肩を抱き寄せた。
「分かってるよ」