妻に逃げられた美男公爵(せめて妻の名前位覚えて下さい。BY周りの意見)
エルンスト・レトリックス公爵はそれはもう、美しい黒髪碧眼の若き公爵である。
洗練されたその物腰は幾多の貴族令嬢達の憧れの的だった。
彼が伯爵令嬢と婚姻した時は、多くの令嬢達が泣いたものだ。
そして誰しも彼の妻となった伯爵令嬢をうらやんだ。
しかし…今、エルンストは非常に困った事態に陥っていた。
妻が家出してしまったのだ。
何でこうなった?
信頼しているレトリックス家の老執事セレストに相談すれば、セレストは、
「奥様の気持ちよーーーく解ります。」
「何故?私は何が悪かったと言うのだ。」
「奥様と会話していますか?」
「いや、していない。食事は朝、共にしてはいるが。ここの所、忙しかったからな。」
「結婚して以来、奥様と寝室を共にしていますか?」
「連日、私の帰りが遅かったのだ。起こしたら悪かろう。」
「奥様の名前、覚えていますか?」
「馬鹿にするな。確かフローリア…いや、フローラ??だったか…」
「フローリア様です。」
彼とフローリア・シルリス伯爵令嬢が結婚したのが、今から二週間前、
彼の父とフローリアの父が親友で、いつまでたっても多忙で結婚相手を決めないエルンストにしびれを切らしたエルンストの父が強引にフローリアとエルンストを結婚させたのである。
エルンストは結婚式の当日、初めて花嫁の顔を見た。
まだ若いフローリアは金髪碧眼の美人で、頬を染めて嬉しそうにエルンストを見ていたのは覚えている。
そもそも、大勢の女性達に常に付きまとわれていたエルンストである。
彼女が自分を付きまとっていた女性達の中にいたかどうかでさえ、定かではなかった。
セレストは呆れて、
「これではいつ離縁されてもおかしくはありませんな。」
「それは困る。二週間で妻に逃げられたとあっては、レトリックス公爵家の名が…
ともかく、妻を探さないと。」
「見当はついているのでしょうか。」
ハタとエルンストは思った。
自分はフローリアの事を何も知らないのだ。
とりあえず、フローリアの嫁ぎ元、シルリス伯爵家へ使いを出して、フローリアが帰っていないか問い合わせてみる事にした。
使いの者が昼頃、戻って来て。
「奥様は戻っていらっしゃらないそうです。それから、シルリス伯爵様が、アルフレッド様と共にいらしていますが。」
あああ…今は別宅で過ごしているアルフレッド父上が来るとは、セレストが知らせたのだな。余計な事を。
アルフレッド・レトリックス前公爵は、シルリス伯爵と共に、部屋へ入って来て、エルンストに向かって怒り出す。
「何をやっているんだ。フローリアに逃げられるとは。」
シルリス伯爵は涙を流して。
「うちの娘が申し訳ございませんっ。逃げ出すなどと。公爵様には大事にして頂いているのに。」
アルフレッドがシルリス伯爵に。
「大事にしているだと???セレストから聞いたぞ。こやつは妻の名前すら覚えていないバカ者だ。大事にしているというのなら、せめて妻の名前位、覚えているだろう。」
エルンストは青くなって。
「申し訳ございません。父上。シルリス伯爵。せめてフローリアの名前だけは覚えておきたいと思います。」
アルフレットが怒りまくって、
「名前だけ覚えてどうするっ???ちゃんと妻を大事にせんかいっ。」
シルリス伯爵も同意する。
「確かにっ。名前位覚えて下さらないと…」
その時、シルリス伯爵家の使いの者が尋ねてきたというので、部屋に通して。
「お嬢様はお友達のアリア・スーリス伯爵令嬢の元へ行っているのではないかと。」
アルフレッドは叫ぶ。
「エルンスト。迎えに行け。花でも持って、平謝りに謝って帰って貰うんだぞ。いいな。」
「はい。父上。」
エルンストはセレストを連れて、馬車でスーリスト伯爵家へ出かける事にした。
王都にあるスーリス伯爵家は割と近いのだが。
「セレスト。フローリアに花をと言われたのだが、彼女が好きな花が解らない。」
「あああああ…それはそうでしょうね。無難な所で、赤の薔薇の花でも買って行かれたらよいかと。」
「赤の薔薇の花。それなら、それを100本買って、フローリアに許しを請おう。」
花屋に寄って、赤の薔薇の花を100本花束にして、エルンストは持って行く。
門番に断って、玄関へ行き、リンゴーンとベルを鳴らせば、使用人が出て来たので。
「こちらに、我妻、フローリア・レトリックス公爵夫人が来ていないだろうか。私はエルンスト・レトリックス公爵だ。妻を迎えに来た。会わせて欲しい。」
その時、中からフローリアの声がした。
「わたくしは帰るつもりはありません。このまま離縁して下さいませ。エルンスト様。」
扉越しにエルンストは叫ぶ。
「申し訳なかった。フローリア。結婚して二週間、君をほっておいて。
仕事が忙しかったのだ。せめて君の名前を覚えたい。だから、戻って来てくれないか。」
バンと扉が開いて、フローリアが出て来た。
そして、エルンストの前にツカツカとフローリアが近づいて来ると、バシっとエルンストはその頬を思いっきり叩かれる。
「痛いではないか。」
「妻の名前も覚えていなかったなんて、酷すぎますわ。わたくしは、たまに貴方が現れる夜会を楽しみに、大勢の令嬢達に混じって貴方様に一生懸命話しかけていたのですのよ。そんなわたくしの一途な想いを父と、アルフレッド様が叶えてくれて、天にも昇る心地でしたのに。あまりにも酷いその仕打ち。わたくしは戻りません。このまま離縁して下さいませ。ええ。貴方なんて大嫌いですのよ。いくら顔が良いからって、もう耐えられません。」
エルンストは、薔薇の花束を地面に置くと、フローリアをぎゅっと抱き締めて。
「反省している。本当に。そんなに君を怒らせているだなんて気が付かなかった。
これからはちゃんと名前を覚えるし、他にも君の要望は聞くから。だから戻って来てほしい。」
「名前を覚えるのは当たり前です。会話をしてくださいませ。それから夜はその…一緒に寝て下さると…わたくしは貴方の妻なのです。もっと妻として扱って下さいませ。」
フローリアがちょっと恥じらうように真っ赤になって言うその姿に、エルンストの胸はどきりとしてしまった。
「君がこんな可愛らしい女性だったなんて、驚きだな。」
「まぁ、顔もろくに見ていなかったのですか?朝ごはんは一緒に食べていたじゃないですか。」
「仕事の事をずっと考えていてね。まったく…上の空で。」
頬をぎゅっと引っ張られた。
そしてフローリアはエルンストに、
「これからはわたくしの事、しっかりと見て下さらないと。約束ですわよ。いいですわね。」
「解った。」
頬は痛かったが、フローリアが戻って来てくれると言う事で、エルンストは安心した。
改めて赤の薔薇の花束を手渡せば、フローリアは嬉しそうに受け取ってくれた。
そして、馬車に乗って帰宅の途につく。
隣に座るフローリアの手を握り締めて、エルンストは思った。
これからはフローリアの事をちゃんと見よう。
まずは名前を忘れないように。それから、会話をして夜は寝室を共にするのだ。
そして…
フローリアに話しかける。
「まずは夫として何をしてほしい?フローリア。」
隣のフローリアがにっこり微笑んで。
「まずはキスからですわね…エルンスト様。」
「そ、そうだな。」
フローリアの唇にチュっとエルンストはキスを落とす。
なんて柔らかい唇なのだろう。
赤くなるフローリアが改めて、可愛い。エルンストはそう思った。
これからは妻に逃げられぬよう、ちゃんと気を使おうと強く思うエルンストであった。