嘘つきは透明人間の始まり
嘘を題材にしたものです。
早朝、歯を磨くため洗面所に行った俺は鏡に映る自分の姿を見て驚愕した。
少し、本当に少しだが体が
透けていた。
高二の俺は受験のストレスでしょうもない嘘をつき始めた。道を聞いてきた婆さんに間違った情報を教えたり、昔あいつは女子をストーカーしていたという噂を広めたりと、まあストレス解消にはちょうど良い遊びだった。バレないだろうし、バレても大事にはならないと思っていた。昨日までは。
「な、なんだこれ。」
自分の体が透けている。
触ってみるが特に違和感はない。
ー寝ぼけているのだろうか?
顔を2、3度洗い、もう一度鏡で体を見てみる。
ー・・・透け、てるよな?
非現実的なことが起こり、脳がオーバーヒートをしたのか気分が悪くなってくる。―
「今日は学校休むか…」
気分が悪くなったと連絡をし、再度ベッドに入った。
ブーブー
アラームの音で目が覚める。
「んん」
アラームを止めようとスマホに手を伸ばす。
スッ
「え?」
スマホを掴もうとした手が空を切った。
咄嗟に自分の手を見る。
「ひっ」
手が朝よりも透けていた。
時間が止まったように、周りの音が聞こえなくなる。
ブーブー
ただ、無機質なアラーム音だけが耳の中に響いた。
「ただいま」
仕事から帰ってきた母親、幸恵の声が聞こえ、我に返る。
音の歯車がまた動き始めた。
ーもうそんな時間か。
すぐに部屋のドアがノックされ、母さんが部屋に入ってきた。
「体調悪いから学校休んだんだって?」
「あ、うん。」
「そんなことで休まないでちょうだい。そろそろ受験なのよ?みんな寝る時間も惜しんで勉強しているっていうのに。本当に情けない、、、」
「ごめん」
「もう体調大丈夫なら、今から勉強しなさい」
「うん」
「おにぎり作って持っていくわ」
そう言って、幸恵は部屋を出る。
「母さん」
「何よ?」
「俺、透けてない?」
「…親を馬鹿にしてる暇があるなら、早く勉強しなさい」
バタン
ドアの閉まる音だけが虚しく部屋に響いた。
ブーブー
眠れなかった、、、
昨日ずっと寝ていたせいか、それとも体に不可解なことが起こったせいか。
ブーブー
アラームを止めようとスマホに手を伸ばすが、すぐに引っ込める。
また掴めなかったらどうしよう。
ブーブー
「…っ‼︎」
意を決して、スマホをひったくるように掴んだ。
ガシッ
掴めた!
喜びが胸に広がる。
やっぱりあれは夢だったんー
「うあ、あぁ」
安堵の表情はすぐに絶望に塗り替えられる。
スマホを掴んだ手は昨日よりも明らかに透けていた。
「はぁはぁ」
靴を脱がずに階段を登り、教室に駆け込む。
親友、正樹の姿が目に飛び込む。
親友のところに行き肩を掴む。
「正樹!なぁ、助けてくれ。俺おかしいんだ。いや、俺の目がおかしいのか俺の体がおかしいのかわからないんだけど、とりあえず変なんだよ!」
いっきにまくし立てる俺を見て正樹が驚く。
「聞いてくれ、俺の体が日に日に透けてくんだ!」
「おい、お前ちょっと落ち着けよ。な?」
動揺しつつ正樹は俺をなだめる。
「あ、ああ。悪い、順を追って話す。まずー」
「いやいやいや、そうじゃなくて」
話を遮られ少しムッとしつつ、
「んだよ?」
と聞いた。いや、聞かない方が良かったのかもしれない。
正樹の一言で本当の悪夢はここからだと俺は分かってしまったから。
「いや、な?悪いんだけど…」
頭を掻きながら正樹は言った。
「お前誰だ?」
「……は?何言ってんだよ?」
言われたことがイマイチ理解できない。
え、だって何年も一緒にいたろ?小学生の時からよく遊んで、受験だってお互い頑張ろうって、言ったじゃないか。
「あー、確かに俺は正樹だ。でも俺はお前のことがわからない。もしかしたら昔、どこかで会ったか?そうだとしたら、ごめん。思い出せないんだ」
「おい、ふざけるのはよせよ。知らないわけないだろ?」
「ごめん」
正樹が俯く。
確かにこいつはこんな嘘はつかない。でも、今回は嘘であってくれ。
「え、俺だよ。俺はー」
俺はー
誰だ?
思い出せない。人生で最初に聞いた名前、世界で1つしかない名前。
「俺は、俺はー」
「何あいつ?きもっ」
誰かが呟く。
はっ、と教室を見渡すと、クラスメイト全員が俺を異様な目で見ていた。
「なんだよ。なんでお前らそんな目で見るんだよ」
だんだん気持ち悪くなってくる。頭痛がする、目眩がする。
吐きたい。吐きたい。
ひとつひとつの視線が俺の何かを壊していくようで。
気がついたら逃げていた。
教室の前に群がる野次馬を突き飛ばし、階段を三段飛ばしで降り、校門を目指し走る。
誰かの叫び声が聞こえた。
それが自分の声だとはすぐには分からなかった。
どこをどう歩いたのか覚えていないが、いつのまにか家に着いていた。
銀灰色のドアノブに鍵を指して右に回す。
幸い通り抜けて空気を掴んでしまうなんて事はなかった。
途中で通り抜けてしまう事を恐れ、ぎりぎり身体が通り抜けられる程度の隙間を作って、さっと入り込む。自宅だというのになんだか泥棒みたいな入り方だ。後ろでかチャリと穏やかに玄関扉が閉まる。ため息を吐くのを堪えながら靴を脱ぎ、すぐ向かいにある階段を一段一段、あんまり音を立てないよう気をつけて上る。
今日は土曜日だからきっと母さんがいるはず…。
左側に見えた焦げ茶色の扉をノックしようかどうか迷ってから、こんこん、と控えめに叩く。「開けるよー」と小声で言いつつ扉を押し開ける。
母はカタカタと電光色の画面を動かしていた。
いつもは見るだけで吐き気を催す母の姿が今日は暖かく感じた。
そのまましばらく立ち尽くしていたが、母が振り向く気配が無いので「母さん」と声をかける。
そこでようやくぴたっとキーボードを叩く手が止まり、母が振り向く。
目が合ったのでもう一度「母さん」と言う。しかし母親はしばらく宙を見つめたあと、「気のせいか」と呟き再びパソコンと向き合った。
「ぇ?」
無視…とは違う。
嫌な予感がした。
「おい…嘘だろ」
躊躇いがちに一歩、二歩と進む。
母の耳元で「母さん、母さん!」と叫ぶがこちらを見てはくれない。
俺は瞬時に理解した。自分の居場所はどこにもないと。
あてもなく町を彷徨っていると突然、「キャッ」という小さな悲鳴が聞こえた。
声の聞こえた方向に首ごと振り向く。
道路に女子が倒れていた。足を挫いたのか、立てそうにない。
そして前方には大型トラック。
おいおい、流石に洒落になんねーぞ。
運転手は女の子に気づいたのかブレーキを踏んだが、間に合いそうにもない。
10tの鉄の獣が唸り声をあげて少女に襲いかかる。
キキィィィィ
考えるより先に頭が動いた。
道路に躍り出て、少女を突き飛ばす。
眼前にトラックが迫る。
ああ、死ー
スッ
「あっ」
トラックが透けた体の中を通り過ぎる。
助かった、のか?
現状がうまく理解出来ず、呆然としていると周りの通行人が集まってきた。
「青年が少女を助けたぞ!」
「 え?」
今なんて?
通行人の言葉に耳を疑う。
もしかして俺が見えているのか?
そっ、と手を見る。
「!透けてないっ」
俺が叫ぶのとほぼ同時に、隣から誰かに反対の手を掴まれた。
横を見ると、助けた女の子が俺に微笑む。
「助けてくれて本当にありがとう。あなたの名前は?」
「俺の名前ー」
自分の名前を言えることに気づいた。
「俺の、名前はー」
ドン
「ぇ?」
気がつくと体が宙に浮いていた。
少女がいっぱいに広げた手のひらが、視界の端に見えた。突き飛ばされたとすぐに分かった。
甲高いクラクションの音が頭の奥まで鳴り響いた。
スローモーションのように全ての動きがゆっくりになるなか、少女の声だけはっきりと届いた。
「あなたにストーカーだと嘘をつかれた子は、いじめられて二ヶ月後自殺した。」
え?
「知らないよね。あなたにとっては嘘は暇つぶしでしかなかったから、その後どうなったかなんて興味ないもんね」
死んだ?まさか。
トラックの前頭から溢れる白い閃光が、あらゆる思考を攫ってく。
「そして半年前、あなたの嘘を信じたお婆さんは、そこで事故が起こって死んだ」
「実はこっちを通ると近道なんですよ」
「あら、本当?でもあそこって工事現場じゃないの?」
「大丈夫ですよ。今日は休みなんで工事はやってません。お婆さん荷物をたくさん持っていて大変そうなんで、少しでも楽に行けたらいいなって思って」
「優しい子ねぇ。ありがとう、教えてくれた道で行ってみるわ」
まるまった老婆の背中が曲がり角の向こうに消えたのを確認してから、青年は電話をする。
「もしもし?聞いてくれよ、正樹。今、婆さんが道を聞いてきたんだけどめっちゃ簡単に騙されてさ、もう可笑しくて」
『…お前、その遊びいい加減にやめたほうがいいぞ。』
「あ?大丈夫だよ。バレやしねぇって。そういや、明日ー」
つい最近のように、半年前のことが思い出される。
「そんな、つもりじゃ…」
「そうでしょうね。でも、あなたの遊びに付き合わされたお婆ちゃんは最後まであなたを信じて死んだ」
「…おばあちゃん?」
黒ずんだ鉄骨の下から滲み出る血だまり。潰れた半身を細かに震わす老人が、家族のいない自分を、いつも節くれだった手で撫でてくれていたお婆ちゃんであると数秒を置いて視認し、呆然と一歩、二歩と進んでから、飛び出すように駆け出した。
下半身が鉄骨の下敷きになっている祖母のところへ走り寄る。
くたりと横たわった老婆のすぐ側に膝をつくと、彼女は痛みに歪む頰を無理に緩まし、ほとんど吐息に近い掠れ声で言った。
「…優美ちゃん、ごめんなさいね。おばあちゃん、道を間違えちゃったみたい。優しい男の子が、近道だって…教えてくれたんだけどねぇ」
「なっなによそれ…そんなの、嘘じゃない!だってここ設計ミスが発覚して、危ないからって立ち入り禁止なった場所なのよ!?」
「きっとその子は知らなかっただけよ…責めないであげて。ね?」
じわじわと広がった血だまりが、買い物袋から散らばったご飯や団子をあっという間に紅色に染めていった。
「あなたの嘘は人を殺すの。このー」
少女の言葉が言い終わる前に、車が体に衝突する。
しかしなんと言ったのかは、俺は分かった。
『この人殺し』
自分の体から、奇妙な音が聞こえる。
体が地面に叩きつけられ、意識が遠のく。
頭の中で「人殺し」という言葉だけが響いた。
ああ、こうなるなら消えたほうがまだ良かっー
『今日の昼過ぎ、青年が車に轢かれたとの通報があり警察が駆けつけたところ、被害者の血痕と思われるものが道路に付着していましたが被害者がいないという、非常に不可解な事故が起こりました。目撃者全員が、青年が突然道路に飛び出したと証言しており、自殺として調査を進めております。』
「あら、自殺?やっぱ受験のストレスかしら?まぁ、私は子供いないから関係ないけど。」
テレビの電源を切った幸恵は明日の仕事の準備をしベッドに潜った。
こんちには。エレベーターに乗りそびれ、悔しいからエレベーターよりも早く上に着いてやると全力ダッシュしたスメイスです。
本日は「嘘つきは透明人間の始まり」を読んでいただきありがとうございます。
ある日ふと、嘘ってこわーい、と思い書きました。HappyENDの方も考えたのですが、嘘をつくのならそれなりの覚悟を、ということでこの様な終わりにさせていただきました。
嘘って面白いですよね、薬にも毒にもなる。嘘をつく動物は人間だけでは無いというのもまた面白いと思います。
少し脱線してしまいましたが、今日はこの辺りで…
最後まで読んでくださった方ありがとうございます。
ではまた