第46話 堕天
二か月ぶりの邂逅だった。
少年はかつて仮想世界スレッドが一つ、モティカにて青年と出会った。人畜無害の化身が如き青年、ユニオンとして。
少年の言葉に正体を偽る嘘はなく、口振りも赤の他人に対するモノとは思えない程落ち着いている。彼が顔見知りと認識して接している証左だった。
「ついでに名前もそのままで、圭って言うんだ。平々凡々の極みで、いかにも僕らしいだろ?」
「ああ、全くだ。それで……俺をどうするつもりだ?」
状況からして、回答など訊くまでもない。それでも少年は、それを質さずにはいられないようだった。
「決まっているじゃないか。恩人である君達の逃走に協力したい。ただそれだけさ」
「恨んではいないのか? お前が暮らしていた、お前にとっての理想世界を叩き潰した張本人だぞ、俺は」
「そうだね。君のおかげでモティカは滅びた。復旧までには一週間もかかった。その間に僕を含めた住民達は皆、クソッタレな現実世界での生活を余儀なくされた。住民の中じゃ、恨んでる人の方が圧倒的に多いだろうね。でも僕は逆だ。君に心から感謝してる。そもそも仮想世界の在り方に疑問を持ってたところで、渡りに舟だったしね」
「騙し討ちで自分達を虐殺した糞野郎に感謝か。とんだドMだな」
「君は煽動しただけで、実際に殺し合ったのは僕等自身だろう? それに君には及ばないよ」
「どういう意味だ?」
「君の上官から話を聞いただけだよ。君がこれまで命懸けの縛りプレイを延々続けてきたってね。そんなの、被虐趣味以外の何物でもないだろ?」
「人命を大袈裟に捉えるから、そんな結論になるんだよ。失うことが惜しいモノも、実現を妨げるにたる障害もなかった。だから俺は、普通にできることを普通にやってきただけだ」
「だから君は、命懸けで必死に人間を生かそうとしてきたと? なるほどね……」
あからさまな矛盾を追及はせず、ケインは曖昧に笑う。儚げな双眸の先に映るものは、少年の痩せ我慢か、あるいは――
「他の連中がどうなったか、知ってるか?」
「えっと……他っていうと、レイア達かい? さぁね……正直分からない」
尋ねた少年の弱々しい声音にケインは目を細めたが、ややあって穏やかに答えた。
「他の世界ってことやったら、とりあえずオレはここにいるぞ」
無言を貫いていた助手席の男が、重い口を開いた。見かけどおりに低く重い声で、訛りのせいかやや独特なイントネーションだった。
「お前はガチでムカつくし、ガチぶっ殺してやりたかったんやけどな? クラッドにもすぐに帰りたかった。でもこっちの世界でずっと起きとったら、阿呆らしくなってきたんよ。いくら顔弄ってイキっとっても、俺は俺やねか? どうせマ○コもこの国もクソやし……ああだからとにかく、俺はお前以上に色んなもんがムカつくがいぜ」
「黙れ、クソオス! てめえが現実で女からも誰からも相手にされずに馬鹿にされんのは、てめえが奇形面のキモ汚で自業自得だからだろうが!」
少年の隣にいた女児が、男に負けず劣らず口汚く罵る。目には目を、ミソジニーにはミサンドリーを。醜悪極まる下劣な会話だった。
ケインの仲裁でようやく落ち着いたが、二人は再び仏頂面で沈黙した。
彼等が言葉を交わすうちにも、車は半自動運転を続けていた。巨大工場が連なる新興埋立地区にさしかかって以降は、信号に止められることもなくスイスイ進み、標識は既にここが第二十一区内でも目的に程近いことを示している。
「その、なんだ……何にせよ、自分の人生を考え直すいいきっかけになったはずだよ。僕自身がそうだったように、契約を結んだ人達は皆、本当に限界だった。仮想世界が良いとか悪いとかじゃなくて、『ここじゃないどこか』ならもう何でも良かったんだと思う。それでいざ契約を結んだら、交代人格に肉体を乗っ取られるも同然だから、もう後戻りもできない。だからさ、やり方こそ強引の極みだったけど、いま一度選択肢を選べたのは本当に良かったと思ってる」
「そういえば、それもそうだ。お前の交代人格は一体――」
「ああ、チップごと取り除いたよ。当然契約違反だから、皆めでたくお尋ね者さ。莫大な違約金を踏み倒して逃げ回る糞野郎でもある。仮想世界を断ったところで、元の生活に戻れるわけでもないっていうね。今は君の上官に拾ってもらって辛うじて生活してる。他にあてもないし。いや僕自身の望みでもあったから別にいいけどさ、彼女のやり方もなかなかあくどいよ」
「そうか――」
少年は目の前の助手席を見つめたまま微動だにせず、乾いた声で呟いた。
「――ともあれ、アレがとんでもない鬼畜外道なのは確かだ。俺の辛さを理解してくれる奴が増えてことは嬉しい」
「憎まれ口を叩く割に、彼女の救出には協力的なんだね」
「流儀の問題だ。あの阿婆擦れのクソっぷりなんて関係ない。相手が何であれ、俺は組んだ相手を裏切りたくない。それだけ――じゃないな。結局のところ、お前と一緒か。他に行くあてがない。それより――」
そのときだった。
半自動運転を続けていた自動車が急停車した。
何があったのかと身を乗り出そうとする少年を、ケインが制止する。
セダンの前には、明らかに堅気ではない男達が屯していた。
ケインは手際良く通気口の下にあるパネルを開いて操作し、ハンドルに手をかける。メータの脇に見えるモニターの表示は、いつの間にやら手動運転モードに切り替わっていた。
「運転しなくていいなら、それに越したことはなかったんだけどね……」
ケインは冷えきった声で呟くと――大きくハンドルを切った。




