第44話 堕落
「――は?」
告げられた言葉の意味が理解できないとばかり、ドゥンは目を白黒させた。
「いや、ここにきてそれはないだろう? お前も俺も、常に死を親しい隣人としてここまでこの仕事をやってきた。それを言うに事欠いて――」
「せやから、ワイがキミに死んで欲しくないねん。キミ自身がどうかやなくて、ワイがな?」
「……それは――」
ドゥンははっと息を呑む。
「だが、それでも……それでもだ。状況は完全に詰みだ。もはや取り得る手段がない」
「いや、とりあえず一つはまだ残っとるやん?」
「ああ――」
ドゥンは頭痛を堪えるように顔を顰めた。
端末を操作すると、程なくしてベトゥとの通信が繋がった。
「まずいことになった。どういうワケか、俺達の正体が連中に筒抜けになっていた。任務の続行は困難と言わざるを得ない。お前の判断を求める」
ベトゥは沈黙したまま、応答しない。
それを無言の拒絶と取ったか、サーベルを握り直してドゥンが身を翻しかけたとき、
「『判断』ですか? もし『助けを求める』なんてほざいたなら、盛大に笑い飛ばす腹積もりだったのですが。ええ、ならば命令しましょう――仮想世界を離脱しなさい」
驚くほどあっさりと、ベトゥは彼等が望んだ命令を口にした。
「――ん? ええんか? いや一応期待はしてみたものの、どうせ討ち死にしろとでも言うもんやとばかり」
「ええ、そのはずでした。ですが私の方でも予期せぬ、いえ予期はしていたものの些か想定を超えた問題が起きましたので。単刀直入にお伝えすれば、私は――つい先ほど殺されました」
「――は?」
「状況考えろや! 冗談言うてる場合ちゃうって分かるやろ!」
死者が自らの死を報告した。
至って冷静に、淡々と事務的に。
彼女との付き合いが長い彼等をして、流石に戸惑いを隠せなかった。
だがドゥンはやがて目を大きく見開く。
「いや待て。そもそもこいつが、自分自身を貶める類の冗談なんて言うワケがない。事実だとして、自分の失態を理由なく明かすワケもない」
「こんのクソガキがっ!……コホン。下衆の勘繰りはともかく、私が死んだのは事実ですし、別に犬畜生未満の下僕共に慰めて欲しくてこんな報告をしたワケでもありません」
「把握。よーするに、自分が助かるためにワイらを利用しようってハラっちゅうわけやな?」
「つまりは、ほぼ平常運転というワケか。俺達の状況は? 今現在の敵はどいつだ?」
「仮想世界もユグドラシル社も何もかも今までどおり敵です。それに加えて――ヘルヘイムが敵に回りました。敵は敵で、雇用主まで敵。三六〇度全方位が敵という四面楚歌状態です」
「やっぱりな。つまり、お前はいつでも尻尾を切り捨てる算段を用意していたが、組織は飼い犬諸共殺処分する方針に切り替えたと」
ドゥンは不敵に笑い、ミュルもそれに応じる。事態はむしろ、更なる絶望へ転じたと言っても過言ではない。だが、ベトゥと共闘関係を維持できることに彼等は何より安堵した。
「少々誤解があるようですが……まあいいでしょう。詳細まで教える義理はないですし、作戦行動の上ではその理解で問題ありません。ええ、私の肉体を破壊したのはヘルヘイムですし、我々の抹殺に動いているのもヘルヘイムですから」
「肉体は破壊されたが精神は生きている、それが今現在のお前というワケか。俺達の情報をこの世界の住民にリークしたのも組織か?」
「さて、どうでしょうね?」
「おい、まさかキミちゃうやろな⁉ こともあろうに仲間を売り飛ばしたんかワレ!」
「はて、何のことやら。まあ、お二人がそろそろ道具として耐用限界だろうと思っていたのは事実ですが」
「なるほど、お前の事情と粗方の状況は理解した。それで――お前に協力して何のメリットがある?」
「おいドゥン何言うて――」
ここにきてなお駆け引きに出ようとするドゥンをベトゥが諫めるが、ドゥンはそれをすっと手で制す。
「あのーお話聞いてました? 組織は既に敵なんですよ? 行く宛ても生活基盤もなく、死んだかつての飼い主の家で野垂れ死ぬしかなかったガキと、自律行動不可能な状態に破損した欠陥AIのゴミ。組織にすら切られて、一体これからどうやって生きていくんですか?」
「――だから? それが一体どうした?」
「鈍いですねぇ? 雇用主すら失った今、お二人はもう死ぬしかない。生き延びる道があるとすれば、それ即ちこの私なのですよ。私に協力する限り、お二人の当面の安全は保障しま――」
「根本的に勘違いしているな、お前は。そもそも俺達は、生存を望んでいない。言うなれば、死に場所を求めて彷徨っていただけだ。とうに死など覚悟しているが、人間とこの世界が憎くて仕方ない。ゆえにこの命尽きるまで、精々破壊の限りを尽くす――それが俺達という存在の在り方だ。お前に体よく利用された挙げ句に結局死ぬならば、俺はここであいつら相手にあらん限りの虐殺をした末に果てる」
「もちろん知っていますとも。貴方は確かにそういう人間だった――ええ、かつては」
「何が言いたい?」
「無理な選択だということですよ。情に絆された今の貴方にはね?」
「この人でなしに情か。寝言は寝て言ったらどうだ?」
「まさか。PLISM破壊のときに見せた躊躇を、この私が見逃したとでもお考えですか?」
「ふはははは! なんだその冗談は! まったく、見当違いにも程がある!」
「では質問を少し変えましょう。今の貴方に――その下劣で卑猥な相棒を自爆特攻の道連れにする覚悟がありますか?」
「何を……何を馬鹿げたことを。こいつだって、俺と同じ思いを抱いて行動してきた同志だ。自分自身はいつ死んでも構わない。この身が擦り切れるまで殺戮を続けようと」
「私が尋ねたのは、貴方の覚悟なんですが。本人がどう思っていようが、貴方に相棒を死へ追いやる覚悟がありますか?――そう訊いたんですよ」
「お前っ……! 俺は……俺にそんな甘えは……っ!」
それが決定打だった。ドゥンは拳を握りしめ歯を食い縛るが、その手は何を為すこともなく、その口から反論が紡がれることもない。沈黙は議論の勝敗が決したことを物語っていた。
「それは、甘えとは別物ちゃうか?」
ドゥンを諭すように、ミュルが尋ねた。
「ならば、何だと言う……?」
「知らんがな。成長とか、どうや?」
「馬鹿を言え。堕落は成長とは真逆だろうが」
「ほんならまあ、堕落でもええんちゃう?」
「お前まで俺をからかうつもりか! お前はどっちの味方だ⁉」
「そら当然キミやけど? 何にせよ、キミの変化をワイが好意的に見てるゆうんは確かやな」
「お前は……お前が今まで俺を止めようとしたことがあったか⁉ お前は嬉々として俺と共に虐殺を繰り返してきただろうが! そのお前が一体何を……」
「いや、仮想世界ぶっ潰すっちゅうんは、ワイらの仕事やし。死人が出るワケでもなし、そら容赦なく全力でやるで? ただ、それと心構えはまた別の話やんけ。まあアレや、ワイはキミを殺したくない。キミはワイを殺したくない。相思相愛やし、ええんちゃう?」
「この状況でお前は何を……!」
「ご理解いただけましたか? 結局のところ、貴方には私に協力する以外の手はございません」
ドゥンは怒りを露に肩を震わせていたが、やがて低い天井を仰いで大きく息を吐いた。
「――分かった。話を聞いてやる」




