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第42話 敗走

(いや――奴等は何も知らないはずだ! それとも、少々早足過ぎたのが目立ったか⁉)

(焦んな! とりあえずここから出るんや! そうすれば、何とでもなる!)


 しかし、脱出自体が既に困難であることは明白だった。


 ユニオンに向けられていた、スタンドを埋め尽くす白仮面。

 それらは一斉に黒く変色したかと思うと、目と口がグニャリと湾曲した。黒仮面達が浮かべる笑みは、記号的であればこそ一層不気味で邪悪だった。


(四の五の言ってる場合じゃない! クソっ、なぜだ! とりあえず、打って出る他ない……!)


 三万の黒仮面が一点に集まる恐怖に耐えかねて、出口に向かっていた男の足取りが加速する。


 仮面とローブの下で、男は分離した。一人と一振りとなり、一回り小柄になった男がそっと柄に手を添える。


 出口付近にいた黒仮面達はぞろぞろと移動し、自らがバリケードとなって完全に封鎖する。


「強行突破もきついか……。やむを得ない」

 ドゥンは囁くと、周囲を警戒しながらもひっそりとサーベルを変形させていく。


「待てや! このままマキナ呼び出したら、ワイらまで巻き添え食らって死ぬで!」

「そうじゃない! 牽制と陽動が目的だ! ナノ粒子砲をばら撒くでもメイスで暴れ回るでもいい! 俺達がギリギリ死なない程度にアレを暴れさせろ! その隙に撤退する!」


 交わす言葉は緊迫に満ちていた。


 未だかつてない、絶望的窮地。


 彼等が苦戦を強いられることは、過去に幾度となくあった。

 一手誤れば即座に命を落としかねないリスク。それを背負ってでも、強欲に流儀を貫いて死線を潜り抜けてきた。


 だがこの舞台を漂う底冷えする空気は、彼等が未だ経験したことのないものだった。


 サーベルから触手が這い出し、懐に隠し持ったドローンの操縦器に絡みつく。

 マキナに余分な活動をさせる燃料は残っていない。

 ゆえに、ここでマキナを攻撃ではなく逃げの一手に使うことは、殲滅の絶好機と恃みの武器を同時に手放す苦渋の決断だった。


 だが彼等には、もはや選択の余地などない。


「――おい、ウソやろ……」

「どうした! 早く――」


「動かへん……」


 ぼそりと呟く声に力はなく、それはまるで敗北を宣言するような悲壮を帯びていた。


「ええっと、ドゥンケルハイトちゃんだったっけぇ?」


 ドゥンがミュルの言葉を問い質す間もなく、彼等を取り囲む黒仮面の一人が口を開く。


「ど、どどどうやって……」

 絞り出されたこの上なく惨めな声音に、住民達はゲラゲラと下品な嘲笑を木霊させる。


 疑問はもっともだったが、重要なのはこの戦況を招いた経緯ではない。今現在の方策だった。


 作戦行動を開始した途端一変した空気。個体が識別できないはずの世界で、はっきりと彼等が認識される異常事態。突如として動作不良を起こした人型兵器。そしてはっきりと告げられる、本来は誰も知り得ない彼の名前。


 彼等の目的、個人情報、行動履歴、その全てが露見している――そう覚悟せねばならない程の状況だった。


「逃げるぞ!」

 震える声で辛うじてミュルに呼びかけると、ドゥンは群衆が築いた黒の長城に突撃した。


 肉を切り裂き、骨を断ち、夥しい嵩の血が噴き乱れる。

 ドゥンは恐怖に息を呑みながらも、黒仮面の一人一人を次々に斬り伏せていく。

 だが黒の群衆は一切怯むことなく、手に持ったバットやナイフで次々に襲い掛かる。


「こいつら、恐怖がないのか……」


 群衆の一人一人は、さほど戦闘力が高いわけではなかった。日々修練と戦闘に明け暮れる、ファンタジー系スレッドの戦闘職などには及ぶべくもない。


 だが一人一人が捨て身の姿勢で渾身の一撃を繰り出してくる上に、およそ同士討ちへの忌避というモノがない。


 ドゥンが躱したバットの一撃が、別の黒仮面の後頭部を直撃した。ドゥンが弾いた鎖鎌が、別の黒仮面の腹部を貫通した。それでも彼等はまるで意に介さず、ドゥンへの攻撃を続ける。


「俺達はなぁ、ただ他人が嫌な思いすればそれで満足なんだよ!」


 自己保身すらも顧みない、純粋な悪意に基づく攻撃性。

 その醜悪な恐怖に、ドゥンは絶句した。


 人類の理想郷を実現した仮想世界。

 所詮は作り物であり、PC(プレイヤー)達のほとんどは現実の魂すらも売り渡した奴隷に過ぎない。


 だが、たとえ偽りのまやかしであっても、ここでは望むだけで地位も名誉も手に入る。このフュンフの住民とて、この場にいる以上仮想世界そのものを否定しているわけではないはずだ。


 彼等は何でも望み得る条件にあってなお、自身が何かを得るのではなく他人が何かを損なうことを選んだ。その歪だが強固な意志を結集した群体が、ドゥンという共通の標的に従って襲い掛かる。


「くっ……」


 躱し切れずに頬を掠めたバットが仮面を弾き飛ばす。一度弾いたナイフが右足の甲に刺さる。徐々にだが確実にドゥンは傷を負い、動きは少しずつ鈍化していく。


 多勢に無勢。ここまで圧倒的な数的不利がある以上、個々が弱くとも劣勢を強いられるのも致し方ない。だが左腿に矢を受けたドゥンを震え上がらせたのは、それ以上の恐怖だった。


「おい。急所は外せよ? あっさり死んだらつまんねえからな」


 黒仮面達の一人が叫んだ言葉に、別の誰かが「当たり前だろ」と応じる。

 彼等が命を惜しまず全力で攻撃を仕掛けていたのは事実だったが、その目的はドゥンの認識と異なっていた。


 彼等はドゥンを殺すためではなく、彼を嬲って弄ぶことを主眼に攻撃を続けていた。


「ちっ……要はあの哀れなおっさんと同じ扱いか」


 三万人の住民達から見世物にされて集団リンチを受けていた男性は、既に他人事ではない。その役は今や、ドゥンに回ってきていた。それを否応なく理解させられ、ドゥンはサーベルを振るい続ける。


 全身に無数の傷を負いながらも、何とかドゥンは球戯場外周の壁際まで辿り着いた。

 しかしながら目指していた出口は、なおも絶望的に遠い。


「大丈夫かドゥン? キミ、あそこまではどうやっても持たへんぞ?」

「はぁ、はぁ、んなこと、言われるまでもない……。〈形態第六番フォーム・セクト〉」


 ドゥンが叫ぶと、サーベルは瞬時に姿をつるはしに変えた。

 ドゥンは僅かにできた隙を突き、渾身の力でつるはしを振りかぶって壁に叩き付けた。


 果たして壁に小さな穴が穿たれ、ドゥンは滑り込むようにしてそこから地上へと落下した。


 自殺行為同然の所業を目の当たりにした黒仮面達の反応は、悲喜交々だった。

 無様な最期を爆笑する者もいれば、新しい玩具が逃げたことに落胆する者もいた。


 だが壁際にいた者達は目の色を変えて、異変を報告する。


「〈形態第四番フォーム・フィーア〉ッ!」


 敗走者が加速度的に地面へ落下してゆく中、突如として大輪の白い花が咲いた。


 握られていたサーベルは、持ち主の声に呼応して瞬時にパラシュートへと変形していた。地面まで数メートルというタイミングで落下速度は急降下し、ドゥンは無事着地に成功した。穿たれた穴から様々な凶器が投げつけられたが、それらがパラシュートに届くことはなかった。


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