第39話 混沌
現実世界と酷似した景観に、幼稚園児がクレヨンで描いたようなハリボテの空。
街を闊歩する住民達は皆、真っ白の仮面をつけ、黒いローブに身を包んでいる。
仮想世界の多くは、少なくとも表面的には美しい理想郷の趣であることが基本だ。なればこそ、一目で不気味を直観するこのスレッドは、あまりにも異様だった。
「奇特な性癖の連中だな」
現実のヤップ共和国首都の第十六区サンダを模した高層ビル犇めくビジネス街。
その片隅に建てられた民家二階の窓から外を見渡し、ドゥンが目を眇める。
「写像世界六番街、通称フュンフ。今回お二人に回収いただくのは、神器ダインスレイヴB29です」
ベトゥのホログラムは普段通りの態度で命令を下すが、その危険度はこれまでとは桁が違う。
写像世界――現実世界をほぼ忠実にコピーした鏡合わせの世界にして、偽りの空に覆われた閉鎖的な地下世界が演出されたソフト。
そのスレッドに住まう民は、PCかNPCかを問わず非常に好戦的である傾向にある。ゆえに忌避する者も多いが、一部の好事家には大変な人気を誇る。
「なぁ、これアカンやつや。やっぱりこの仕事は断るべきなんちゃうか?」
小動物姿のミュルが、フサフサの丸い両手を上下させながら切迫した声音で叫ぶ。
写像世界の悪評と、実際にダイブしてみて感じる澱んだ空気。何よりユニオンにとっては厄介極まりない、PCを特定できない性質。それらを踏まれば、妥当な所感ではあったが――
「あのー、寝言は寝て言ってもらえますぅ? お前ら畜生に拒否権はない――以前にも説明したと思うんですけどぉ、忘れちゃってました?」
「問題ない、任務は遂行する。それにこいつの冗談が面白くないのは、いつものことだ」
「ドゥン、キミもくだらん意地張っとる場合ちゃうぞ? ほらワイも一緒に頭下げたるから」
「勘違いするな。意地もこいつの命令も関係ない。このクソったれな世界を潰して回る――俺にとってはそれだけが全てだ。その果てに死ぬなら本望だし、俺とお前がともにある限り俺達が死ぬこともない」
「だそうですよ? 翻訳すると『俺がお前を守る。だからいつまでも一緒にいてくれ』ですって。やだもぉ、底辺のゴミクズ同士で反吐が出る馴れ合いしちゃって。きんもーっ☆」
「お前の希望は知らんが、俺はお前と馴れ合った覚えはない。用件だけ話して消えろ」
「こんのクソガキが……随分と口が回るようになったじゃあないですか、ええ? ボロッボロで死にかけだった頃みたいにもっとオドオドしてれば、まだ可愛げがあったものを」
ベトゥは思わぬドゥンの反撃に面食らいながらも、任務の概要を説明した。
「なるほど。この前のPLISMは、そもそも武力を行使すること自体が困難だった。それを思えば、そこまでの難易度でもない」
「やとええけどな」
ミュルはなおも不安げだったが、ドゥンはミュルを手に乗せて融合する。
ユニオンは普段通りの姿で玄関扉を開こうとしたところで、かぶりを振った。
「この姿が逆に浮くとは。本当に、妙な世界だ」
白の仮面と黒のローブを身に纏うと、一住民と化したユニオンは民家を後にした。
× × ×
散策がてらユニオンは駅周辺まで足を運んだ。
高さを競い合うように乱立する高層ビルやタワーマンション。薄汚い雑居ビルに詰め込まれた居酒屋や医院。通りに面する一階にはコンビニやレストランが軒を連ねている。
建造物はやはり現実に酷似していたが、いずれも人影がなかった。
片側三車線の広々とした車道に車両はなく、代わりにお揃いの白仮面と黒装束を身に纏った住民達の姿があった。
彼等の行動もまちまちで、寄り集まって井戸端会議に耽る者に、武器を持って殴り合う者。床に延々と同じ落書きを続ける者から、下半身を露出して用を足す者までいた。
一見する限りおよそ統一性というものがないが、剣呑な空気が漂っていることは確かだった。
「なかなか混沌とした世界ですね……」
ユニオンは、無言で立ち尽くしていた一人の住民に話しかける。彼のようにただその場に存在するだけの者も少なくなかった。
「ここは初めてか? 力抜けよ」
無機質だが、どこか嘲るような調子で男は語る。
「じゃあまず、名前を教えてくれるかな?」
「ココでそれを聞くかよ。全ての住民は皆等しく名無し。その日限りの仮名はあるが、それすら日を跨げばリセット。仮想世界における肉体の再構築なんて話じゃなく、明日には正真正銘完全な別人。それが写像世界のルールだろうが。そんでも名乗れば、今日の俺はSq=いWだ」
「じゃあいWさんと呼ばせてもらおう。いWさん、君はなぜこの世界を?」
「あ? んなもんどうでもいいだろ。自由だからだよ。めんどくせえ馴れ合いも問われる責任もねえ。言いたい放題やりたい放題。連中見てれば分かんだろ」
いWが指を差した先では、今しがたまで談笑していた者達が、殴り合いの喧嘩を始めていた。
そのすぐ脇では、武器を携えて争っていた者達の一方が糞尿をぶち撒けて退散し、もう一方は糞にまみれながらも左拳を胸に当てるように翳して勝ち誇っている。地面に落書きをしていた者は、壊れた機械のように一心不乱に同じ文字を書き殴っていた。
「なるほど、まさしく無法地帯だ。仮想世界に来てまで殴り合いか。こんなことしてて楽しい?」
「当たり前だろ。俺達は皆、好きでやってるんだからな。それにストリートファイトも楽しいが、何よりも最高に面白い活動があるし。てめぇの方こそ、写像世界の中でもわざわざフュンフを選んだってことは、やっぱ好きなんだろ? 宗教」
「えっ、何それは……?」
ユニオンが困惑の表情を浮かべると、いWは「いいよ、来いよ」と手を引っ張っていった。




