第38話 葛藤
少年は、分からなかった。
重要なのはもたらした結果であり、それに至る経緯も動機もどうでもいい。
この仮想世界は間違っている。ならば破壊すべきであり、そのためのいかなる行動も合理的である。
ゆえに、憎悪のままに仮想世界で殺戮の限りを尽くせば良い。
その大前提が今、いよいよ致命的に揺らいでいた。
別に正しくありたいなどと願ったワケではない。
正しいことを成してきたなどと、思い上がっていたワケでもない。
衝動のまま、憎悪のまま。
この身が死に絶えるまで、一人でも多くの人間を斬り殺す。
自身を突き動かしてきた絶対の原動力が、疑問を呈していた。
彼はまさしく、敵に刃を突き立てることで辛うじて立っている瀕死の戦士だった。
憎しみのみが彼を生かし、支えを失えば自立すらも儘ならない。
畢竟、形式がやや異なるというだけで、彼もまた世界に依存して生きていた。
誰からも拒まれ、何者にもなれなかった不適合者。
自身を破壊のための兵器と定義し、その存在意義に従って生きてきた。
しかし破壊そのものの是非を疑えば、彼は再び何者でもなくなってしまう。
少年は、分からなかった。
少年は確かに、NPCであるKを殺すことに抵抗を感じた。
NPCは人間ではない。発達した技術により人間同様の知性や感情を備えていようとも、法的に社会的に人間とは定義されない。だから殺してもいい。
だが少年が感じたのは、確かに人間を殺すことへの抵抗だった。
作られた人格を殺すことが悪ならば、交代人格を殺すこともまた悪なのではないか?
交代人格――エインヘリャルの元人格に代わり、あらゆる苦痛を引き受けるために生まれた疑似人格。元人格のような脆弱さはなく、あらゆるストレスと苦痛に順応する完全性を獲得した戦士達。
仮に元人格が現実世界への復帰を決断し、あらゆる絶望を背負って生きていくとして、肉体を剥奪される交代人格はどうなる?
自らが望んだわけでもなくこの世界に産み落とされ、世界の勝手な都合で不要と断じられ抹殺される。それは、仮想世界におけるNPCの殺害と何も変わらない。
それどころか、まさしく自分とミュルが突き付けられた理不尽そのものではないか!
問題はそれだけにとどまらない。
少年にとって、殺人自体は躊躇の対象ではなかった。実際、仮想世界から拒絶されたあの日にミュルと出会わなかったならば、自殺ついでに現実で大量殺人を犯していたかもしれない。
相棒が、殺人だけは許さないと言った。
だからその言葉に従った。それだけの話だった。
別に、大罪を自重するためのエクスキューズが必要だったワケではない。
この世界でただ一人、自分と同じように社会から拒絶され、自分と手を取り合うことになった同志。その彼女を裏切ることはできない。
なぜなら俺は、俺を騙して利用してきた連中とは違う。
俺を、散々弄んだ挙げ句に裏切った連中とも違う。
俺は――俺を一人にしたこの世界とは違う。
ゆえに俺は、相棒を裏切らない。なれば不殺生も絶対のルールとしよう。
少年は、そうして己が定めたルールに従っていたに過ぎなかった。
だが、今や殺人そのものへの抵抗がはっきりと芽生えていた。それは自らを破壊兵器と定義した少年にとって重篤な自己同一性の危機であり、兵器にとって致命的欠損だった。
戦場において、用を成さなくなった兵器が末路。そんなものは、考えるまでもない。
「くっ……!」
持病の片頭痛が少年を襲う。蹲って頭を抱えたまま静止し、やがてよろよろと立ち上がった。
瓶から錠剤を取り出し、紙コップに注いだ水を呷って一気に流し込んだ。
少年はかぶりを振り、遠い街並みを窓から見下ろす。魂を売ったゾンビ達が、今日も元気に蠢いていた。
相棒が眠る携帯端末に手を伸ばしかけ――すっと手を戻す。
「別に、何も変わりはしない。俺はただ――全てを破壊するだけだ」




