第35話 地獄絵図
アイドル達が聖域、ブロード館。愛らしい歌声が轟き、明るい熱狂に包まれるべき空間。
だがそこに歌はなく、醜悪な殺し合いの狂騒だけが充満した。
会場に活気をもたらす特別な能力を持った穂月も、どういうワケか逆の効果をもたらしたことに絶望し、マイクを手に取ることができない。
共通の敵は現れない。彼等の存在意義は、会場が盛り上がった際の余興である。外敵の乱入が致命傷になるほど荒れた状況では発生するはずもない。協力してエネミーを斃すための歌や魔法や戦闘兵器は、PLISM住民という群体が自らの肉を食って自壊するために行使された。
彼等の罪を告白した新人プロデューサーは、忽然とステージから姿を消していた。
目前の敵をぶち殺す。それしか考えられなくなった住民達は、誰も気付かない。
いつの間にか戦場に混ざっていた、黒の軍服に朱いサーベルを携えた白仮面の存在に。
入り乱れる群衆を次から次へ斬り伏せていく、快刀乱麻の殺戮劇。
軍服の男が被る白くのっぺりとした表情の仮面は、佐久理の代理として先刻ステージに上がったアイドルと全く同じものだったが、そんな些事を気にかける者などいようはずもなかった。
まして単なる物体に過ぎぬ朱いセンターマイクが同時期に消えたことなど、知る由もない。
男の異常さが明らかになる頃には会場に夥しい数の屍が転がり、繰り広げられる惨劇を止められなかった天井穂月は悲嘆に暮れた。
「あなた……佐久理の代理の……」
「よく覚えてたな。PCはお前以外全員始末したが、ついぞ誰も気付かなかったというのに」
「まさか……あなたが……あなたが全て仕組んだというの……?」
「ほう? なぜそう考える?」
「だって……こんなの絶対おかしい! ここはPLISM、皆が幸せになれる愛と平和のステージだよ⁉ 誰か、物凄い悪意を持った人が、嫌がらせでとんでもない意地悪をした。そうじゃなかったら、こんなことになるわけないもん……」
穂月は涙と鼻水で端正な顔をグシャグシャに歪めながら叫んだ。
その表情には、怒りとも悲しみとも悔しさともつかぬ、やりきれない激情が滲んでいた。
「随分と人聞きが悪いことを言うな? 何が愛と平和の世界か、聞いて呆れる。俺はただ軽く背中を押しただけだ。たったそれだけでこのザマ。それがこの世界の真実だろう?」
「何が『たったそれだけ』よ! お前みたいな外道が佐久理にあんな酷いことしなければ……!」
「俺があの女をバラさなかったら、このスレッドは平和だったと? 少し突いただけで容易く疑心暗鬼に陥り、果ては語るに落ちて自業自得で殺し合うクズ共が? いいか、誤解するな。出る杭を許さず、くだらない同調圧力をかけ合う窮屈な世界だったこと。プロデューサーやアイドルが、哀れなファンを騙して恋愛どころかセックスや不倫に狂った穴兄弟竿姉妹だったこと。ファンが、少し不快指数を上げただけでくだらない喧嘩を始めて、狂信してたアイドルに掌返して石を投げる連中だったこと。これらは全て、俺の存在とは何も関係ない、この世界本来の姿だ」
「それでも……!」
穂月はワナワナと口を震わせるばかりで、続く言葉が紡がれることはない。
男の言葉を認めてはならない、その覚悟だけが短い否定に滲んでいた。
「それに、お前だってこの惨劇を引き起こした一端だろう? いや、実にすばらしい歌だったよ。お前のエクセレントな不協和音のおかげで、会場の空気は狙いどおり最悪になってくれた」
「おい、ドゥン」
ミュルが小声で諫め、ドゥンがチッと舌を打つ。
だが時すでに遅く、穂月はドゥンの言葉から真相を察して息を呑んでいた。
「まさかあのマイクが……。ってことは、私の歌がおかしくなっちゃったワケじゃない……⁉」
「気付くのがもう少し早かったら、ご自慢の洗脳ソングで紛争を鎮圧できたかもな」
「ううん、今からでもできることはあるよ。私はお前を絶対に許さない。私が、私の歌が――お前を斃す!」
穂月は涙を拭うと、マイクを手に取り出した。
天使の歌声は嗚咽交じりで、アイドルとしてもアーティストとしても完成された彼女本来のそれには程遠い。だが、なればこそ情に訴える底知れない破壊力があった。
会場全体を見ても、生き残りは既に当初の一割にも遠く及ばない。
彼等は死体の山から身体を起こすと、とぎょろりと見開かれた瞳孔に野獣のごとき眼光を宿す。充溢する生命力は、陽炎を帯びていると錯覚する程に激烈だった。満身創痍だった肉体はすっかり癒え、負傷どころか衣服の損傷までもが復元されている。
その住民達が、息を合わせたかの如くドゥンへと一斉に襲い掛かった。
「数が多いな」
ドゥンは呟きながら正面から襲い掛かる男の首を刎ねて背後に回り込み、後方から放たれた光弾の盾にした。
真後ろで吹き飛んだ男の左腕を右手でちぎり取り、右方から男が繰り出すレイピアを受ける。
「……っ!」
遺体の左腕はレイピアの勢いを殺したものの、無残に両断された。仲間の死体を斬らされた男が、悪辣を極めた立ち回りに激怒して身を震わせる。
だがドゥンはむしろ好都合とばかり、手頃な大きさで手元に残った左腕の肘から上を、左から襲い掛かる女の顔面に投げつけた。
それと同時、渾身の一撃を防がれて無防備となった右の男の首を、左手のサーベルで刎ねる。
左の女は予期せぬ飛び道具に意表を突かれ、後退ろうと重心を後方に傾かせる。
だが軍服の暗殺者にとっては、その隙だけでも十分だった。
離れゆく女の心臓に深々とサーベルを貫通させ、引き抜く抵抗で引き寄せられる女の顔を踏み台に高く跳躍する。
そして襲い掛かる群衆の包囲から離脱すると、ステージ上に着地した。
「おのれ……なんと卑劣な……」
群衆の中で、誰かの声がドゥンを罵る。誰が発したものかは分からないが、それは恐らく群衆の総意だったことだろう。
ドゥンが襲撃の輪から離脱したのも束の間、住民達は再び包囲網を形成して八方から襲い掛かる。その中には、今しがた心臓を貫かれたばかりの女もいた。
「首を落とさない限りは即時再生か……。墓場でネクロマンサー相手に殺し合ってる気分だ」
「おいドゥン、笑っとる場合ちゃうぞ。この人数はガチであかん。消耗戦は流石に分が悪い」
「ああ、言われるまでもない――〈形態第七番〉」
ドゥンはサーベルをワイヤーに変質させると、天幕に射出して宙を舞った。
彼が包囲網から離脱したのは、単に陣形を仕切り直すのみならず高位置の標的を射程に収めるのが目的だった。
「へっ、馬鹿が。自分から的になるかよ」
光弾や光学銃など、遠距離攻撃手段を持つ者達が集中砲火を浴びせようと得物を構える。
「〈形態第一番〉」
だが彼等が攻撃を繰り出すよりも早く、ミュルを再度サーベルに戻す。
突然糸が千切れた振り子のように、ドゥンの肉体はステージとは逆方向に放り出される。
「え――」
それが最後の断末魔だった。
住民達に無限の癒しと強化をもたらす活力の源、数刻前まで観客席前列だった瓦礫の山頂で絶唱していた天井穂月は、美しい歌声を響かせる喉を無残に切断され、一瞬で絶命した。
目の前の出来事が信じられないとばかり、ステージ方向から残党が押し寄せた。
だが穂月の歌による加護も失った死に損ない達は既にドゥンの敵ではなく、瞬く間に斬り伏せて二十人余りを殲滅した。
サーベルを鞘に納め、ドゥンは神器ギャラルホルンA10が眠るステージへ駆け上がる。位置は昨日佐久理を誘き出して襲った後に確認済みだったため、迷うこともなかった。
既にPCは皆殺しにした。あとはいつもどおりにミュルを突き刺して神器を回収するだけ。暗殺者達は任務完了を確信していたに違いなかった。そこへ――
「待って!」




