第34話 臨界
MCが必死で場を繋いだ後、依然険悪なムードのステージに上がったのは穂月だった。
幾分ましになったものの、キュートでポップなアイドルの歌を披露できる空気ではない。不穏な空気を打破するため、本来のスケジュールを崩しての緊急登板となった。
〝やさしい世界〟――それは彼女の代名詞とも言えるPLISMで最も人気のバラード曲であり、彼女を今の地位に押し上げた珠玉の傑作だ。
イントロが始まり、至高の女神が癒しの歌声を響かせる。会場は彼女の歌に全身を委ね――
「は?」
皆が皆、人という人が怪訝そうに顔を顰める。
透き通るように凛とした声質に、伸びがある大胆かつ繊細な歌唱力。西洋人形のように整った顔立ちや、起伏がやや乏しい反面儚さと愛らしさに満ちた肉体は語るに及ばない。
穂月らしさを遺憾なく発揮した、いつもどおりに最高のパフォーマンスのはずだった。
だが一体どういうわけか、歌そのものに心を癒す力がない。
それどころか、会場の様子からして逆の効果が働いていることは明白だった。情念を込めて痛切にサビを謳い上げる穂月の努力も虚しく、会場には苛立ちが満ちる一方だった。
彼女が歌を終える頃には、罵声が木霊し殴り合いまで発生する最悪の惨状に陥っていた。
「そんな……なんで……」
穂月は滂沱の涙を流し、朱いセンターマイクを握りしめて周囲を見渡す。憎悪は観客席のみにとどまらず、舞台袖のアイドルやプロデューサーまでもが不機嫌そうに顔を顰めている。
だが彼等なりのプロ意識によるものか、人質に取られた佐久理のためか。
観客席のような暴動を起こす者はなく、ただ感情を鎮めるように歯を食い縛っていた。
そして――彼等の痛ましい努力を嘲笑うように、それは突然照らし出された。
「きゃああ!」
穂月が金切り声で絶叫する。彼女の後を追うように会場中から悲鳴が響き――視線は一点に集まっていた。
かつて一ツ木佐久理だったモノ。
その生首が、ステージ中空で幽鬼のように浮かび上がる。
瞳孔が見開かれ、ハリのあった肌は土気色に醜くむくんでいる。次の瞬間には、さらに胴体と四肢。無残に六分割された彼女の遺体が照らし出され、ステージに落下してグチャリと潰れて血肉が飛び散る。
遺体は浮かんでいたわけではない。何者かが空高く放り投げ、あまりの凄惨さに時間が止まって見えたに過ぎない。
群衆がその状況を理解して半狂乱に陥る中、一人の新人プロデューサーがマイクを片手にステージに立つ。
「さて、結論から申しまして、一ツ木佐久理をこの姿に解体したのは、私でございます」
突如告げられる大胆な自供に、会場の何人も声を上げることは叶わない。
彼は周囲を一瞥して満足すると、言葉を続けた。
「しかし、これだけは皆さまにお伝えしておかねばならない。これは、彼女自身が望んだことだったのです。彼女は日々、罪悪感に追い詰められていた。自責の念に苦しんでいた。そして神に懺悔をするかの如く、私に言ったのです。人として最低な自分に罰を与えてほしい。無残に殺されることで罪を贖いたいと。一体何が彼女をそこまで追い詰めたか? 皆さんお分かりですか? 事務所、仲間やプロデューサー達、そして何よりファンの皆様への最悪の裏切り。すなわち――――不倫です!」
「はあああああ⁉」
一際強調されたその二文字に、会場は驚愕と怒りに包まれる。
たかが不倫。人命を奪う行為に比べれば、現実世界での処罰の重さは歴然としている。
だが殺人や死体といった概念は、人間の生死とは無縁の世界に生きる彼等にとってあまりにも実感に乏しいものだった。その点、恋愛絡みのゴシップは実に効果的である。不倫という裏切りは、現実的であればこそ強烈な情動を喚起したようだった。
激怒と猜疑に混沌を極める会場を一喝し、プロデューサーは言葉を続ける。
「さて、彼女を望みどおりに殺したのは私です。この首を斬り落とす覚悟は既にできています。ですが――そもそもの元凶、彼女に希死念慮を抱かせるほど追い詰めた罪深きプロデューサー達! アイドルに手を出すばかりか、誰が父親かも分からない子供を孕ませた性欲に塗れし卑劣な猿共! 彼等を許して良いものでしょうか⁉」
「ふざけんじゃねえぞコラ!」「そいつは誰なんだよ!」「さくりんを穢した糞野郎は俺がぶっ殺す」
混沌としていた観客席は、いつの間にやら怒りの感情に統合されていく。
毅然とした態度を維持していた運営サイドも、もはや平静は吹き飛んだ。
アイドル達は憤懣やる方なくプロデューサー達を睨み付け、プロデューサー達は自己弁護と犯人探しで躍起になっている。
彼等を繋ぎ止めていた人質という枷は、惨殺という最悪の形で外れた。そればかりか、自分達の中に諸悪の根源が紛れている。
明確な根拠など、どこにも示されていない。冷静に思考すればその事実に気付けただろう。
だが元々不信感が渦巻いていた状況に、佐久理の惨殺遺体という衝撃。そこにトドメとばかり、身内の疑惑が持ち上がった。ひとたび集団ヒステリーが巻き起これば、際限なく自壊するのはもはや自明の理ですらあった。
「あくまで自首はせず、保身に走りますか? 残念です。せめて、彼女の死に報いてくださることを期待したのに。そうは思いませんか、板橋P、春日P、奈須P?」
「ハァ⁉」「わ、私は何も関係ないぞ!」「違います、誤解です!」
犯人として名指しされたにも等しい三人は血相を変えて弁解するが、誰も聞く耳を持たない。
激情に駆られた者達にとっては、矛先さえ明確になれば真実なんてどうでも良かった。
疑念を向けられた者達にとっては、自身の保身が最重要で仲間に心を砕く余裕などなかった。
「ちょっと、奈須P? どういうこと? ワタシが告白したとき、アイドルとプロデューサーは付き合えないからって断ったよね……?」
「プロデューサー! そんな嘘やん……ウチ、完全にやるコトやってもうたのに……」
「未奈さん⁉ 春日Pは私のことを彼女って言ってたんですけど⁉ ってことは、三股……⁉」
アイドルは形振り構わずプロデューサーを問い質し、露見した真実が新たな波紋を呼ぶ。
彼等彼女等にとって、最も重要なのは恋慕を深める想い人。消耗品の愛を食らうためのファンなぞ、事ここに至ってはどうでもいい。彼女達にとって自分達など眼中にないらしい。
それは下衆の勘繰りだったかもしれないし、残酷なことに真実だったかもしれない。
正誤が混ざり合っているというのが、実際のところだろう。
だが真偽などそもそも重要ではなかった。
そうした極端な思考に陥った一部の観客。その存在こそが問題だった。
彼等はついに矛先をステージに向けた。ファンの誰かがサイリウムから光弾を放ち、それがアイドルの一人の艶めかしい太腿を掠め、擦過痕を残す。
「ちょっと何してくれてんのよ! キモオタの分際でふざけんじゃないっつうの!」
その言葉が最後の引き鉄だった。
観客、アイドル、プロデューサー。一切の分け隔てなく、誰しもが憎悪に任せて互いを殺し合う紛争状態。
血で血を洗う凄惨な地獄が、今ここに顕現した。




