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第33話 不協和音

 一連の騒動から一夜が明けた翌日。ブロード館には、PLISMの全住民が集結していた。


 犯人が要求した最高のライブ。それが一体何を意味するかは定かではない。だがスタッフ皆が知恵を絞って最高のライブを定義し、その実現のために全住民が集合した。


 観客席はバックステージを除く全区画がほぼ満席状態まで埋まり、スタッフは皆がステージ裏で待機している。


 かくして、待望の晴れ舞台は幕を開けた。


「みんなー! 今日は私達のために集まってくれてありがとー!」

 天井穂月が天真爛漫な愛らしい笑顔を振り撒く――だが、会場の反応は混沌としていた。


 彼女は元より、PLISMで一番人気を誇るアイドルだった。彼女自身がいくら否定したところで、毎日の投票が示す信仰力がその位置付けを裏付けていた。

 その彼女がついに、PLISM全土の過半数を占める信仰力を獲得し、女神候補者となってこの開かずの間を解放した。


 それは穂月がナンバーワンという自らの地位を誇示したに等しく、同時に他のアイドルやそのファンに対する裏切りをも意味していた。そして何より、自ら追放を望んでいるとは考えられぬ以上、それは女神――この世界を揺るがす危うい存在に増長せんとしているということと同義だった。


 その上彼女に次ぐ二番手と認知されているアイドル、一ツ木佐久理の身柄は未だ知れない。


 このブロード館で素晴らしいライブを実現すれば、彼女を解放する――犯行声明に従ってライブに全力投球することが現状最適とはいえ、皆の心中は決して穏やかではなかった。


 なれば、穂月のファンを中心に多くの歓声が上がる中に、どよめきやブーイングが混ざるのもまた必定だった。


 それでも、いざ最初の楽曲が始まればアイドル達は洗練された歌とダンスを披露し、観客達はそれに負けじとサイリウムを振り、練度の高い合いの手を入れる。

 会場全体が一体となり、ライブという一つの幻想世界が構築される。不穏の影に侵された最中にあってなお、その世界は愛に満ちていた。


 ライブの開始から一時間が経過し、幕間のトークも二度挟んで既に六つの楽曲が披露された。


 会場がすっかり温まったところで披露される次のナンバー〝我が栄光〟は、本来ならば女真帝国のセンター佐久理がソロで歌い上げる楽曲だ。

 彼女の穴をどう埋めるのかとざわめく会場で、仮面を被った謎のアイドルがステージに立つ。


 佐久理のプロデューサーを務める板橋Pが認めた代打であり、彼と親しい間柄のとある新人プロデューサーが熱烈に推薦した期待の新人でもあった。板橋Pは、佐久理の誘拐で既に呆然自失の体にある。正常な判断能力は既に失われていたが、それでも信頼する同僚Pの熱意に応えて首を縦に振ることは辛うじてできた。


 〝我が栄光〟のイントロが始まると、佐久理が歌うときと全く同様に、ユニットを組んでいるアイドル達がバックダンサーとして踊り始める。


 仮面アイドルの歌は、存外にハイクオリティだった。中性的な声質はPLISMでの珍しさゆえに刺激的であり、クールな歌い口ながらも観客の情動に訴える凄みがあった。


 最初は不安げだった観客席も、彼女を佐久理の代替として認めるように熱いコールを送った。


 一見する限りは素晴らしいライブであり、だからこそ――誰も異変に気が付かない。


 ステージに送られる合いの手やコールは、佐久理の場合と全く同じはずだったが、朱いマイクから拡散される歌声は、楽曲が後半に進むにつれ名状しがたき不吉さを帯びていた。


「ってえなあ! テメェわざと小突いただろ!」


 イライラが臨界点に達した怒鳴り声。それが観客席の何処から漏れ出たものだったかは判然としない。だが会場に満ちる負の感情は彼個人のモノよりむしろ会場の代表に等しく、彼が黙っていたところで、他の誰かが同様の反応を示したことだろう。


 舞台袖に控えているアイドルやプロデューサー達もようやく異変に気付き始めるが、どうすることもできない。なぜなら会場を漂う不穏な空気自体は察知できても、原因が不明だった。


 それに佐久理を解放する条件は、ライブを成功させることだ。成功などという曖昧な表現が一体どう定義されるのかは分からない。だが事情も分からずにアイドルの歌を強引に打ち切るという興醒めな展開は、確実にマイナスだろう。


 会場に満ちる負の感情は、やがて積乱雲に生じる稲光のように連鎖的に暴発していく。

 サイリウムがぶつかっただの、鼻水をかまずに延々と啜る音が気持ち悪いだの。

 不快に思うことはあれど本来ならば口論にすらならない、そんな些細な原因で観客席では掴み合いすらも勃発し出していた。


 愛と平和の楽園PLISM。このスレッドにおいて、攻撃的行為はシステム上許されない。

 だが共通のエネミー――突然どこかからやって来る謎の害虫を駆逐するため、ライブという特殊な局面においてのみ、戦闘は可能となり怪我や最悪の場合死亡というリスクを負う。


 仮想世界の例に漏れず、死人が出たところで本人が希望すれば健康体で翌日には復活する。だが、プログラムで構築された肉体がいくら健康であろうとも、記憶と過去は覆らない。禍根を残せば、それは翌日以降も世界を苛み続ける。


 仮面のアイドルの歌が終わると、会場に充満する憎悪が少しだけ和らいだような気配が漂う。


 不協和音の権化が退場すると、MCが底抜けに明るく軽快な冗談を飛ばしてトークへと移行する。本来は立て続けに別のアイドルが歌う予定だったが、到底そんな空気ではない。

 プロデューサー陣の緊急会議が導き出した苦肉の策だった。


「ちょっとアンタ! 一体何をしたの! っていうかそもそも何者なワケ⁉ ウチらも自分のことでいっぱいいっぱいで流されちゃったけど、何でぽっと出のよく分かんない奴が佐久理の代役やってんのよ!」


 仮面のアイドルが降壇するや否や、バックダンサーの一人がその手首を掴む。

 華奢な細腕ながら、鬼の形相と相俟ってギチギチと音が聴こえそうな程強く握られていた。


「…………ト、トイレ……!」


 仮面のアイドルがそう言うと、彼女ははっと腕を振りほどく。


 仮面に隠された素性は依然として不明。だが小刻みに震える体と絞り出されるように発せられた声から客観的に考えれば、かなり切羽詰まっているらしい。彼女としても、そこを無理矢理拘束するのは躊躇いがあったようだ。


「さっさと行きなさいよ! 終わったらすぐ戻って来て、私達に説明してもらうんだから!」


 彼女の言葉に無言で頷くと、仮面のアイドルはトイレがある方角の通用口へ駆け出した。

 周囲のアイドルやプロデューサーから向けられる心配や猜疑。その視線から逃れるように。


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