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第30話 開かずの館

「これは、佐久理さん。本日は体調不良でイベントを欠席されたと伺いましたが、お大事ないですか?」


 田中Pが事務所の私室に戻ると、人気アイドル一ツ木佐久理の姿があった。昨日から一転し、アイドル然とした華々しい存在感は影を潜めている。

 スキニーパンツにチャックを締めたブカブカのパーカーを着込み、メイクもほぼしていない。部屋着同然のラフなスタイルだった。


「まあ、熱とかはないよ。けど正直気持ちの整理が付いてないっていうか。色々考える余裕もなくて、何もかもから逃げるみたいに来ちゃった感じだから、元気じゃあないかも」


 弱った声には相手を牽制するようなハリもなく、言葉どおり彼女の憔悴は見て取れた。


「それはお労しい。ここはしばらく解放しておきます。佐久理さんの気が済むまで、お休みください。何かあれば、お気軽におっしゃってください。では」

「待って」


 背中を向けた田中Pを、佐久理が呼び止める。そして田中Pが振り返る間もなく、背後からその腕を抱きとめた。


「できれば、もうちょっとここにいてくれない?」

「お望みとあらば」


 佐久理に促されるまま、田中Pはソファに座り込む。

 回答もアドバイスも要らない。ただ自分の話を聞いてほしい。力なくそう語った彼女の要求どおりに、黙って耳を傾けた。


「――それで、私もう居ても立ってもいられなくて」


 昨夜の打ち合わせの後、彼女は穂月と二人でカラオケに行った。無論ただ歌を楽しむためだけではなく、二人の確執を取り払うために。

 だが、その試みは脆くも失敗に終わった。全てを打ち明けた後に、佐久理が取り乱して逃走――そんな最悪に気まずい幕切れで。


 訥々と語る彼女はしきりに涙を流して顔を手で覆ったが、あらましを語り終える頃には幾分すっきりとした表情に戻っていた。


「辛い過去。己の弱さ。いずれも向き合うには大変な勇気が必要な難題です。ですが、佐久理さんは果敢にもそれに立ち向かった。その覚悟に、私は敬意を表します」

 田中Pは、普段どおりの淡々とした口ぶりで、ありのままの彼女を慰めた。


「田中Pはアタシを責めないの? 昨日のことだけじゃない。だってアタシは……アタシが、ズリズリ――メンバーの山桐やまぎりゆずりはを死刑に追い込んだんだよ⁉」


 田中Pに促されるがまま、佐久理は全てを詳細に語っていた。昨日の一件のみならず、発端となったメンバー追放の件までも。


「貴女がどうしてもそれを望むというなら、応じないでもありません。ですが、それは貴女一人が背負うべき十字架だとも思えない。人は誰しも失敗をし、罪を犯すものですから。事実、その当時の悲劇についても、佐久理さん以外に関与していた方々がいらっしゃったはずです」


「そんなの関係ないよ。誰が何を言ったとか、私以外にも悪いヤツはいたとか。私が動かなければ、あんなことにはならなかった。私が本気で止めようとしてたら、きっと私だけはアイツが消されるのを止められた。でも、そうしなかった。それだけが私にとっての真実なんだよ」

 自嘲と諦観に満ちた懺悔には、普段の高圧的な振舞いの影すらなかった。


「なぜ、私に全てを打ち明けてくださったのですか?」

「なんでだろ? なんかすごく話しやすいんだよね、田中Pって。低反発マットみたいな。ちゃんと反応はしてくれるけど、良い意味であっさりしてる。他人を陥れることに悦びを感じる大多数の人間とも違うし、板橋Pとかファンみたいに私をやらしい目で見るわけでもない」


「彼等のことが嫌いなのですか?」

「まさか。私のことを好きな人達は、基本皆好きだよ。人間ってそういうもんじゃない?」


「どうでしょう? 正直私には分かりかねます」

「かもね。田中Pってさ、人間嫌いでしょ?」


「なぜそう思われるのですか?」

「うーん、わかんない。でも、なんかものすごく冷めてるっていうか。全てに愛想を尽かしてて、もう何にも期待してないみたいな。そんな感じがする」


「なるほど、貴重なご意見としてありがたく頂戴いたします」

 穏やかな笑みを浮かべ、田中Pはただそれだけ回答した。


「田中P、今日ってこれから暇?」

「業務時間内ですので、ただ遊び呆けるというワケにはいきません。ですが個人の裁量が大きく融通は利くので、仕事に繋がることでしたら何でも」

「じゃあ、私と一緒にいることは?」


「内容によるでしょうね。ええ、実は私もちょうど似たようなことを考えていたところです。佐久理さん、貴女は贖罪を求めておいでと先程伺いました。そこで提案なのですが――私の仕事に協力することでそれを実現してみる、というのはいかがでしょう?」


 × × ×


 ほのかに潮の香りが漂う、陸の最果て。

 約束の地に建てられた神殿とでも形容するべき、壮観な巨大建造物だった。


 田中Pが送迎車を回し、二人は愛坂プロの敷地から遥か遠い臨海部へ赴いていた。


「これがブロード館ですか。なるほど、画像では拝見しておりましたが、間近で見るとやはり迫力が違う」

「PLISMで一番すごい、アイドル皆が憧れる聖地だからね。それで本当にこんなことでいいワケ?」


 佐久理はずいと田中Pの真横に寄り、訝しげに下から彼の顔を覗き込む。


「ええ。ユニットのメンバーだった山桐楪さんは、紆余曲折の末に残念ながらPLISMを追放されてしまった。その事実は変えようがありません。ですが、皆さんはその経験を通してこのブロード館という夢舞台に立った。そうですね?」


「まあ一応は……。でも、アイツが候補者に選出されてからは基本ギスギスしてて嫌な感じだったし、私達のライブも正直微妙だったよ。一回やっただけで、あとは数日後の信任投票の結果開示っていう公開処刑で使っただけだったし」


「ええ、それでも構いません。ここで貴女が経験されたこと、このブロード館という舞台。それらを駆け出しPである私にご教示いただきたい。騒動の当事者であった貴女からであれば、私にとって大変な糧となることでしょう。過去は変わらない。でもそれを未来へと繋げられるというなら、これ以上の贖罪はない。そうは思いませんか?」


「そう言われたら、そんな気もしてくるけどさ。でも中には入れないから、外回るだけだよ?」


「候補者が選出されないうちは、未開放エリア扱いとなっていますからね。でも実際本当に入れないものなんでしょうか?」

「そりゃそうでしょ。だってそういう仕組みなんだし」


「物は試しと言いますよ? 警備の方がうっかりしていたり、実は途中までは入れるようになっていたり。ひょっとしたら、そんなこともあるかもしれません」

「それ、色々とアウトなんじゃ……」

「規約には接触しないので大丈夫ですよ。なに、ちょっとした冒険心です」


 佐久理は不安に表情を曇らせていたが、田中Pは彼女を宥めるように微笑んで先へ進んだ。


 一帯には一切の人影がなく、閑散としている。一見して内部に灯る照明もなく、閉館していることは明らかだった。だが田中Pの足が止まることはなく、ついに自動ドアの正面まで辿り着く。


「これマジ?」


 佐久理が驚きの声を上げる。

 田中Pが一歩進んで手を翳すと、果たして自動ドアは平常運転と言わんばかりに開いた。


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