第20話 ジレンマ
ユニオンの視界に映るのは今や霧に湿った褐色の地面だけであり、背後の様子は伺い知れない。
だが彼の肉体が傷付けられることはなく、苦しげな呻き声もやがて止んだ。
「何で……レイア……?」
「あなたの高潔な覚悟は痛い程よく分かりました。だからこそ――」
ケインの肉体がみるみる萎み、腐ってゆく。
ユニオンの腕をきつく締めあげていた右腕も、次第に力を失った。指先の黒ずみに始まり、五秒と要さず肩口から地面に落ちた。
「貴方の技能でしたか」
拘束を脱したユニオンはすぐさま二人から距離を取り、レイアがケインの背後からロッドを向けていた事実を理解する。
「これ以上、あなたの手は汚させません。あなたはいつも、私のことを守ってくれました。だからせめて、最後くらいは私があなたを助けたい。あとは私に任せて。彼を罰した後に私も後を追いますから、あなたは一足先に現実へ」
全身が腐食し、最早言葉を発することも儘ならない。そんな有様のケインを抱き上げ、レイアは優しく囁きかけた。
やがてケインの頭部がドロドロに融け出すと、彼女はそれを地面に安置して立ち上がった。
「さて、最後は少々特殊なスタイルとなりましたが――これで私が勝者です。さっさと私を、賢者の石のところへ案内していただけますね?」
異様にさっぱりとした口振りには、ケインに対する惜別など微塵も感じられない。
それどころか、液状化したケインの無残な遺体を睥睨して、恍惚の笑みを浮かべていた。
「ええ、まあ予定どおりではありますが……。いいでしょう。では貴方を」
「やった……やったわ! これで私が――仮想世界でも結局他のPC達に怯えてばかりだった私が、今度こそ――」
レイアは、勝利という結果に歓喜した。
技能を独占した自分に陶酔した。
自分だけが特別な世界を直観した。
理想の未来に思いを馳せる彼女にとって、今この瞬間は既に色褪せた過去だった。
自分に道案内をするために存在するだけの端役など、もはや眼中にない。
「ガハッ」
首が地面に落ちるよりも早く、両腕が肩から切断される。
ご都合主義の杖、あらゆるものを〝回復〟させる両掌、それらを操る本体。
どれか一つでも残せば、立ちどころに他の全てを復元しかねない。その四つのパーツが、同時に四方へ飛び散る。
まずは本体たる首から上のみとなった頭部。次いで左掌に右掌。首が取れても心臓や肺が残った胴体に、最後は持ち主を失ったロッド。
全てが一つずつ丁寧に斬り刻まれ、完全に原形を失う。
最も生存能力に長けた〈回復〉の技能を操りしカラスをして拒むことのできない、完全なる死亡だった。
「ええ、貴方を――お前を殺させてもらった。予定どおり、お前みたいな模範的住民が生き残ってくれて助かったよ。ケインは本当に危険な男だった。お前の仮面が本物だったなら、俺達はここで終わっていたかもしれない」
黒の軍服に白の仮面。携えた紅いサーベルは、レイアの生き血をふんだんに啜ってぬらぬらと淫靡に輝く。
ユニオンの代わりに現れた男は、全てが死に絶えた戦場跡で哄笑した。
「死体とお喋りしとる場合ちゃうで。理想的スケジュールで進んだから、待機ポイントA――要するにまさに今この場から東に三百メートルの地点に例の徘徊者は現れるンゴ」
「ああ、言われるまでもない。あとは予定どおりに神器を回収するだけで任務完了だ」
「あのさぁ……そういうとこやぞ、キミ。その手の余計なフラグは――」
ミュルが言葉を言い終えるより早く、ドゥンはこめかみに手をやった。
白い霧の彼方には、既に長大な横断幕じみた影が見えていた。幕はどこまでも伸び、ぐるりと一周繋がっている。明らかな包囲網だった。
影は次第に濃くなり、やがて人型だと視認できるようになる。ただ事ではないと一目で分かる規模の群衆が、ゆっくりと彼等の方角へと歩み寄って来ていた。
「どうする? 接敵前の現段階では切れるカードも複数あるが?」
「あの分やと交渉路線はきついやろなぁ。かといって強引に逃げて放置も危険やし」
「同感だ。もはや敵対はやむを得ない。分離形態のまま、打って出るぞ」
ドゥンはサーベルの柄にそっと手を置いた。
今や互いの姿がはっきりと見えるようになったところで、
《よう、探したぜ――糞仮面野郎!》
向かって正面を歩いていた男が語りかける。告げられた言葉は、直接ドゥンの耳に届いた。
「ほぉ? あの男が、あんな人間のやることとは思えぬ残忍な仕打ちを君に施した外道と?」
「ねえ、ボルグ? あのゴミクズ野郎相手なら何してもいいよね? 一発ぶん殴るくらいじゃ気が済まないよ僕」
「ああ、死なねぇ程度になら好きにしろ。いいか、殺すのは駄目だぞ? 野郎は例の賢者の石とやらについて拷問するために生きててもらわねえと困るからな?」
同胞の復讐に燃える面々は、当然ドゥンにも覚えがあった。ユニオンとして親交を深めた、クロン村の住民達である。
「お前は技能すら使えない状態で縛り付けておいたはずなんだがな?」
「ああ、〝もしもし〟とすら言えねえ以上俺もそう思ってたよ。でもどういうワケか、俺の言葉にすらなってねえ、みっともねえ呻き声を聞いてくれる奴等がいたんだよ。村総出で探し回って俺を助けに来てくれた仲間がな?」
ボルグは、共に包囲網を為す百人程の同胞達に目をやった。
「さて、どうしたものか……」
ドゥンは小声でミュルに囁きかける。
「ま、騙して有耶無耶にするんは流石に厳しいやろなぁ。そもそも世界を潰すまで監禁しっぱなしっちゅう前提やったからこそ、かなり大胆な行動に出とったワケで」
「なるほど、安定の皆殺しか」
回答など最初から分かっていたとばかりに、ドゥンはサーベルを抜いた。
それを開戦の合図と見るや、クロン村の住民達は一斉に襲い掛かってきた。
ドゥンもまた、弾かれるように駆け出す。
彼我の距離は、僅かに約三十メートル。
交錯には五秒とかからなかった。
先陣を切ってきたのは、血の気の多そうな鋭い眼をした大柄の青年だった。丸太のように太い腕には、人間の頭蓋骨くらいの大きさの岩が握られている。
それを砲丸のように渾身の力で放り投げるが、岩の方が重すぎた。
ゆるゆると緩慢な放物線で飛んでくる岩を、ドゥンは難なく避けた。
反動でたたらを踏んでいた青年に容赦なく刃を構え、一つ目の首を斬り落とした。
同朋が眼前で殺され、怨嗟の咆哮を上げながら他の住民達も次々に襲い掛かってきた。
対するドゥンはサーベルを縦横無尽に揮い、一人また一人と着実に始末する。
揮われる木の枝を難なくへし折り、服とすら呼べない布で覆われた臓を貫く。
白い霧に包まれた幻想の森が、瞬く間に凄惨極まる血溜の池へ変生していった。
一対百余りの合戦は、開始から三分と経たぬうちに無残な虐殺へと変貌した。
兵力差こそクロン村住民達の圧倒的優位だったが、武装と練度の差は絶望的だった。
「ちっ!」
逆袈裟に振るわれたサーベルが空を切る。手負いの住民が、すんでのところで刃を回避した。
戦局は一方的だったが、それでも住民軍が辛うじて全滅を免れていた。
それは彼等を指揮する存在がいたためだった。
「なるほど。一向に前へ出てこないと思えば、そういうことか」
ドゥンが白仮面を向けた先には、村で最初の犠牲者とも言うべき住民、ボルグがいた。一団の中でも最も強い憎悪と殺意に燃えているに違いない男は、自分自身を必死で押さえつけるように全身を握りしめ、涙を流してドゥンを睨んでいる。
隣では、彼を宥めるように肩を抱きながら、ブルタスが耳打ちをしていた。
ブルタスがボルグに助言し、ボルグが〈送信〉を最大限に生かせる通信兵兼指揮官として部隊を指揮する。そんなところだろうか。生来の性格につけ私怨につけ、真っ先にドゥンへ殴りかかりたかったであろうボルグこそ指揮官に適任であるという事実は、皮肉という他なかった。
住民達の過半数は既に死に絶え、残るは約三十人弱。しかも白兵戦に長けた人員から前線に出ていたため、残っているのは戦闘では役に立たない技能を持った者ばかりだった。ユニオンが最初にクロン村を訪れた際に会話した少年、ラウルの姿もある。
仮想世界では、外見上の筋量や体格は意味を持たない。そのため一見逞しい若い男も少なくなかったが、狼狽ぶりからして戦闘に自信がないのは明らかだった。
「あともう一押しか。思ったよりも楽だったな」
「そらそうよ。そういう仕様やしな? 仮想世界のNPCはPCがイキるために最初から〝負け組〟の雑魚として設定されとるんが基本や。特にここなんて、文明水準ほぼ原始人やし」
「最初から負け組か――」
そう言うと、ドゥンは堪え切れないとばかりにせせら笑った。
「ほんでもまあ、例外はあるけどな? それが良いか悪いかはともかくとして」
「例外? それは――ん? おい、アレは」
交戦中のクロン村住民達に気取られぬよう、ドゥンは声だけで尋ねる。
仮面の双眸が見つめる先には、一人の少女の姿がある。つい数秒前まで、そこには何も存在していなかった。無論、誰かがそこへ移動したわけでもない。
彼女は今この瞬間に、突然発生していた。
「せやな。座標から考えても、ベトゥの予想とぴったしや。あのコが例の徘徊者――ワイらが探しとった、ランダムワープする神器や!」




