第2話 任務開始
「おーい、起きとるか? 何やドゥン、眠いんか?」
華奢な肩に乗った小動物が、少年の耳元で囁く。
石造りの質素な内装の部屋には、机と椅子とベッドだけが設えられていた。
狭い宿の一室で、少年は押し込められるように座っている。
少年の背丈は平均的男性より一回り小さく、美しい銀色の髪は肩甲骨まで伸びている。比較的整った顔立ちだが、白蝋じみた素肌とドス黒い隈が病的な印象を醸していた。年の頃は十代半ばといったところか。痩身矮躯で喉仏は平坦、男とも女とも判じ難い容貌だった。
「ああ、悪いなミュル。いや、お前と出会ってから随分長いこと生きてきたもんだなと。そんな、くだらない感傷に浸ってただけだ」
ドゥン――この世界でドゥンケルハイトの名を使用する少年は、遠い目で笑う。
「おいおい頼むで? ワイらは一蓮托生の運命共同体。どっちかが気ぃ抜いてしくじれば、両方まとめて終了の儚い命やねんから」
小動物――ミュルはドゥンの肩から目の前のテーブルに飛び乗りて彼を睨むと、全身をコミカルに動かして憤慨する。
「ああそうだな、確かに俺達の命は簡単に消し飛ぶ。死んだところで翌日には蘇生されるという仮想世界の原則が、異物にだけは適用されない。だが――それに何の問題がある?」
「それはアレや。ええとその……何か世間では死ぬことは基本アカンって風潮やし?」
「よりによってお前が人間の世を語るとな? 人の手で設計された人工知能であるお前が」
「煽んなや。キミも大概やろ? 人間やのにコミュ障過ぎてろくに人間理解できてへんやんけ」
「否定はしない。ああ、そうとも。俺も社会不適合者だからな。処分されるはずだった二つのゴミ、それらを悪ふざけで合体させたら結合した。その結果、偶然生まれたのが俺達だ」
「け、結合って……女子に向かってなんて卑猥なことを……! ドゥンさんのえっち!」
「誰が女子だ! そのナリにその口調でどこに女らしい要素がある⁉」
「何や、そんなに女体が見たいんか? おっぱいか? ま○こか? これだから童貞は……」
「誰もそんな話してないだろうが!……ああ、だから違う! そのままの姿でいい!」
ミュルは器用に肩を竦めると、軟体動物のようにグネグネ身体をのたうたせて変形していく。
アメーバ状になった段階でようやくドゥンの制止に耳を傾け、ナマケモノとリスザルを混ぜたような珍獣の姿に戻る。
「もっと自分の気持ちに素直になってええんやで?」
ワルキューレに伝達される情報を自在に偽装し、容量の制限内で変幻自在に転身する。それは、彼女がこの仮想世界で行使できる能力の一つだった。
「その獣の姿が俺もお前も一番落ち着く、そういう話でまとまっただろ。ならそのままでいろ」
「お、おう……。まあ、キミがこの姿の方がええ言うんやったら……」
ミュルは、毛もくじゃらの右手でポリポリと頬を掻いた。
「ともかくだ、俺達は生死なんぞに縛られることはない。何せ、お前が言う世間とやらは、俺達に死ねと言ったわけだからな。そして俺達自身、特に生きる理由もなければ目的もない。ならあとはもう、死ぬまでやりたい放題やるまでだ。その果てに死ぬなら、別にそれでいい」
困窮を極めて死が迫っていた少年と、殺処分の確定と同時にネットの海へ逃亡したAI少女。
少年の生体情報をベースとしつつ、少女が端末をクラッキングして情報を偽装する。そうして仮想世界に侵入する、招かれざる客。それが彼等という存在だった。
「ええー駄目ですよぉ。それは私が困りますぅ」
媚びるような、それでいて冷ややかな女の声が、横合いから投げかけられる。
「何の用だ、ベトゥリューガー?」
「まあそう邪険にするもんやないで。ベトゥも仲間やねんから」
二人きりだった部屋に、中世風の内装に不釣り合いなホログラムが浮かび上がる。
肩口まで伸ばされた艶やかな金髪は滑らかな曲線を描き、やや吊り目気味の大きな瞳が翡翠色の輝きを放つ。首から下は胸の高さまでしか見えないが、肌触りの良さそうなシルクの生地と胸元の瀟洒な黒いリボンが高級感を演出している。
ホログラム越しにも滲み出る華やかさと、怜悧だが威風堂々とした雰囲気を纏った女だった。
ドゥンはそれを見て怪訝そうに顔を顰め、ミュルがそれを諫める。
「仲間? はて、一体何を勘違いしているのやら。私と貴方達は上官と部下。主人と下僕という上下関係ですよぉ? そこのところは、くれぐれも誤解なさらないように」
ベトゥと呼ばれた女は、二人を見下ろして冷笑する。
ドゥンはこめかみを押さえ、ミュルは苦笑いを浮かべた。
「任務のアドバイスに来てくれたんやろ? ベトゥも忙しいやろうし、ぱぱっと済ませようや」
険悪なムードが漂いかけたところで、ミュルがそう提案する。
「ええ、では手短に。お二人は既にダイブしているのでお分かりかと思いますが、今回の世界は、中世ファンタジー風世界第三街――通称クラッドです。目当ての〝神器〟はグングニルC21。座標はここです」
ベトゥのホログラムの脇に、クラッドのマップが表示される。
ポインタでマップの片隅が指し示され、ドゥンは頷いた。
神器――一つの世界につき一つ存在するそれは、極めて貴重な価値を持つある種の資源だった。具体的な運用方法が下っ端の彼等に知らされることはない。だが彼等にとって、それをどう使うかはさして問題ではなかった。回収という任務を遂行することこそが重要だった。
「任務遂行の制限時間は三日間です。いつもどおりですが、制限時間内に神器を回収できるならば、手段は問いません。で、これもいつもどおりですが――」
そう言って言葉を切ると、ベトゥは嗜虐的な笑みを浮かべる。
「万一任務を完了できなかった場合、お二人は任務を失敗したことになります。お分かりかと思いますが、私達の活動は細心の注意が求められる非常に繊細な仕事です。それを失敗したとあらば当然、然るべき形で責任を取っていただくこととなりますので、その点はお忘れなく」
そう言い残すと、ホログラムは跡形もなく消え去った。
ドゥンは忌々しく虚空を睨み、ミュルは腕を組んで溜息をつく。
「俺達がやることはいつも通りだ。さっさと仕事をこなして、次の仕事を待つ。それだけだ」
「不服そうな割に、何だかんだ真面目やな」
「この仕事自体は好きだからな。あの女に顎で使われることは気に入らないが」
立ち上がったドゥンが無言で両手を構えると、ミュルはゆっくりと頷いて彼の胸に飛び込む。
ミュルはアメーバのように実体を融解させ、ドゥンの身体を包み込む。
「じゃあ行くとしようか、俺」
呟いて歩き出した一人の男は、今しがたまで室内にいた一人と一匹のいずれとも全く異なる。
癖がない声質に平坦な抑揚。やや癖毛気味で長くも短くもない髪に、不細工でも美形でもなく平凡な顔立ち。身長は一七〇台半ばで、太ってはいないが筋肉質にも見えない。麻のローブを簡素な装飾の革製ベルトで留め、羊毛で編まれたマントを羽織っている。
そんな没個性を極めたような一人の男が、部屋を出て行く。
融合形態――異形の二人が仮想世界を闊歩する際のスタンダード、ユニオンだった。




