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遠足(夏)(6)

今日は早めの更新完了です。書き溜めた小説も残り1割弱になりました。

 どれくらい走ったのか見当もつかなかったけれど、とにかくあのいも虫から逃げ切ることが出来たと確信したところで私と瞬は地面に腰を下ろした。瞬の上半身が大きく上下に動き、身体全体で呼吸しているのが良く分かった。

「大丈夫、瞬?」

「・・・は・・い」

 まだ息が整わないようで、息継ぎをしながらそう答えた。

(それにしても、あのいも虫はなんだったんだろう)

 私が見た中では間違いなく一番大きいいも虫。世界中を探せば、あれくらい大きないも虫だっているかもしれない。けれど、人を襲ういも虫なんて聞いたことがない。

(そういえば、昔の怪獣映画で大きないも虫が出てくる話があったように思うけど)

 でも、あれは映画でこれは現実だ。そこまで考えて、自分の考えてることがおかしいことに気がついた。

(ここは夢の中・・・のはずだよね)

 だとしたら、ここは現実世界じゃない。そのはずなのに、私はついさっきまでこの世界を現実としか感じていなかった。けれど、今はこの世界が現実ではないことを感じ始めている。

(なんで?)

 きっかけは、やっぱりあのいも虫だ。あのいも虫と出会ってから、この世界が非現実的な世界に変わってしまったような気がする。さっき、いも虫から感じ取った恐怖を思い起こしてみた。途端に、背筋に悪寒が走り、身体に鳥肌が立つのが感じられた。ここが夢の中なら、逃げ出したい。そんな気持ちも芽生えていた。

(それでも・・・)

 私はいろいろな考えをとりあえず脇に置くことにした。

(今は、瞬と一緒にみんなの元へ帰ろう)

そう決めた。いつだったか、尾田先生が『逃げたいと思ったときこそ、勇気を出すときだ』って言っていたのを思い出した。

(『今、出来るかぎりの精一杯』)

 目の前にある問題から逃げてもなんの解決にもならない。

(『人は自分からだけは絶対に逃げられない』そうですよね、尾田先生!)

心の中にいる尾田先生にそう宣言して、私はとにかく目の前にある問題に集中することにした。

「瞬、ちょっと待っててね」

 私は、瞬の上半身をからめ取っている糸を引きはがそうと右手と左手で思い切り糸をつかんで引っ張ってみた。

「うーん」

 思い切り引っ張ってみたけれど、糸はビクともしなかった。

「すみません、高山さん。そこにある石を使ってみてくれませんか。」

 呼吸を整えたかろうじて動かせる指先で指し示した先には、大きさが私の握りこぶし二つ分くらいで角のとがった黒い石が転がっていた。

「これのこと?」

 手にとってみると、すべすべしたさわり心地で冷蔵庫に入れてたみたいに冷たかった。

「それは恐らく黒曜石です」

「コクヨウセキ?」

「はい。黒色の黒に、日曜日の曜、それから石と書いて黒曜石です。黒く輝く石という意味です。申し訳ありませんがその石をそこにある大きな石に叩きつけてください」

「うん。分かった」

 私は瞬に言われた通り、黒曜石を大きな石に叩きつけてみた。

 ピシッ

 叩きつけた途端、黒曜石に亀裂が入って、真っ二つの割れてしまった。

「え、えー!」

(こんなに簡単に割れちゃうものなの!)

 驚いた私は、慌てて瞬のほうを見た。

(あれ?)

 きっと困った顔をしているだろうと思っていたのに、予想に反して笑みを浮かべていた。

「さすが、高山さんですね」

「え。でも、割れちゃったよ」

「はい。それが?」

「いいの?」

「もちろんです。僕は黒曜石を割ってもらために高山さんにお願いしたのですから」

 瞬の言葉を聞いて、ほっとした私は、あらためて割れた黒曜石を見てみた。

(あ!)

 手に持った黒曜石の割れたところが、鋭利な刃物のようにとがっていた。というか、

(牛乳瓶を割ったときみたいな切り口だ)

 石というよりは、ガラスみたいだ。ゆっくりとその切り口に指を当ててみると、まるでカッターナイフの刃の部分に触れたような感触だった。

(少し力を入れれば、指がスパッと切れてしまいそう)

「その黒曜石は、割ったときにガラスのように鋭い切り口になることから、石器時代には刃物として使われていたものです。外見が似ていたので、もしかしたらと思ったのですが、思ったとおりでよかったです」

(さすが、瞬だ)

 感心しきりの私に、瞬は申し訳なさそうな顔で言った。

「高山さん、それでこの糸が切れるかどうか試してくれませんか」

 私は慌てて頷くと、よく切れそうな切り口の黒曜石を手に取った。

「じっとしててね」

 私は瞬の体を傷つけないように黒曜石の切り口を外側にしてから、瞬の左わきにできていた隙間にゆっくりと差し込んだ。そして、少しずつ力を込めながら外側に引っ張ってみた。

 プツン

 一本の糸が音を立てて切れる音がすると、その瞬間

 パラ パラ パサッ

 瞬をからめ取っていた糸は、いとも簡単にバラバラにほどけて落ちてしまった。

(うそ!)

 あまりにも簡単に切れてしまったことに私が驚いていると、瞬が落ちた糸を一本拾い上げて両手で思い切り引っ張ってみた。

 ピン

 音と立てて両手の間に糸が張った。

「高山さん。この糸に黒曜石の刃の部分を当ててみてくれませんか」

「うん」

 私が張り詰めた糸に、黒曜石を触れさせるとその瞬間に

 プツン

 と糸は弾けた。

「やはり、この糸は物をからめ取るために使われるため弾力には優れているようです。けど、どうやら切断には弱いようですね。ビニールテープも引っ張るとなかなか切れないですが、少し切れ目を入れてやるとそこから簡単に切れてしまいますよね。恐らく、それと同じことだと思います」

 瞬の説明はいつもながら分かりやすい。

「それよりも」

 瞬はこちらを向くと笑顔を見せた。

「助けてくれて、ありがとうございました」

 その笑顔が、とても素直で爽やかだったから、私は少しの間見惚れてしまった。

「どうしました?」

「え、あ、ううん。なんでもない」

 私は思わず目を反らした。そして、深呼吸を一つしてから、また向き直った。

「私の方こそ、ありがとう。それと、ごめんね。わたしのせいで危ない目にあわせてしまって。」

「いいえ。あれは、僕のミスです。相手が自分よりも小さく弱いものだと見た目で判断したことが油断につながりました。むしろ、高山さんほどの人があれほどの恐怖を感じていたという事実をもっと重視すべきだったと思います。しかも、その油断のために僕のみならず、高山さんまで危険な目にあわせてしまいました」

 そう言うと、瞬は頭を下げた。

「本当に、申し訳ありませんでした」

「そんなことない!」

 私は強い口調で言い返した。

「だって、最初に私を助けに来てくれたのは瞬でしょ。汗と水でびしょびしょになりながら必死で駆けつけてくれたでしょ。私、本当に嬉しかったんだから。だから、さっき助けたのは当たり前のこと。そうでしょ」

「ですが、」

 私は瞬の言葉を遮った。

「はい、そこまで。もう、この話はここで終わり。でないと、先に進めないでしょ」

 瞬は私の顔をまじまじと見た後、ふっと微笑みを浮かべた。

「そうですね」

「うん。そうしよ。それよりも、ねえ、瞬。ここがどこだか分かる?」

 瞬はあたりを見回して、ため息を一つついた。

「分かりません。逃げるのに必死で帰り道のことは全く考えていませんでした」

「どうしようか?」

「もとの場所に戻るのは簡単です。幸い、川沿いに走ってきましたから、この流れを上流に向かって歩いていけば、もとの場所に戻れます。それよりも、問題は」

「あのいも虫だよね」

「はい。もし、あいつがまだ僕たちを狙っていたとしたら恐らくこの川沿いに追いかけてくるはずです」

「そうだよね」

 そう言って、走ってきた方向へと目を向けた。さっきまでは、明るく緑豊かな森の風景に見えていたのに、今は薄暗く鬱蒼とした深い森のように見えた。不安が胸の中で膨らんでくるのが分かる。今にも、あの草の陰からさっきのいも虫が顔を出すかも。そんなことを考えてしまう。その不安から逃れるためには、さっきの場所から更に離れたほうがいいのだけれど、それではいつまでたってもみんなの元へは戻れない。

 しばらく考えた後、瞬は何かを決心した強い口調で口を開いた。

「川をさかのぼりましょう!」

 私は何も言わずに「うん」とだけ答えた。瞬が私以上に私たちのことを考えて出してくれた結論なら、何も言うことはない。

「このまま森の中をさまよっても、さらに危険な生き物に出くわさないとも限りません。それに、森の奥に迷い込んでしまえば、もとに戻ることもできなくなります。なら、リスクはあっても、そのリスクをある程度予測できるほうが安全だと思います」

 そして、瞬は、私の目をしっかりと見つめてこう言った。

「大丈夫です!今度こそ、僕が高山さんを守ります!」

 私を見つめる瞬の眼差しは厳しく、温かかった。だから、私は「うん」と頷いた。そして、照れ隠しにクスリと笑ってみせた。

「瞬てかっこいいよね」

「え・・・」

 私の言葉に頬を赤く染めた瞬は、照れ臭そうに「からかわないでください」とだけ言うと、地面にしゃがみこんでほどけた糸を集め始めた。

「どうするの?」

「もしかしたら、なにかの役に立つかもしれません。高山さんも、もう片方の黒曜石を拾っておいてくれませんか」

「うん!」

 私は手早く黒曜石を拾うとポケットの中にしまった。

「よし、これでいい」

 瞬はほどけた糸を束にして肩からかけた。

「では、出発しましょう」


 私たちはまず、いも虫がいた岸と反対の岸へと川を渡ると、できるだけ茂みから離れるようにして川をさかのぼり始めた。風で草木が揺れるたびに、さっきのいも虫が顔を出すのじゃないかと不安にかられた。当然、歩みも遅く、逃げて来たときとは比べ物にならないほど時間がかかった。

「あれ?」

 緑の中にちらりと鮮烈な赤色が目に映った。心臓が高鳴る。私は、瞬の袖を引っ張った。

「どうしました」

 私は赤色が見えた方向を指差した。瞬が目を凝らすと、ちょうど風が吹き、揺れた枝の間からまた鮮烈な赤色が見えた。

(さっきと同じだ)

 背筋がさっと冷たくなった。

「高山さん、下がっててください」

 瞬は私をかばうように立つと、茂みの中をじっと睨みつけた。張り詰めた空気が漂う中、川面を走る風が吹いた。

 サワ サワ

 音を立てて枝が揺れ、葉がこすりあう音がした。と、同時に葉と葉の間からまた忘れもしない真っ赤な色が顔をのぞかせた。

「瞬、逃げよう」

 私は震える声でそう言うと、瞬の上着の裾を強く握った。

「ちょっと、待ってください」

 そう言って、その茂みをじっと見つめた。

「どうしたの、瞬」

「すみません、確かめたいことがあるんです」

 そう言うと、瞬は私の手をやさしく裾から外すと、ゆっくりと茂みの方へと向かった。そして、ある程度まで近づくと、腰を低くして、また、じっと茂みを睨みつけた。その右手には黒曜石が握られていた。

(瞬。早く逃げよう!)

 怖い気持ちが先走って、今にも走りだしたい気持ちになってきた。けど、

(瞬が意味もなくこんなことをするはずがない)

この確かな思いが支えになって、私はかろうじてその場に踏みとどまることができていた。一瞬が何十秒にも感じられる緊張感の中、もう一度風が吹いた。

「見つけた!」

 瞬は茂みに一目散に駆け寄り、さっきの私と同じように枝を払いあげた。

(あ!)

 私も瞬の元へ駆け寄って、生い茂った枝と葉の中にひっそりと隠れるようにしてなっている真っ赤な実を見つめた。

(『火の実』だ)

 リノンさんが説明してくれた通りの、燃えるような真っ赤で直径3センチくらいのまん丸の実が、さくらんぼのようにいくつもいくつも枝からぶら下がっていた。

「高山さん、急いで集めましょう」

「うん!」

 私たちは手分けして『火の実』を摘み始めた。そして、あっという間にポケット一杯に詰め込んだ。

「もういいでしょう」

「うん」

 私と瞬は急いで立ち上がると、周りをぐるりと見渡して安全を確認した。

「あいつはいないようですね」

「そうだね」

 今、一番気にしなければいけないのは、自分の身に迫る危険のはずなのに、私は知己のことを考えていた。

(よかった。これで、知己が元気になる)

 一時はあきらめかけた『火の実』を無事に集めることができたことで、さっきまでの不安があっという間にうすれていくのを感じた。

(ははは)

心の中で笑った。だって、こんなにコロコロ変わっちゃうんだから。私の気持ちは。

(不思議だな)

 そんなことを考えていたら、自然と笑みが浮かんできた。

「よかったですね。これで、知己も元気になる。」

 瞬のそんな言葉に、私は喜びの笑顔で「うん」とうなずいた。


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